前回の記事は、今まで学んだことの他に、
心理学をまじめに考える方法
という本を読んで、改めて心理学を志すことを決意したものである。
自身が自殺念慮という不条理に陥って視野狭窄になっている時でも、認識を拡げなければいけない。
今まで、基本的に公務員(行政、心理)、臨床心理士を目指したのは日本社会という狭い枠内でしか考えていなかった。そして、社会経済的な事情と病状も考えて30まで公務員にウェイトを置いてきた。
甘かった。
甘くて浅い考えでも公務員になるのはごまんといるが、個人的な信念として甘かった。
そもそも、二浪してしかも理転したのは、サイハテの責任に携わりたいという想いだったはずだ。
おそらく、それを変えてしまったのは、大学の生ぬるい環境。
高収入世帯出身の地方の均一な環境で育ち、当たり前のように高学歴を身につけた人達。
そこには根気強さはあっても、内部に苛烈なものを抱えているものはほとんどない。
(例外はいる。特に、部活動の指揮者。)
まあ、変わった末にまた戻ってきたのはいいが、今回学んだことは改めての連帯の重要さ。
一人で研究に没頭するのではなく、科学者たらんとする心理学者がお互いの研究の末に一つの知見にたどり着くこと。
それには独我論は別にすると、ニヒリズムは薄まる。
何故なら、科学者集団が人類の生命の最終責任を取るということが重要で、そのあとに何にも残らなくても、示さなくてはいけない。諸々の悲劇の結末を。
過去に死んでいって、もはや存在も認識も出来ない全てに対して。
心理学は人文科学であるべきではない。
(人間科学という名称もどうかと思うが。)
解釈の多様性を排除しなくてはならない。
この時期にこの本に出会えてよかった。
でも、今まで感銘を受けた本はほとんど海外の翻訳本なのは酷く残念だ。
(哲学は例外だが、彼らの根本的な思考は海外の哲学者の思考が基礎となっている)
文化差を超えて、日本はやはり文系学問で遅れていると言わざるを得ない。
それはもう、臨床心理学を代表してきた人がユング派なのにも示される。
(海外でも精神分析を信奉している人は多いが、この本では精神分析学会に所属する分筆者が精神分析を否定している。)
本当に本気で心理学者たらんとするならば留学だが、金銭病状の問題がつきまとう。
実験⇒⇄臨床(生態)という二項対立ではないこともこの本で分かった。
さて、それを踏まえて、どの心理学を志すか・・
心理学をまじめに考える方法
という本を読んで、改めて心理学を志すことを決意したものである。
自身が自殺念慮という不条理に陥って視野狭窄になっている時でも、認識を拡げなければいけない。
今まで、基本的に公務員(行政、心理)、臨床心理士を目指したのは日本社会という狭い枠内でしか考えていなかった。そして、社会経済的な事情と病状も考えて30まで公務員にウェイトを置いてきた。
甘かった。
甘くて浅い考えでも公務員になるのはごまんといるが、個人的な信念として甘かった。
そもそも、二浪してしかも理転したのは、サイハテの責任に携わりたいという想いだったはずだ。
おそらく、それを変えてしまったのは、大学の生ぬるい環境。
高収入世帯出身の地方の均一な環境で育ち、当たり前のように高学歴を身につけた人達。
そこには根気強さはあっても、内部に苛烈なものを抱えているものはほとんどない。
(例外はいる。特に、部活動の指揮者。)
まあ、変わった末にまた戻ってきたのはいいが、今回学んだことは改めての連帯の重要さ。
一人で研究に没頭するのではなく、科学者たらんとする心理学者がお互いの研究の末に一つの知見にたどり着くこと。
それには独我論は別にすると、ニヒリズムは薄まる。
何故なら、科学者集団が人類の生命の最終責任を取るということが重要で、そのあとに何にも残らなくても、示さなくてはいけない。諸々の悲劇の結末を。
過去に死んでいって、もはや存在も認識も出来ない全てに対して。
心理学は人文科学であるべきではない。
(人間科学という名称もどうかと思うが。)
解釈の多様性を排除しなくてはならない。
この時期にこの本に出会えてよかった。
でも、今まで感銘を受けた本はほとんど海外の翻訳本なのは酷く残念だ。
(哲学は例外だが、彼らの根本的な思考は海外の哲学者の思考が基礎となっている)
文化差を超えて、日本はやはり文系学問で遅れていると言わざるを得ない。
それはもう、臨床心理学を代表してきた人がユング派なのにも示される。
(海外でも精神分析を信奉している人は多いが、この本では精神分析学会に所属する分筆者が精神分析を否定している。)
本当に本気で心理学者たらんとするならば留学だが、金銭病状の問題がつきまとう。
実験⇒⇄臨床(生態)という二項対立ではないこともこの本で分かった。
さて、それを踏まえて、どの心理学を志すか・・