●○● 個人クリーニング店の『安心力』! ●○●
●○ 選ばれるお店になるよう心がけています ●○
お気に入りの「レストラン」「ヘアサロン」「病院」であれば、多少遠くても行きますよね。
毎回は行けなくても『ここぞ!』という時に思い出して頂ける
皆さまの 『お気に入りのクリーニング屋さん』 としていただける様
日頃より心がけて営業しています。
アンジェがあるということを、
ぜひ!あなたの服で一度 お試しいただいて 当店を知っておいてくださいね!
前回までのあらすじはこちらから
前回までのあらすじはこちらから
開業当初、「スナック店 + クリーニング店」 だった、まつばドライ・・・
やがて、スナックをたたみ、クリーニング店の敷地を拡張します。
やがて、主・小澤の長男が成人すると 家業「まつばドライ」を一緒に盛り上げる
メンバーとして、加わることになりました。
まつばドライも「2世代目」が加わりパワーアップ!!
長男の加入と共に、取次店を増やしていくことに・・・
◆1つ目
ここは、小澤孝の兄弟の家である「まつば本家」。
今も面影が残っていますが、この場所には「小澤商店」というお店がありました。
小澤の兄弟が営むこの商店でクリーニングの受渡し窓口の場所を設けていました。
◆2つ目
今は、花屋さん?(確かではありませんが)
当時この場所に雑貨屋があったそうです。【フィットネスクラブの向かい】
そこのレジカウンターにて クリーニングの取次所を設けていました。
そしてこのころは、バブル景気の真っ盛り! クリーニング業の需要も絶頂期でした。
つづく
次回もよろしく~
いま、当店は 「クリーニング アンジェ」 という名前です。
この店名は、2007年3月に店舗のリフレッシュ・リニューアルを行なったときに名づけたあたらしい名前。
それまでは、「まつばドライ」という名前で同じ場所で1986年から営業していました。
創業の”主(あるじ)”である 小澤孝の生家の 屋号 だった 「まつば」
というネーミングを 店名にあしらっていました。
主の小澤(昭和8年生)は、もともと このライフタウンの地にあった農家の生まれ。
幼少のころは、ライフタウンの地は 何もない 森・田畑 の中にぽつり・ぽつり といくつかの農家があるだけの
淋しい農村地帯だったそうです。
今でこそ、辻堂駅方面へは 大庭隋道というトンネルがありますが、このトンネルができる前は
それこそ、「陸の孤島」だったそうです。
そんな、農村地帯ではあったのですが 昔は 近隣に「大庭城」があり その城下町でもあった大庭の小澤の生家は
大庭城の武士・お侍さんが武道の弓矢を練習する「的場(まとば)」があったそうです。
そこで、小澤家には屋号として「まとば」がなまった「まつば」という、名が与えられたそうです。
なので、この地に住んで、2世代・3世代続く家の人なら 「まつば」 といえば、あそこの人だね! と わかるそうです。
アンジェの前身『まつばドライ』はライフタウンの地で1986年からクリーニング業を営んできました。
そもそも、まつばドライの始まりは初代 主(あるじ)の小澤孝が47歳の時にさかのぼります。
藤沢市大庭出身の小澤は兄弟が多く 学校を卒業するころになると故郷・藤沢を離れます。
色々な縁のすえ、東京でクリーニングの修行していきますが、数年後独立し
東京の板橋でクリーニング店を開業しました。
当時、高度経済成長期の昭和30年~40年代。高価な衣服が増え、
クリーニング店はどこも時代とともにかなり繁盛していたそうです。
約20年の間、東京板橋で営んでいたクリーニング店を閉め 家族を引き連れて故郷・藤沢に帰郷します。
そして、故郷で 屋号「まつば」を店名にして あらたにクリーニング店を開業します。
故郷を離れた昭和20~30年代とは藤沢も様変わりし、昭和40年代後半から藤沢市北西部は大規模な宅地開発すすみ
湘南ライフタウンという名の付くニュータウンとなり、年を追うごとに住宅やマンションが増えていく新興住宅街になっていきます。
その宅地開発と共に、人口が増え、お客さまが増えていきました。
現在のクリーニングアンジェがある通りは、業務スーパーから 中に入った住宅街の一角の小さなクリーニング屋さんですが。。。
「湘南とうきゅう」(平成8年)が開業するまでは、現在のアンジェがある道沿いは
病院 薬局 八百屋に肉屋 文房具屋や寿司屋 電気屋 中華料理店など が立ち並ぶ ライフタウンでも1・2を争う 商店街として、かなり賑わっていた。とのことです。
そして、今現在、当店にてクリーニングの受付をしている「店舗カウンター部分」は、
まつばドライ開業当初の1980年代は「喫茶店兼スナック」でした。
つづく