おはようございます。
先日、秋祭りがありました。
毎年、
『あれ?彰宏、今年は(屋台を)カク言うとったやないか!』
と、親戚のおっちゃんに言われます。
やはり屋台を見てると『カキたく』なります。
近くで見てると迫力まりますよ。
僕は、双子ちゃんを
『ダブル抱っこ』して、おもいっきり間近で見てました。
やはりあの太鼓の音と雰囲気は、『秋の到来』を想わせます。
さて、またまた高校生のクラブ活動引退の季節が来ました。
先ほど、わざわざメールをくれた選手が居ます。
脚を痛めたりしたら、整骨院に来てくれてました。
駅伝予選に敗退し、引退したそうです。
駅伝にはドラマがあります。
彼は高校三年生で、みんな受験勉強真っ只中の時期。
クラブとしては、
駅伝に出場しなければならない訳ではありません。
しかし彼は、
県大会出場に向け、受験勉強よりチームを優先し、
この時期まで残留を貫きました。
彼の同級生のエースは、
推薦受験の時期が重なり、この大会に出れませんでした。
エース不在で、必ずベストとは言えないチームに残留し、
チーム一丸となり、努力してたみたいです。
そんな彼、
以下メールをくれました。
『…(中略)みんな調子よかったんですが、ある区間で脱水症状というアクシデントがあり、なんとかそいつは根性で何回も倒れながらも襷つなぎました。
5位まで一分差で悔しいです。
自分も最後の最後で一人抜かせたので意地はみせれたと思いますが、
なんかやりきれない思いです。…(略)』
悔しい展開だったみたいですが、
受験勉強がありながら練習してた彼の姿は、
後輩達も充分見てました。
後輩達は、
『先輩が残留してくれてるから、県大会出場出来るように、僕も先輩以上に頑張ってるんです』
と言いながら、
練習以上の練習をし、腰や脚を痛めてました。
今の時代の『受験勉強教育』には理解し難いチーム愛かもしれません。
僕の時代も、通常の引退時期を越えてチームに残留したにも関わらず、
結果を出せず引退した悲しい高校の思い出があります。
三年生の5月で引退したみんなは、そのまま受験勉強に入ります。
そんな受験勉強真っ只中の夏休みにも練習してた僕、
担任の先生と三者面談はいまでも記憶に残る面談となりました。
担任の先生は、
『体育会』キライな勉強ガチガチ世界史の先生。
僕の母親の前で
『彰宏君、キミ、アホやろ。
受験前の夏休みにラグビーやってる奴、
他に居るか?
日焼けしてるんキミ等だけやで。
お母さん、分かりますか?』
だったと思います。
さすがに『アホ』には腹が立ちましたが、
ラグビーを選んだ選択肢に後悔は一切ありませんでした。
ただ、ベビーブームな僕の時代、
大学の偏差値は、
ランクが下と言われた大学ですら簡単ではないと言われてました。
シッカリ勉強してたら、偏差値にとらわれずに大学を選択出来たはずですが…
受験勉強が間に合わないかもしれない不安はありましたが、
ラグビーでやり残した事や、
チームを弱くしてしまった責任を放棄出来ず、
数人の三年生と残留しました。
結果は、二回戦敗退と云う情けない現実。
結果は出せませんでしたが、やり遂げ情熱は何にも代え難く、
未だにOB会で後輩達と会うと、
『あの時代』の苦い経験と、受験勉強教育に逆らった反骨な雄志?を称えあいます。(ちなみに、後輩達はみんな高学歴で…文武両道してました…先輩の僕は反省。)
しかし、今でも思うのは、
担任の先生が言ってた言葉は重かったなと。
確かにあの時の選択は、後の人生に影響したと思います。
受験勉強、シッカリやらなあかんかったな…
と…
母子家庭の僕は、
下宿しない大学を条件に、何とか合格出来ました。
推薦入試でしたが、同級生からは『ラグビーしながら勉強してたん?奇跡やな』とか言って貰い、
嬉しく思いました。
柔道部の顧問の先生は、ラグビー部の監督とあまりウマが合ってない雰囲気があり、
僕達を誉めたりしなかったのですが、
クラブを最後までやり通した僕達に
