こんにちは。
少し前ですが、タマタマつけたテレビが、ラグビー特集をしてました。
数年後に日本でワールドカップが開催されます。
それに照準を合わせて高校生を育成しているとの話し。
しかしながら、現在のラグビー人口は かなり減少。
高校ラグビーチーム数も減少し、人数不足により単独でチームを組めない高校もあるやら。
そこで、写真の神戸製鋼ラグビー部の元木さん達が人数不足のチームを集め、日本ラグビーの底上げをすべく、
長野県の菅平で合同合宿をされたそうです。
そんなテレビの一場面…
元木さんの後ろに、僕と同級生で、高校時代のライバルチームのキャプテンが写ってました。
当時彼への『ニックネーム』は、バイキンマン。
相変わらず、
『おらっ、おらっ!行けよ!』
みたいな大声を張り上げてました。
彼とは、高校時代に
『一緒に兵庫代表になろうな』
と言いながら、電車やバスを共に、代表候補のセレクションに参加していました。
僕達は、兵庫県の西側を代表して参加してましたが、
いつも最終候補までは行くのですが…
結局、東側代表選手に敗れ、代表になれませんでした。
落選のいつもの帰り道、
『京阪神に負けてへんわな…俺らのが良かったよな?』
と、強く負け惜しみをしながらお互いに鼓舞しあってました。
そんな彼と菅平高原には、不思議な縁があります。
大学時代の菅平合宿で、当時キャプテンだった僕の部屋に電話が入りました。
『○○大学の…』
と、強豪大学からの電話に、間違え電話かな?と、
話しますと偶然、彼(バイキンマン)からでした。
タマタマ同じ時期に合宿が重なったらしく、僕へ連絡をくれました。
夏の菅平合宿は、数十校の大学が集まり、合宿中に練習試合を申し込んだりします。
そんな懐かしい彼は、残念ながら強豪大学では通用せず、
コーチとして一年生を指導している立場にあったそうでした。
そこで、僕達と練習試合を組んでくれないか?との話し。
強豪大学の一年生ですから、花園経験者が多数います。
僕達も、良い経験になるだろうと話し合い、練習試合を組みました。
菅平合宿の朝は早く、空気が澄んでいますが、
前日の試合で痛めた体が悲鳴をあげてます。
そんな体に鞭を打ち、バスで移動します。
途中見える景色は、ラグビーグランドばかり…
たまに見えるテニスコートで、男女のキャピキャピした声が羨ましく思えながら、
右も左も男ばかりのバス車内で、湿布の臭いが充満…。
そして、彼が率いる強豪大学の一年生チームとの練習試合が始まりました。
キックオフですぐ、これが一年生??
と疑いたくなるチーム。
僕はキャプテンでしたから、
『コリャいかん!』
と、立て直しをはかりますが、自分のプレーをさせて貰えない。
自分の走るコースが塞がれてるんです。
こうなると、自分の非力を自覚し、
敵は一年生ながらアッパレと認めますが、
試合後の彼との話しで、
『No.8の中村は、思いっ切りマークさせたで。
あいつは高校時代スゴい奴やったんや。あいつはコワいからって言ったら、一年生らはビビってたわ。
だから、思いっ切りタックルしてたわ。』
ですって…
そんなん言うなや!って心で思いましたが、
マークされても突破出来る選手にならなあかんな…
と、一年生相手にかなり反省し、
菅平のバーで再会を楽しみました。
それから数年後、久しぶりにバイキンマンと会ったのは、社会人クラブに所属してた時でした。
何と今度は相手チームで現役選手として出場してました。
メチャクチャ強いチームでして、コテンパンに負けました…
あれ以来かな?
