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この世日記 更年期女子の生き方思案

“中年女子”から“更年期女子”に昇格〜♪(笑) ・・・し、しかし・・・更年期で「女子」って・・・
・・♪~( ̄ε ̄;)

死にたい気分 取り扱い Y仕様

2017-11-15 01:05:26 | この世観 あの世観 人間観

ウツな気分が病的な段階に陥る前に先手打つようにしている

ひとまとめに 死にたい気分 といっても状態はいろいろで状況によって対応は変えるんだけどさ

自己否定が強まってる時なんかは 自分の思考やものごとの捉え方、解釈の仕方を分析して そのパターンの変化を試みたりもする

心に刺さった言葉や場面は 自己否定するためにあたし自身が自ら引用し記憶に留めているんじゃないか?って思う


まあ 苦し紛れ程度に あれやこれや自己分析するわけ

死にたい気分を忌み嫌って無きものとフタして隠すより なんらかのサインじゃないのかなって 思考能力が無くなる前に(病的に陥っちゃったらもう思考乗っ取られたみたいになるもんね)チラッと考えておこー って程度(以前はがっつり考えてた それはそれで苦しいけど役に立った)

死にたい気分を怖がらず誤魔化さず 正体見据えて扱うぞってね・・・ヘビ使いみたく~?

 

いっぽうで・・・・

いつも髪の毛から洗うけど 足の指の間から念入りに洗ってみるとか

いつも右手で持つ歯ブラシを左手で持って歯磨きするとか(けっこうイラつく・笑)

いつもカーテン右側から開けるけど 左側から開けてみるとか

いつもはそんなことしないけど 天井見つめて金魚みたいにお口パクパクしてみるとか
(誰かに見られると ついにイっちゃったかと思われるかも~)

いつもササッと皮むいて食べちゃう柿を穴が開くほど見つめるとか よし20分見続けるぞとかってね

レベル高いけど いつも「ちっ!」って思うことを 「ほへ・・・・」って脱力してみるとか(レベル高いか?)

そんなこと いろいろする

いろいろ 思いつくまま 思いついたこととりあえずやってみる

わたしなりの根拠があってね・・・それ書き出すと「人間って量子力学でいくと波ってことじゃん?物も・・・森羅万象あらゆることが・・・」って話になっていっちゃう


書くのめんどう



まあ・・・・

脳みそ緩まって 意識が柔軟に 

インスピレーション受け入れやすくなるんじゃない?ってところかな


凝り固まっている あれこれ に気づいて 
執着し握りしめている あれこれ を緩めて手放して

「苦悩( く の う )には手を焼 く の ぅ ・・・えへへ」と笑えるように・・・

 

 

あ、 そうだ


瞑想は効果あると思う
(死にたい気分がサッと消えるってわけじゃないよ)


って そんなに瞑想しないあたしが言っても・・・ねぇ・・・(苦笑)

 


考えるあっし Yでござる

2017-06-10 23:19:49 | この世観 あの世観 人間観

人間は 人と人の間に在るものだって?

 

妻Yは Yと主人の間に在って

嫁Yは Yと姑の間に在って・・・・

友人との間にもそれぞれYちゃんやYさんがいてってことか?

 

 

過去のことや立場や目に見えるあれこれに関わらず  そこに“絶対安心” の空気を作り出せたら

人間関係はそれで良しと思う

 

共にその空気に寛ぐ関係性もあれば その空気に馴染まない関係性もある

馴染まない関係性はちゃんと崩れ消えていく

人智を超えてちゃんとバランスは保たれていくもんだ

 

 

じゃあ

今、ここにいると感じている「人間Y」は 誰と誰との間にあるちゅー意味なの?

この自分・・・・人間・・・だよねぇ(笑)

自分と自分以外の間か?

記憶の中のY と ここに在るY の間に存在させている?

