◇もっとも印象に残った球児
47.長崎
酒井 圭一 投手 海星 1976年 夏
甲子園での戦績
92年 夏 1回戦 〇 2-1 徳島商(徳島)
2回戦 〇 8-0 福井(福井)
3回戦 〇 1-0 崇徳(広島)
準々決勝 〇 4-2 東北(宮城)
準決勝 ● 2-3 PL学園(大阪)
今でこそ長崎は、
高校野球の世界では『強豪』と言われるようになりましたが、
佐賀県と並んで長く高校野球の世界では『野球不毛の地』というありがたくない称号をつけられていました。
09年に選抜で清峰が今村投手の力投で優勝。
初めて長崎の地に大旗が翻りましたが、
その前までの数十年間は苦難の道のりでした。
そんな中、
世間の耳目を一身に集めた『怪物』が存在した年がありました。
1976年です。
この年、
高校野球ではふたつの【巨星】が輝いていました。
一つは原辰徳の東海大相模。
毎年【優勝候補】に挙げられていたこの大型チームは、
ストライプのユニフォームを身につけた『都会のスマート』なチームの象徴でもありました。
そしてもう一つは、選抜優勝の崇徳高校。
広島からこの年新たに出現したこのチーム。
『広島と言えば広商と広陵』という厚い壁を破って出てきたこのチーム、
『細かく抜け目なく』という広島野球のイメージを覆す、
大型チームでした。
剛腕エースの黒田、ありえないような俊足の山崎、強打の小川・応武ら、
全国でも類を見ないほどの『サムライ軍団』。
魅力にあふれたチームでした。
しかしこの年の選抜以降、
この両チームから話題を奪ったのが、
『長崎のサッシ-』酒井投手でした。
『なんだかものすごい投手が、長崎にいるらしい』
ということが全国に漏れ聞こえてきたのが選抜後。
そして九州大会が開催されると、
その噂は瞬く間に全国に広がります。
海星の酒井は、すごい!
春の長崎県大会と九州大会で無失点記録を伸ばし、
しかもほとんどのアウトをその豪快な速球で奪っていく剛腕は、
『(3年前の)江川の再来』として注目され、
さらに噂が噂を呼び、
夏の大会の前には原、黒田をもしのぐフィーバーぶりを見せました。
果たして長崎県大会の島原中央戦。
酒井はものすごいピッチングを見せました。
なんと初回から6回まで、
16連続奪三振。
江川ですら記録していないようなすごい記録を引っ提げて、
最後の夏に甲子園切符を掴み取りました。
(ちなみに島原中央、弱いチームではありませんよ。数年後には甲子園も掴み取ったぐらいのチームです。)
7試合で70奪三振。失点はわずかに1でした。
そんなサッシ-・酒井。
ちなみにサッシ-という異名は、
この年ネス湖の”ネッシー”の存在がブームになっていたため、それにちなんで『怪物』サッシ-となったようでした。
こんな形で注目を浴び続けて迎えた甲子園初戦、
酒井には苦く厳しい試合となりました。
徳島商に先制され、
終盤まで相手の小柄な左腕、山本投手に打線は翻弄され続けました。
『まさか、初戦で敗れるのでは』
と思った8回にようやく同点に追いつき、
延長10回にサヨナラで初戦を何とか飾りました。
酒井は本来のピッチングとは程遠かったものの4安打1失点で、
10回をまとめたところに彼の能力の高さを感じることが出来ました。
2回戦は福井が相手。
この福井(現福井工大福井)、
初出場ながら選抜8強入りした強豪でした。
しかしこの試合での酒井はすごかった。
『これが本当の酒井かあ』
と感嘆の声をあげるほど、
ビシビシと速球を内外角に投げ分け、
2安打無四球で楽々完封してしまいました。
ワタシは福井がかなりの相手だと思っていましたので、
その福井にこのピッチングをする本来の酒井を目の当たりにして、
『やっぱり優勝は海星が本命かなあ』
という思いを強くしました。
この試合、
途中で降雨のため長い事中断しましたが、
そんなことものともしない強さが酒井にはありました。
迎えた3回戦。
相手は選抜優勝の崇徳でした。