『中村、お前よう頑張ったな。』
と、グランドですれ違い際に言ってくれました。
担任の先生が一番驚いてましたが、
とても喜んでくれました。
確かに毒舌な先生で、生徒からは嫌われてました。
がしかし、僕の合格には涙を流してくれました。
あの先生の涙には、
毒舌の裏には愛情があったんやなと、僕なりに解釈しました。
それから後、卒業式の退場の時、
みんなで先生を胴上げしようと、クラスで打ち合わせました。
体育館の後ろ出口へ退場する時、
僕達男子生徒は先生らが並んでる前の方へ行きました。
毒舌な先生が生徒から嫌われてるのを知ってた
柔道部の顧問の先生は
後日このシーンを振り返り、僕に話してくれました。
『中村、ビックリしたで。みんなであの先生に御礼参り(ど突く)するんやと思ったわ』
と。
他の先生でも胴上げされなかったシーンにビックリされた先生は、物凄い涙を流されてました。
この先生、僕も知らなかったのですが、
本当に偶然ですが、、
僕の遠い遠い遠い遠い親戚になるそうなんです…
大変アンビリーバボォです。
親戚とは言え、あれから会う事はありませんが…。
そんな日を思い出した今日は、
駅伝予選に敗れた彼に、そんな思い出をメールしました。
これから受験勉強に入る彼にエールを贈りたいですね。
予選敗退して味わった悔しい気持ちは、次に繋がるハズ!
『人は、悲しみが多いほど、人には優しく出来るのだから~』
と、金パチ先生が言ってました。
お互いに頑張って行きましょう♪
メールと感動を、ありがとう。
先日、秋祭りがありました。
毎年、
『あれ?彰宏、今年は(屋台を)カク言うとったやないか!』
と、親戚のおっちゃんに言われます。
やはり屋台を見てると『カキたく』なります。
近くで見てると迫力まりますよ。
僕は、双子ちゃんを
『ダブル抱っこ』して、おもいっきり間近で見てました。
やはりあの太鼓の音と雰囲気は、『秋の到来』を想わせます。
さて、またまた高校生のクラブ活動引退の季節が来ました。
先ほど、わざわざメールをくれた選手が居ます。
脚を痛めたりしたら、整骨院に来てくれてました。
駅伝予選に敗退し、引退したそうです。
駅伝にはドラマがあります。
彼は高校三年生で、みんな受験勉強真っ只中の時期。
クラブとしては、
駅伝に出場しなければならない訳ではありません。
しかし彼は、
県大会出場に向け、受験勉強よりチームを優先し、
この時期まで残留を貫きました。
彼の同級生のエースは、
推薦受験の時期が重なり、この大会に出れませんでした。
エース不在で、必ずベストとは言えないチームに残留し、
チーム一丸となり、努力してたみたいです。
そんな彼、
以下メールをくれました。
『…(中略)みんな調子よかったんですが、ある区間で脱水症状というアクシデントがあり、なんとかそいつは根性で何回も倒れながらも襷つなぎました。
5位まで一分差で悔しいです。
自分も最後の最後で一人抜かせたので意地はみせれたと思いますが、
なんかやりきれない思いです。…(略)』
悔しい展開だったみたいですが、
受験勉強がありながら練習してた彼の姿は、
後輩達も充分見てました。
後輩達は、
『先輩が残留してくれてるから、県大会出場出来るように、僕も先輩以上に頑張ってるんです』
と言いながら、
練習以上の練習をし、腰や脚を痛めてました。
今の時代の『受験勉強教育』には理解し難いチーム愛かもしれません。
僕の時代も、通常の引退時期を越えてチームに残留したにも関わらず、
結果を出せず引退した悲しい高校の思い出があります。
三年生の5月で引退したみんなは、そのまま受験勉強に入ります。
そんな受験勉強真っ只中の夏休みにも練習してた僕、
担任の先生と三者面談はいまでも記憶に残る面談となりました。
担任の先生は、
『体育会』キライな勉強ガチガチ世界史の先生。
僕の母親の前で
『彰宏君、キミ、アホやろ。
受験前の夏休みにラグビーやってる奴、
他に居るか?