そして、このテレビが菅平高原。
今回は、テレビでの再会でしたが、不思議な縁だな…と、
今もラグビーと関係してる彼を羨ましく思いました。
確か、教師となり、ラグビー部監督をしてると聞きました。
そんな思い出の高校生時代。
当時、合宿で教えて頂いた他校の早稲田大学出身の監督の言葉を思い出します。
『中村、ラグビーはな、楽しさと苦しさが美しいスポーツなんや。
ラグビーを漢字で書いたら、
「楽苦美」ってなるやろ。』
勝って当然のプロスポーツではなく、
アマチュア精神を大切にしてきたラグビーというスポーツの良い所だったかもしれません。
少し前ですが、タマタマつけたテレビが、ラグビー特集をしてました。
数年後に日本でワールドカップが開催されます。
それに照準を合わせて高校生を育成しているとの話し。
しかしながら、現在のラグビー人口は かなり減少。
高校ラグビーチーム数も減少し、人数不足により単独でチームを組めない高校もあるやら。
そこで、写真の神戸製鋼ラグビー部の元木さん達が人数不足のチームを集め、日本ラグビーの底上げをすべく、
長野県の菅平で合同合宿をされたそうです。
そんなテレビの一場面…
元木さんの後ろに、僕と同級生で、高校時代のライバルチームのキャプテンが写ってました。
当時彼への『ニックネーム』は、バイキンマン。
相変わらず、
『おらっ、おらっ!行けよ!』
みたいな大声を張り上げてました。
彼とは、高校時代に
『一緒に兵庫代表になろうな』
と言いながら、電車やバスを共に、代表候補のセレクションに参加していました。
僕達は、兵庫県の西側を代表して参加してましたが、
いつも最終候補までは行くのですが…
結局、東側代表選手に敗れ、代表になれませんでした。
落選のいつもの帰り道、
『京阪神に負けてへんわな…俺らのが良かったよな?』
と、強く負け惜しみをしながらお互いに鼓舞しあってました。
そんな彼と菅平高原には、不思議な縁があります。
大学時代の菅平合宿で、当時キャプテンだった僕の部屋に電話が入りました。
『○○大学の…』
と、強豪大学からの電話に、間違え電話かな?と、
話しますと偶然、彼(バイキンマン)からでした。
タマタマ同じ時期に合宿が重なったらしく、僕へ連絡をくれました。
夏の菅平合宿は、数十校の大学が集まり、合宿中に練習試合を申し込んだりします。
そんな懐かしい彼は、残念ながら強豪大学では通用せず、
コーチとして一年生を指導している立場にあったそうでした。
そこで、僕達と練習試合を組んでくれないか?との話し。
強豪大学の一年生ですから、花園経験者が多数います。
僕達も、良い経験になるだろうと話し合い、練習試合を組みました。
菅平合宿の朝は早く、空気が澄んでいますが、
前日の試合で痛めた体が悲鳴をあげてます。
そんな体に鞭を打ち、バスで移動します。
途中見える景色は、ラグビーグランドばかり…
たまに見えるテニスコートで、男女のキャピキャピした声が羨ましく思えながら、
右も左も男ばかりのバス車内で、湿布の臭いが充満…。
そして、彼が率いる強豪大学の一年生チームとの練習試合が始まりました。
キックオフですぐ、これが一年生??
と疑いたくなるチーム。
僕はキャプテンでしたから、
『コリャいかん!』
と、立て直しをはかりますが、自分のプレーをさせて貰えない。
自分の走るコースが塞がれてるんです。
こうなると、自分の非力を自覚し、
敵は一年生ながらアッパレと認めますが、
試合後の彼との話しで、
『No.8の中村は、思いっ切りマークさせたで。
あいつは高校時代スゴい奴やったんや。あいつはコワいからって言ったら、一年生らはビビってたわ。
だから、思いっ切りタックルしてたわ。』
ですって…
そんなん言うなや!って心で思いましたが、
マークされても突破出来る選手にならなあかんな…
と、一年生相手にかなり反省し、
菅平のバーで再会を楽しみました。
それから数年後、久しぶりにバイキンマンと会ったのは、社会人クラブに所属してた時でした。
何と今度は相手チームで現役選手として出場してました。
メチャクチャ強いチームでして、コテンパンに負けました…
あれ以来かな?
そして、このテレビが菅平高原。
今回は、テレビでの再会でしたが、不思議な縁だな…と、
今もラグビーと関係してる彼を羨ましく思いました。
確か、教師となり、ラグビー部監督をしてると聞きました。
そんな思い出の高校生時代。
当時、合宿で教えて頂いた他校の早稲田大学出身の監督の言葉を思い出します。
『中村、ラグビーはな、楽しさと苦しさが美しいスポーツなんや。
ラグビーを漢字で書いたら、
「楽苦美」ってなるやろ。』
勝って当然のプロスポーツではなく、
アマチュア精神を大切にしてきたラグビーというスポーツの良い所だったかもしれません。