今日は、クリーニング創世記のお話です・・・
元町や山下公園から、港のみえる丘公園へ登っていく「谷戸坂」の下に
「クリーニング発祥の地」という記念碑が建てられています。
これは、「昭和48年(1973)、神奈川県クリーニング環境衛生同業組合、
全国クリーニング 同業組合有志によって建てられた」そうで、
碑文には、日本における西洋クリーニングの始まりに関わった人物の名前と
そのいきさつが、刻まれています。
1859(安政6)年。青木屋忠七に「外国人衣類仕洗張」という営業許可書が出て、 外国人相手の洗濯業「クリーニング」を始めました。
しかし、本格的に西洋洗濯業を始めたのは、
長崎で西洋洗濯を学んだ渡辺善兵衛。
1861年(文久元)太田町八丁目で開業し、続いて小島庄助が石川口で開業しました。
当時、店の前の小川にある丸い石に衣類を叩き付けて洗濯ていたのだそうです。
クリーニングは、今のドライクリーニングとは違い、あくまで、水洗い。
西洋式の立って洗ったり、アイロンをかけたりという洗濯は、足で踏んだり、
しゃがんで洗っていた当時の日本人にとって、とても珍しいものでした。
『西洋万物図』「センダク」の説明には、「おけにミづをいれ、かくのごとくの、 くるまをしかけてあらうなり」と書かれています。
近代企業としてのクリーニング業は、
フランス人ドンバルの技術指導により、記念碑が建っている谷戸坂で、
脇沢金次郎が大々的に営業。近くに、フランス・イギリス軍が駐留していたこともあり、
士官や兵士たちの洗濯を請け負っていました。
又、明治10年頃には「横浜有名西洋洗濯鏡」という番付表も制作されました。
その中に登場するクリーニング屋さんの圧倒的多数が、
現在の元町から本牧方面にかけて、外国人居留地の近くにありました。
手先が器用な日本人の洗濯技術は大変すぐれており、外国人に大変喜ばれたのだそうです。
機械もない時代の手洗いのクリーニングは、さぞかし大変だったことでしょう。
ちなみに、ドライクリーニングは、1907年(明治40)に
白洋舎の創設者である五十嵐健治さんが始めたのだそうです。