今週のカトリック新聞にも取り上げられたように、フィリピン・マニラの大司教アントニオ(通称チト)・タグレ枢機卿様が、高山右近の帰天400周年記念行事に参加されるために先週来日されました。
神戸での記念行事の前に、枢機卿様は仙台と東京を訪れ、ミサを捧げられました。
ぼくも、2月2日に行われた東京カテドラルでのミサに参加してきました。
チト枢機卿様は、以前にもふぉと日記に書いたことがありますが、ぼくのフィリピンでの神学校時代の恩師の一人です。
教会についての実践的な内容の講義だったと思いますが、毎回聞き惚れて、学校の授業なのに深い感動をもって聴いていた覚えがあります。
その後、カビテ州のイムス教区の司教になられ、そして、マニラの大司教になられました。
ぼくよりも3歳年上なだけですが、本当に素晴しい方です。
今回、チト枢機卿様が東京に来られると聞き、ぜひご挨拶にと行かせていただきました。
ミサ前に控え室でお目にかかった時、自分の教え子が訪ねてきてくれたと、いつもの笑顔で迎えてくださいました。
そして、記念の写真も撮りました。
(残念ながら、このブログでは顔写真の掲載は控えさせていただきますが。)
カテドラルのミサには、フィリピン大使を始め、関東全域とその周辺からじつに多くのフィリピン人たちが駆けつけ、大聖堂は一杯になりました。
チト枢機卿様の語りかける説教は今回も本当に素晴しく、また感動しました。
何よりもまず話し方が素晴しいのです。
皆の心をひきつけ、そしてやさしく教え、励まし力づけてくださるのです。
司祭としても、彼はぼくの理想像を生きておられます。
心から尊敬しています。
その日は、主の奉献の祝日で、ルカ福音書の幼子イエスの神殿での奉献の場面が読まれました。
テーマは「光」です。
以下、チト枢機卿様のお説教の要約を記しておきます。
**************************
「光」について、3つの大切なポイントがあります。
1 イエスご自身が光であること
わたしたちはイエスの内に真の光があることを見つけます。世の中には偽の光にあふれていますが、この真の光を求めなければなりません。
宣教師は、お月さまです。イエスという太陽の光を浴びて反射させていきます。
2 この光は、じつに日常的でささやかな方法で、いつでも普段の場所で見いだすことができます。何も、特別で大きな出来事を望まなくてもよいのです。
教皇フランシスコは、先日フィリピンを訪れた時、じつに普通の人々との交流を大切にされ、多くの感動的な出会いを体験されました。
3 どのような人が光であるイエスを見いだすことができるでしょうか。それは、シメオンとアンナの姿に示されています。
まず、彼らは祈る人でした。そして、霊的に貧しく、ただ神により頼む生き方をしていました。最後に、彼らは救い主に会いたいと、ずっと強く望んでいました。
さあ、わたしたちはどのようにして光であるイエスを受けるでしょうか?
**************************
チト枢機卿様は、ミサの最後に次のようにも言われました。
「フィリピンから来たあなたがたは、日本に仕事や勉強、結婚のためだけに来たのではありません。宣教師となるために来たのです。
あなたがたは、福音を、喜びを持って生きることを通して宣教するのです。」
じつに素晴しいミサでした。
神に感謝。
神戸での記念行事の前に、枢機卿様は仙台と東京を訪れ、ミサを捧げられました。
ぼくも、2月2日に行われた東京カテドラルでのミサに参加してきました。
チト枢機卿様は、以前にもふぉと日記に書いたことがありますが、ぼくのフィリピンでの神学校時代の恩師の一人です。
教会についての実践的な内容の講義だったと思いますが、毎回聞き惚れて、学校の授業なのに深い感動をもって聴いていた覚えがあります。
その後、カビテ州のイムス教区の司教になられ、そして、マニラの大司教になられました。
ぼくよりも3歳年上なだけですが、本当に素晴しい方です。
今回、チト枢機卿様が東京に来られると聞き、ぜひご挨拶にと行かせていただきました。
ミサ前に控え室でお目にかかった時、自分の教え子が訪ねてきてくれたと、いつもの笑顔で迎えてくださいました。
そして、記念の写真も撮りました。
(残念ながら、このブログでは顔写真の掲載は控えさせていただきますが。)
カテドラルのミサには、フィリピン大使を始め、関東全域とその周辺からじつに多くのフィリピン人たちが駆けつけ、大聖堂は一杯になりました。
チト枢機卿様の語りかける説教は今回も本当に素晴しく、また感動しました。
何よりもまず話し方が素晴しいのです。
皆の心をひきつけ、そしてやさしく教え、励まし力づけてくださるのです。
司祭としても、彼はぼくの理想像を生きておられます。
心から尊敬しています。
その日は、主の奉献の祝日で、ルカ福音書の幼子イエスの神殿での奉献の場面が読まれました。
テーマは「光」です。
以下、チト枢機卿様のお説教の要約を記しておきます。
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「光」について、3つの大切なポイントがあります。
1 イエスご自身が光であること
わたしたちはイエスの内に真の光があることを見つけます。世の中には偽の光にあふれていますが、この真の光を求めなければなりません。
宣教師は、お月さまです。イエスという太陽の光を浴びて反射させていきます。
2 この光は、じつに日常的でささやかな方法で、いつでも普段の場所で見いだすことができます。何も、特別で大きな出来事を望まなくてもよいのです。
教皇フランシスコは、先日フィリピンを訪れた時、じつに普通の人々との交流を大切にされ、多くの感動的な出会いを体験されました。
3 どのような人が光であるイエスを見いだすことができるでしょうか。それは、シメオンとアンナの姿に示されています。
まず、彼らは祈る人でした。そして、霊的に貧しく、ただ神により頼む生き方をしていました。最後に、彼らは救い主に会いたいと、ずっと強く望んでいました。
さあ、わたしたちはどのようにして光であるイエスを受けるでしょうか?
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チト枢機卿様は、ミサの最後に次のようにも言われました。
「フィリピンから来たあなたがたは、日本に仕事や勉強、結婚のためだけに来たのではありません。宣教師となるために来たのです。
あなたがたは、福音を、喜びを持って生きることを通して宣教するのです。」
じつに素晴しいミサでした。
神に感謝。