2月7日に行われたユスト高山右近の列福式に、山形教会の小さな巡礼団と共に参加してきました。
会場は大阪城ホール。
主司式は、バチカンのフランシスコ教皇代理として来られた列聖省長官のアンジェロ・アマート枢機卿。
他に枢機卿・司教団が約30人、司祭団約300人、すべての参列者を数えると1万人にもなったとのこと。
フィリピンからは恩師のアントニオ(チト)・タグレ枢機卿も来られました。
他にも、韓国やベトナム、カンボジア、遠くはルクセンブルクからも司教の皆さんが来られ、とても国際的でした。
準備された地元大阪教区の皆さん、列福委員会や中央協議会の担当の皆さんは、本当に大変だったことがしのばれます。
とても素晴しい列福式でした。
そして、大変お疲れさまでした。
それにしても、大阪府内出身の右近が、各地を経由してマニラで帰天してから402年経って大阪に凱旋したわけで、これはすごいことだなと思います。
しかも開催されたのが大阪城ホール。
豊臣秀吉はなんと思ったことか。
この会場がが選ばれたのは、屋根付きで大人数が集まれるのが理由だったと思いますが、たいへん象徴的だなぁと思いました。
信仰によって日本とフィリピンの架け橋となった福者ユスト高山右近は、これからも国境や時代を超えていく信仰の架け橋となっていくことでしょう。
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式前の様子。立派なホールがほぼ満員になりました。
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翌日、高槻教会とその周辺にも巡礼してきました。これは、高槻城の痕跡を残す石。
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高槻城址公園内にある高山右近像。手には剣ではなく十字架が。
マニラの旧パコ駅前のロータリーにある右近像も同じものです。
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右近像の下で子どもたちが遊んでいました。
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これがカトリック高槻教会。別の右近像の後ろから一枚。
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これも右近像ですが、京都の著名な陶芸作家によるものだそうです。
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近隣の高槻市立第一中学校の正門。お城のような雰囲気。
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これは翌日、他のグループと一緒にミサをささげた茨木教会聖堂。
短い時間にもかかわらずおもてなしをくださった皆さん、ありがとうございました。
会場は大阪城ホール。
主司式は、バチカンのフランシスコ教皇代理として来られた列聖省長官のアンジェロ・アマート枢機卿。
他に枢機卿・司教団が約30人、司祭団約300人、すべての参列者を数えると1万人にもなったとのこと。
フィリピンからは恩師のアントニオ(チト)・タグレ枢機卿も来られました。
他にも、韓国やベトナム、カンボジア、遠くはルクセンブルクからも司教の皆さんが来られ、とても国際的でした。
準備された地元大阪教区の皆さん、列福委員会や中央協議会の担当の皆さんは、本当に大変だったことがしのばれます。
とても素晴しい列福式でした。
そして、大変お疲れさまでした。
それにしても、大阪府内出身の右近が、各地を経由してマニラで帰天してから402年経って大阪に凱旋したわけで、これはすごいことだなと思います。
しかも開催されたのが大阪城ホール。
豊臣秀吉はなんと思ったことか。
この会場がが選ばれたのは、屋根付きで大人数が集まれるのが理由だったと思いますが、たいへん象徴的だなぁと思いました。
信仰によって日本とフィリピンの架け橋となった福者ユスト高山右近は、これからも国境や時代を超えていく信仰の架け橋となっていくことでしょう。
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式前の様子。立派なホールがほぼ満員になりました。
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翌日、高槻教会とその周辺にも巡礼してきました。これは、高槻城の痕跡を残す石。
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高槻城址公園内にある高山右近像。手には剣ではなく十字架が。
マニラの旧パコ駅前のロータリーにある右近像も同じものです。
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右近像の下で子どもたちが遊んでいました。
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これがカトリック高槻教会。別の右近像の後ろから一枚。
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これも右近像ですが、京都の著名な陶芸作家によるものだそうです。
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近隣の高槻市立第一中学校の正門。お城のような雰囲気。
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これは翌日、他のグループと一緒にミサをささげた茨木教会聖堂。
短い時間にもかかわらずおもてなしをくださった皆さん、ありがとうございました。