日焼けしてるんキミ等だけやで。
お母さん、分かりますか?』
だったと思います。
さすがに『アホ』には腹が立ちましたが、
ラグビーを選んだ選択肢に後悔は一切ありませんでした。
ただ、ベビーブームな僕の時代、
大学の偏差値は、
ランクが下と言われた大学ですら簡単ではないと言われてました。
シッカリ勉強してたら、偏差値にとらわれずに大学を選択出来たはずですが…
受験勉強が間に合わないかもしれない不安はありましたが、
ラグビーでやり残した事や、
チームを弱くしてしまった責任を放棄出来ず、
数人の三年生と残留しました。
結果は、二回戦敗退と云う情けない現実。
結果は出せませんでしたが、やり遂げ情熱は何にも代え難く、
未だにOB会で後輩達と会うと、
『あの時代』の苦い経験と、受験勉強教育に逆らった反骨な雄志?を称えあいます。(ちなみに、後輩達はみんな高学歴で…文武両道してました…先輩の僕は反省。)
しかし、今でも思うのは、
担任の先生が言ってた言葉は重かったなと。
確かにあの時の選択は、後の人生に影響したと思います。
受験勉強、シッカリやらなあかんかったな…
と…
母子家庭の僕は、
下宿しない大学を条件に、何とか合格出来ました。
推薦入試でしたが、同級生からは『ラグビーしながら勉強してたん?奇跡やな』とか言って貰い、
嬉しく思いました。
柔道部の顧問の先生は、ラグビー部の監督とあまりウマが合ってない雰囲気があり、
僕達を誉めたりしなかったのですが、
クラブを最後までやり通した僕達に
『中村、お前よう頑張ったな。』
と、グランドですれ違い際に言ってくれました。
担任の先生が一番驚いてましたが、
とても喜んでくれました。
確かに毒舌な先生で、生徒からは嫌われてました。
がしかし、僕の合格には涙を流してくれました。
あの先生の涙には、
毒舌の裏には愛情があったんやなと、僕なりに解釈しました。
それから後、卒業式の退場の時、
みんなで先生を胴上げしようと、クラスで打ち合わせました。
体育館の後ろ出口へ退場する時、
僕達男子生徒は先生らが並んでる前の方へ行きました。
毒舌な先生が生徒から嫌われてるのを知ってた
柔道部の顧問の先生は
後日このシーンを振り返り、僕に話してくれました。
『中村、ビックリしたで。みんなであの先生に御礼参り(ど突く)するんやと思ったわ』
と。
他の先生でも胴上げされなかったシーンにビックリされた先生は、物凄い涙を流されてました。
この先生、僕も知らなかったのですが、
本当に偶然ですが、、
僕の遠い遠い遠い遠い親戚になるそうなんです…
大変アンビリーバボォです。
親戚とは言え、あれから会う事はありませんが…。
そんな日を思い出した今日は、
駅伝予選に敗れた彼に、そんな思い出をメールしました。
これから受験勉強に入る彼にエールを贈りたいですね。
予選敗退して味わった悔しい気持ちは、次に繋がるハズ!
『人は、悲しみが多いほど、人には優しく出来るのだから~』
と、金パチ先生が言ってました。
お互いに頑張って行きましょう♪
メールと感動を、ありがとう。