ブラジル時間の15日午後4時、日本時間ではきょうの明け方になりますが、イエズス・マリアの聖心会の司祭で、ブラジルで活躍したユスタキオ神父(Padre Eustaquio Van Lieshout)が列福されました。
修道会としては、ダミアン神父に続いて2人目の福者となりました。
ユスタキオ神父は、1890年にベルギーの農家に11人兄弟姉妹の8番目として生まれました。
小さい頃から司祭になりたいと感じていた彼は、しかしあまり勉強が得意ではなく、学校の先生からも父親からも高校への進学をあきらめるように言われていました。
が、15才となって司祭になるという思いをさらに深め、ついには父親を説き伏せて高校に進学していきます。
兼ねてから読んでいたダミアン神父の伝記に感化され、彼はイエズス・マリアの聖心会に入ることを決意し、同会の経営する高校に入りました。
高校では、とくに語学に苦労をしますが、彼の宣教師になるという強い意志に教師たちも応援しました。
苦学の末、ようやく1919年に司祭に叙階されました。彼が29才のときです。
最初の5年間はベルギー国内で奉仕し、1925年、いよいよ念願の宣教師としてブラジルに派遣されました。彼が35才のときです。
それから1943年に53才で病気で帰天するまでの18年間、彼はブラジルの人々、とくに病者と貧しい人々のために献身しました。
彼は、何かとくべつ大きなことをした、ということはありませんでした。
司祭として、その聖なる職務を全うしただけのことです。
が、彼の名をブラジル全土に知らしめたのは、ゆるしの秘跡と病者の訪問でした。
じっさい、それによって多くの人々にいやしをもたらしたのでした。
しかし、ブラジルの各地からあまりにも多くの人々が彼のもとを訪れるようになり、1941年には、常駐していた教会を離れざるを得ないほどでした。
それから帰天するまでの3年間は、ひとつの場所に留まることができず、「巡礼」の旅としての生活をしなければなりませんでした。
じっさい、偽名を使ってまで人々に居場所をわかられないようにしましたが、結局は見つかってしまい、多くの人が押し寄せ、その場所を去らなければならなかったこともありました。
それでも彼は、多くの病人の訪問と告解を聞くことに身をささげました。
そのような生活を続けていた1943年8月20日、ある病者を訪問したときから彼も病にかかり、肺炎のような症状になり、それが悪化してしまいます。
彼は自分の死が近づいたことを知り、その準備をします。
そして8月30日、友人の司祭に向かって「神に感謝」と言い、息を引き取りました。
ブラジルでは今でも、多くの病人をいやし、人々に平安をもたらした聖人だと、ユスタキオ神父は称えられているそうです。
ユスタキオ神父の列福を心からよろこびたいと思います。
そして、福者の取り次ぎによって、私たちにもこころとからだのいやしと平安がもたらされますように祈りたいと思います。
詳しくは、日本語がないのですが、下記のイエズス・マリアの聖心会の公式ホームページをご覧ください。
http://www.ssccpicpus.com/eusatquio/eustaquio.html
写真は、2003年7月初めに撮った山形の「あじさい参道」です。