この世日記 更年期女子の生き方思案

“中年女子”から“更年期女子”に昇格〜♪(笑) ・・・し、しかし・・・更年期で「女子」って・・・
・・♪~( ̄ε ̄;)

みんな味方

2021-01-16 17:51:32 | この世観 あの世観 人間観

いやな気持にされるアイツも苦痛を感じさせる出来事も、味方なんだよなーって話。


"敵”認定したくなるようなヤツは、いま向き合っていて抵抗を感じるヤツなんだろうけど、よくよく考えたり感じたりしていくと「まぁ味方だな」ってなる。

それは後々実感するかもしれないし、対峙や抵抗から手を引いたとたんに気づくかもしれない。自分が勝手に作り上げていた幻想の印象に。

 

いずれにしても、委ね切れる生き方は 味方しかない心地よさの中、安心しながら物事に対峙していくので抵抗がなくて楽だと思っている。

 

以上、『味方』の語源は?なんで『味』なの?っていう疑問を調べたり、私の中で「南無阿弥陀仏」の解釈が変わったりした中でふと思い至ったことでしたー。

 


この騒動の中、幸せに生きている

2020-05-13 23:53:08 | この世観 あの世観 人間観

いかに、“自分の脳みその作り上げた世界“ を生きているか


 聞いた言葉、目にした出来事、あれこれ全部をこの脳みそで判断してて、そこから出られないんだよねー

 いろんな情報もノウハウも、それを活用するのにやっぱりこの脳みそを使う。

 

 この世を生きるって
湧いた感情や思考を、ただ認識するだけでいいんだーってつくづく思ってる。

 感情や思考を操作し改善しようとか、幸せに生きるためにあーしようこーしようと画策することから完全に手を引いてしまった方が 楽(らく)。本当に楽。

 自分が作りあげてる世界を生きるしかないんなら、自分がこの人生をよりよくしなければ・・・よりよくできるはず・・・・ってのが まぁ、ちょっとした罠だわね(笑)
それを考えるのも、その世界を作り出したその脳みそだもんねぇ(笑)

 

「嬉しいんだなー」とか「この言葉をあたしへの批難と解釈して腹立たしさを感じてるなー」とか
とりあえず認識するだけにして、その後の展開を自らの都合でどうのこうのしようとエネルギーを使うことはやめにした。
楽なのよ。

 楽だし、そして、この世のどこそこすべてに悦びみたいのがそこはかとなくたたずんでいるなーって感覚になってくる。

 

 

 世界的に経済やらなんやらヤバイぞって騒ぎの時に、なんでまたこういう呑気なことを書くかねーあたし・・・しかも超久しぶりの投稿で。

 医療関係や生活必須関係業の方々、行政の関係部署の方々、その他諸々の方々には心底感謝。お体に気をつけて欲しい。
 わたしのお仕事が厚生労働省管轄だったりするので、厚生労働省が非難されてたりすると肩をもちたくなる。担当業務部署の方々はいかに大変なことか・・・きっとみんな白髪増えてるんじゃないかしら・・・。市役所の我が部署もこの騒動の当初しばらくは混乱と残業続きで、みなさん相当お疲れになり、となりの課長さんはぶっ倒れ。

 報道は相変わらず偏ってるから、左右上下いろんな立場と視点からの情報を集め読んだりしてると時間はかかるけど、気持ちの落としどころが湧いてきたりする。それと、私の中で少しづつ解明中の「国ってなによ?」も見えてくるものがある。自分に掛けられていた戦後洗脳にも少し気づけてきた。考え方も変わってきたかもしれない。
 あたしの世界が変わってきてるってことかもね。それこそ「自分の世界」が変わるのは変えることを意図しなくても変わるときは変わっていくもんだわさ。

 しかしほんとに、テレビ報道ヤバイねー。それに関連する某国もヤバイねー。
 

 出来得れば、日本人気質の良いところが発揮されて欲しい。落ち度を見つけ突き合い責め合うことにエネルギーを注ぐより、落ち度は補い合い、労い合い、一体感のある空気に包まれてほしいと思う。「落ち度」に見えることも実は別の効力が潜ませてあることにも気づいていけたらいいなと思う。

 心の温かさを保ち伝え合っていきたいものだな・・・・あ、・・心の温かさだからねっ! コ コ ロ のっ!
マスクの中にこもる温かさはもういい・・・ってか 暑いいんだよー!