相手の黒田は初戦で発熱して途中降板。
『本調子ではない』
と言われていましたが、
そこは『ドラ1確実』と言われた剛腕。
この剛腕との投げ合いに向け、しっかりと調子を整えてきました。
そして酒井-黒田の投げ合いは、
今大会のハイライトとなりました。
選抜を制した崇徳は、
黒田と並んで『原爆打線』と言われる超高校級の選手を並べた強打線が看板。
初戦でも10点を挙げ、
不調の投手陣をしっかりサポートしました。
おりしも2回戦で、
優勝候補と言われた東海大相模が、
選抜準優勝の小山に敗れ去っていました。
『やっぱり選抜組は強い』
といわれての、この日の対戦でした。
この試合、
両投手の質の高い投手戦という意味では、
三沢-松山商戦に匹敵するぐらいの、
ものすごく質の高い対戦となりました。
【ザ・投手戦】
といった趣でした。
両投手ともに、
まったく相手打線に付け入るスキを与えず。
酒井は【剛球】を軸にして被安打2、8三振を奪えば、
黒田もキレのいい速球にカーブを武器に被安打3、9奪三振という投球内容でした。
0-0で迎えた7回表。
決着は、
意外な形でつきました。
この回2死3塁と、
初めてと言ってもいいチャンスをつかんだ海星は、
次打者が黒田の速球に詰まってボテボテノあたりを放ちます。
ピッチャーとキャッチャーのちょうど中間に転がったその当たり。
一瞬キャッチャーが躊躇し、
それから1塁へあわてて送球しますが、セーフ。
結局この1点が決勝点となり、
崇徳の春夏連覇の夢はついえたのでした。
やはりこの試合。
酒井のピッチングがすごかった。
あの崇徳打線を2安打に抑えるなんて、
他の投手には絶対にできない芸当でした。
長身から放たれる速球は伸び、
力のある崇徳打線といえど、ほとんどの打者は手元で伸びる速球に詰まらされました。
酒井がこの夏、
一番光を放った試合でした。
準々決勝に進出した海星でしたが、
この3回戦をピークに、
酒井は徐々に本来のピッチングからは遠い出来になっていきます。
コントロールがばらけだし、
準々決勝の東北戦では押し出しも与えてしまいました。
準決勝のPL戦は、
かなり疲れの色が濃く初回からアップアップのピッチング。
粘り強いPLの打者に粘られ、
延長11回ついに決勝点を奪われて敗退してしまいました。
しかし、
なんだかんだ言っても酒井のピッチングはすごかった。
これだけの強豪に当たり続けながら、
5試合48イニングでわずかに与えた安打が16本。
3イニングに1本しかヒットを打たれなかった計算になります。
これは金属バットが導入されてからということを考え合わせれば、
驚異的な数字だと思います。
颯爽とデビューした剛腕・酒井。
しかしプロ入りしてからは、
その豪快な投球を見せることはありませんでした。
江川を除くこの頃の剛腕。
この酒井にしろ、黒田(崇徳)、土屋(銚子商)、永川(横浜)、工藤(阪神)にしろ、
どの投手もプロでは大成できませんでした。
時代が・・・・・と言ってしまえばそれまでですが、
しきりに『甲子園での酷使』が原因ではないかということが言われていましたね。
プロ入りした選手たちが、
高校時代の豪快な投球を見せることなくプロ野球界を去っていく姿、
何度もさびしく見送りました。
今のようにケアの行き届いた時代を過ごしていたならば・・・・・
と思わざるを得ません。
ところで、
この大会、
海星をはじめ、東海大相模、崇徳、小山、柳川、豊見城・・・・・。
豪快で大型のチームが目白押しでしたが、
優勝したのは無印もいいところの桜美林(西東京)でした。
そして決勝の相手は、まだまだ”無敵”となる前の全員野球が身上のPL学園でした。
この”無印”同士の決勝は、
しかしながら久しぶりの【東京-大阪決戦】ということもあって、
例年よりさらに盛り上がることになりました。
皮肉なもんですよね。
そして、この年を最後に『東海大相模フィーバー』は終了し、
甲子園は新しい時代に入っていくのでした。