 

 

・・・・(-。-; 

また 

どーでもいいこと考え始めてしまってるよ・・・

 

    やめて 寝よっと

 


立命風

2017-06-09 22:06:45 | この世観 あの世観 人間観

(前記事の『みーんなに好かれる人なんて まぼろし よねー』 っていう結論を受けつつ・・・)

 

 

好かれる人って まぁまぁ 周りを幸せにしてるよね きっと

少なくとも不愉快にはさせてないよね

 

みーんなに好かれる人になりたいなぁ なんて考えたのは

人に不愉快さを感じて

私も意図せず気付かない内に その人のように誰かを不愉快にさせているんだよなーって思ったから


できれば 周りを幸せにしたいじゃん? 

 

 

その人は悪気もないし 正直に自分を表現しているだけだから あたしの中の不愉快さを感じる受けとめ方をちょこっとチェンジしよ って思ってるんだけど(自分の中の何を投影してるのかなーなんて考えながら)

そういう意味では 不愉快さを感じさせてくれる存在は あたしが自分を見つめてこの世をより生きやすく変化していくために必要でありがたい存在だったりするわけで

 
ならば

あたしが知らぬ間に誰かを不愉快にさせているのも 

その誰かさんが うまいこと利用して いい具合に役立ててくださったらいいのになぁ

なんて思う

 

 

とはいえやっぱりできれば

周りの方々に不愉快さを感じさせるより幸せ感じていてもらって

それを分かち合っていたいじゃ〜ん

 
残念ながら Yのキャラはこんなんなんで(どんなんだ?)

極力 人様に不愉快さを振りまかないように

そよそよとなーんとなく漂い生きていくのが無難なんだろうな なんていつも思ってて・・・・それでいてもしかして なーんとなくそよそよと 幸せ気分を漂わせていられたら もう十分満足なんだけどなー

 

 

風のように・・・・・幸せ気分で心地よーい風になって生きていきたいんだけどなー

 

 


時空間っていう決まりごとを怪しむもうひとつの理由

2017-04-16 00:32:02 | この世観 あの世観 人間観

母方の祖母

「この先どうなるか」が分る人だった

すべてのことじゃないけどね

例えば 受験の合否とか 事がすんなりいくか いかないかとか 祖母に訊ねて言われたとおりになったことがいくつかある

 

どうなるか見えていてもいてもはっきりと言わなかったんだなって 今になって思い当たることもある

希望どおりの結果が得られない時なんかは「結果はダメ」とは言わずに

立ち直る方策なんかを何気なくアドバイスしてくれてたんだよね

 

私は祖母とのやりとりで 事の成り行きは決まっている という感覚が身についたのかもしれない

時間は流れていて 事はその流れとともに起きているというより

時間の流れとは 私が意識上で組み立てているもの(設定している)とでもいうようなもので

事の始まりも成り行きも時間とは関係なく在るものなんじゃないかと・・・

 

 

空間も・・・・

祖母はそこに行かずとも まるで今まさに目の当たりにしているかのようなことを言ったりした

私が家を建てたときも すでに身体の調子もよくなく目はほとんど見えなかったけど 家の外観や間取りをつらつらと話しながら「家には行けないけど満足」って嬉しがってくれてた

 

遠く離れて暮らしていたから会うことはごく稀だった

でも 時間や空間の枠からはみ出て物事を捉える感覚は祖母にとって特別なことじゃなかったのは確かで それが私の時空に対するイメージに影響したんだと思う

 

 

祖母が亡くなって何年になるだろう・・・・26、7年か・・・・?

 

25年ほど前

トイレで吐いていて 強烈に祖母を感じたことがある


祖母を感じたというより 祖母が感じていただろう感覚と一体になったかのような・・・その時は「なるほど!そうか!」ってとっても納得したんだけどね

 

 

これまた だからなに?って感じで

時間や空間を怪しもうがどうしようが

相変わらず私は「やばしっ!書類提出期限じゃ!」とか「瞬間移動したい!」なんて言いながら けっこう時間と空間に縛られ うぐぐぐっっ・・・・・なんでねぇ

・・・・( ̄ε ̄;)

 

あーぁ 楽しい時間と空間に埋もれまくっていたいなぁぁぁ