 

・・・・でもまだしばらく我慢するよ。ちゃんとマスク付けまする~


 


心は正常機能中

2019-12-07 23:27:41 | この世観 あの世観 人間観

へっちゃら道の修行とか言っちゃってけっこう楽しんでる。

実は修行ってほどのこともなく・・・

このところお仕事上でもいろいろあったんだけど、“心”ってたいがい へっちゃら なんだって気付いた。

 

というかー

心って何?

 

人によって「これが心」って思っているものが違うのかもしれなくて、まぁ私の場合はなんだけど・・・

ヤバイことが起きたりしたとき、不安な感情があって 気持ちは焦ったり「イヤだわー」だったりする。へっちゃら道的には心はどんな状態?と思って探ってみてるんだけど、心って感情や気持ちとはちょっと別なとこにあるように思えるんだよね。

いや、別というより・・・

“心”って 湧き起っている感情を感じ取っているにすぎない目に見えない器官なのかなーって。感情を認識する機能にすぎないというか。

「心が楽しい悲しい」というより「心が楽しい悲しいを感知してる」といった具合に。

だから トホホ・・・な状況の時、感情は悲しくて気分はローでも心は単にそれらを感知する機能を果たしていて、心自体はへっちゃらみたいなんだよね。「悲しいをちゃんと感知して正常運転してまっせ~」ってさ。

 

ポジティブな気分だろうがネガティブな気分だろうが、そのままに感知できるのが“心”的には正常に機能しているってことだよなって思う。

 

 

んで、心が感知したことを脳みその言語を司る部分に伝えて言語化してるのかなって思った。

んで、んで、あれ?でも逆に心が感情を送り出しているパターンもあるかー?と思い始めた。

 

へっちゃら道はなんかよー分からん方へ迷走してる感あるけど まずは感情と心の関係がごちゃごちゃしなくなったら初段にランクUPってことにしようかなー(笑)

 


へっちゃら道入門

2019-11-12 00:01:38 | この世観 あの世観 人間観

“へっちゃら道”に入門することにした

師匠は・・・・えーっと

神様でも仏さまでもイエスさまでも宇宙でもなんでもいいや

 

 

失敗しても 反省するけど 心はへっちゃら

怒られても 謝るし改善策を一生懸命考えるけど 心はへっちゃら

ダメな奴だと言われても どうしたらいい?って考えるけど 心はへっちゃら

「それはイヤだ」って言ったら 機嫌損なわれて空気悪くなるかもしれないけど 心はへっちゃら 
ちゃんと理由や私の気持ちを伝える

体調崩して気持ちが萎えても でもやっぱり心はへっちゃら

 

とほほ・・・な状況の時は「へっちゃら道の修行だ~」と思って
心を鍛えよーっと

 


心に巣作っていると思しき不愉快な感情

2019-09-05 00:22:55 | この世観 あの世観 人間観

いい状況の中にある時

例えば、お褒めの言葉を戴いてるというのに

警戒心に近い感情が湧いたり そこはかとなく不安を感じたりすることがある。

 

なんか照れくさい って時もあるけど。

 

ことがうまく進んだのに

「いや 何かどんでん返しが起きてくるんじゃないだろうか」とかってビクつく自分がいる気がする。それに飲み込まれるってほどじゃないけど。

 

手ばなしで素直に喜ぶだけ にはなりきれないというか・・・

 

なんでだろー って思ってる。

 

 

とある出来事の記憶があるんだけど

2、30年前は「これがいわゆる過去生の記憶ちゅーやつか?」って思ってた記憶。

飯田史彦氏の本に出会って ソウルメイト とかっていう位置付け方が合致したし、生まれつきのアザのこととかも・・・当時は それで納得ができた。

今は 違うな って思ってる。

 

この“記憶”の出来事 ってのが

うまい話に乗っかったものの

思いっきり 裏切られて嵌められて

良かれと思って自分のしたこと(自分の決断)が 多くの人々を苦しめ死に追いやることになり

死ぬほど後悔して 

自害したか 私を怨む人々に殺してもらった

っていうストーリー

 

今だに コレ思い出すと うぐぐぐってなる。以前ほど辛くないけど。

以前はコレが出てくると 嗚咽、今思い出すと ちょっと笑えるぐらいに ううううぅぅヒックヒック だった。 だって内蔵出てきて吐くんじゃないかってぐらいだかんね(ごめん、ちょっと大げさか)

 

 

いい状況にある時、褒められる時なんか警戒しちゃう私だから こんなストーリーの“記憶”を創作しちゃったのか

どこかでこの“記憶”を仕入れちゃったから 警戒するようになったのか

 

ま、どっちでもいいんだけど

 

コレからなかなか卒業しないのは なんでだろーと思う。