先週テトラミドを追加して中途覚醒は減ったものの変な夢ばかりみる。そして、結局、焦燥感に駆られながらスマホをいじって時間が過ぎていくという・・
これは去年と同じ流れだ。
やらなければいけないことがわかっているのに手がつかず、結局、無為に一日が終わる。
ひょっとしたら、もう限界なのかもしれない。大学院という選択は。
適性以前に意欲が湧かない。
だが、そもそも、何にも意欲が湧かないから適性で決めるという選択であったはず。
ならば、とりあえず、強引にどこかにねじ込むか学問自体を変えるかだろう。
とりあえず、心理学や臨床心理学は今年度ーつまり春入試で打ち切ろうと思う。
大学院と言うと、いつも他人に
哲学研究科ではないの?
と言われてきた。
だが、科学が究極的なことには何にも答えてくれないのに対して、哲学の答えは独りよがりだ。そして、もう答えなど出ている。いや、追求することを諦めているといった方が正しい。
何より、哲学における自分の限界を悟りきってしまっているのだな。
理解出来てもオリジナリティが出てこない。
個人の限界だけではない。博士論文の内容見ても、
~の~的解釈について、とかで何ともつまらない。学問自体が行き詰まっている。
でも、あれこれ言っても自分は場と人に影響される個体。
ともかくスマホのゲームはアンインストールして、最後の気持ちで臨もう。
そして、強引にねじ込んでから考えよう。
これは去年と同じ流れだ。
やらなければいけないことがわかっているのに手がつかず、結局、無為に一日が終わる。
ひょっとしたら、もう限界なのかもしれない。大学院という選択は。
適性以前に意欲が湧かない。
だが、そもそも、何にも意欲が湧かないから適性で決めるという選択であったはず。
ならば、とりあえず、強引にどこかにねじ込むか学問自体を変えるかだろう。
とりあえず、心理学や臨床心理学は今年度ーつまり春入試で打ち切ろうと思う。
大学院と言うと、いつも他人に
哲学研究科ではないの?
と言われてきた。
だが、科学が究極的なことには何にも答えてくれないのに対して、哲学の答えは独りよがりだ。そして、もう答えなど出ている。いや、追求することを諦めているといった方が正しい。
何より、哲学における自分の限界を悟りきってしまっているのだな。
理解出来てもオリジナリティが出てこない。
個人の限界だけではない。博士論文の内容見ても、
~の~的解釈について、とかで何ともつまらない。学問自体が行き詰まっている。
でも、あれこれ言っても自分は場と人に影響される個体。
ともかくスマホのゲームはアンインストールして、最後の気持ちで臨もう。
そして、強引にねじ込んでから考えよう。