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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

最も印象に残った球児   17.神奈川(その2)

2012年07月20日 | 高校野球名勝負

最も印象に残った球児

17.神奈川(その2)



松坂 大輔  投手  横浜   1998年 春夏  


甲子園での戦績

98年春   1回戦    〇  6-2    報徳学園(兵庫)      
        2回戦    〇   3-0    東福岡(福岡)
        準々決勝  〇  4-0    郡山(奈良)
        準決勝    〇  3-2    PL学園(大阪)
        決勝     〇  3-0    関大一(大阪)
    夏   1回戦    〇  6-1    柳ヶ浦(大分)
        2回戦     〇  6-0    鹿児島実(鹿児島)
        3回戦     〇  5-0    星稜(石川)
        準々決勝  〇   9 -7   PL学園(大阪)
        準決勝    〇  7-6    明徳義塾(高知)
        決勝     〇   3-0    京都成章(京都)

 

前回の東海大相模の原辰徳。
彼はどちらかというと”話題先行型”の選手でしたが、
横浜高校の松坂は、
1998年の高校野球界で、
『記憶にも残るし記録にも残る』大選手でした。

春夏連覇をしたという以上に、
ワタシはこのチームが”1年間公式戦で負けなかった”というほうが、
ものすごい偉業に感じられます。

過去春夏連覇をしたチームやそれに準ずるチーム、
作新学院、中京商、箕島、PL学園、駒大苫小牧など、
素晴らしいチームはいくつもありましたが、
この年の横浜のように【1年間無敗て駆け抜けた】なんて、
聞いたこともありません。

前代未聞というよりも、
空前絶後の出来事なのではないでしょうか。


その横浜の大黒柱として、
『大事なところでこそ力を出す』松坂の存在は、
日本の野球史を塗り替えるほどのインパクトがありましたね。


さかのぼる97年の夏の神奈川大会。
すでに『2年生エース』として大会屈指の評価もあった松坂は、
準決勝で9回に乱れ、
Y校に逆転サヨナラ負けを食らってしまいます。

そして秋。

秋の陣が開始されると、
ワタシの注目はもちろん松坂。
『彼はどのくらい成長したのだろうか』
と、
期待に胸を膨らませていました。

『横浜が圧倒的に強いらしい』
という前評判を聞いてはいたものの、
県大会の序盤は手探りのような戦いもあり、
『どうなのか』
と思ったりもしていましたね。

しかし、
県大会⇒関東大会
と進むうち、
『こりゃあ、強い!』
と感嘆するほどの姿、
横浜は見せてくれました。

そして『秋の全国大会』と言われる明治神宮大会でも、
松坂はMax145キロと言われる速球を軸に楽々と優勝。
決勝の相手は、
【東の松坂 西の新垣】
と言われていた沖縄水産の新垣。

しかしこの沖水相手にも全くスキを見せなかった松坂と横浜高校。
『こりゃあ、久しぶりにセンバツは期待できるな』
というのが、ワタシの感想でした。

松坂は速かった。

そして一冬超えて、
彼はセンバツでその成長した姿を全国に披露してくれました。

選抜での横浜の戦いぶりはまさに盤石。
準決勝のPL戦こそやや苦戦しましたが、
観戦していて負ける気は全くしませんでした。

松坂は一人『次元の違う』投球を見せていました。
速球以上に、
縦に落ちるスライダーの精度が上がったのが、
彼の成長のバロメーターだったのではと思います。

『簡単に勝ったなあ』
というのがこの春の印象。

そしてこの最強チームは、
夏に向かっていきました。

夏に向かう道すがらでの春の県大会から関東大会。
ここでも横浜は、
全くスキを見せずに完勝。

この年までの10数年、
ワタシの横浜高校に対する印象は、
『大型チームだけどモロイ』
というものでした。

実際甲子園には出場するものの、
そこでの実績は皆無に等しいものでした。

しかしこの年の横浜、
そんなことはどこ吹く風。
甲子園で負けていた時代見せた横浜ナインの『力みかえった、あるいはこわばった余裕のない表情』
はすっかり消え失せ、
『選手の気合いがそのままたまに乗り移る』というい~感じを、
画面の上からも感じることが出来ました。

『この夏も負けないな』

そんな感じを抱いていました。

夏の県予選での松坂は、
投手としてはあくまで【調整】ぐらいの感覚での登板しかありませんでした。
それほど他校とは力の開きが大きかったのです。
(実際この年は、記念大会ということで神奈川は2分割され、横浜以外の強豪はほとんど別地区にいましたから)

逆に彼のバッティングはものすごかった。

この県大会での彼のバッティングを思い出すにつけ、
プロに入ってから彼のバッティングが見られなくなってしまったことを惜しいと思っていました。


甲子園に来てからもナインは余裕綽々。
初戦・柳ヶ浦、2回戦・杉内の鹿児島実、3回戦・星稜と、
いずれ劣らぬ強豪との対戦が続いたものの、
『次元が違うんだよ』
と言わんばかりの完勝続きで、
横浜は快進撃。

松坂はさすがに甲子園では全試合先発&(ほぼ)完投。
相手を寄せ付けないピッチングは光っていました。


準々決勝の相手があのライバルPLと決まっても、
ワタシはさほど脅威も感じず、
『今度は春よりは点差がつくかもね』
ぐらいにしか思っていませんでした。

実際PLの勝ちあがりっぷりは決して褒められたものではありませんでしたし、
春より実力が上がったとは思えませんでしたので。


しかし・・・・・・
やはりPLはすごかった。

横浜と対戦するときだけ【大変身】して見せたこの年のPL。
決してトータルで強かったチームとは思いませんでしたが、
恐ろしいほどの気迫はすごく、
【これぞPL魂】というところを存分に見せてもらいました。


営業で出歩きながら、
合間にラジオで聞いていたこの試合。

『まさか、まさか』
ばかりでした。

最初に聞いた時が確か3回表。
まさかの0-3という展開でした。

『あの松坂が3点も』
というのが信じられず、
何度も聞き直したほどです。

その後は聞いたり聞かなかったりしながら延長へ。

11回に1点ずつ取り合ったのは聞けず、
確か13回ぐらいに我慢できずに、
喫茶店に入って観戦してしまったのでした。

すでにその喫茶店でも、
試合には大盛り上がり。

16回の攻防は、
まさにいい年をしたおっさんたちが、
テレビの前で息を飲んでいるという光景が広がったものです。

16回の横浜の勝ち越し、
そしてPLの執念の同点劇。
1塁手の足を払いに行ったPLの打者走者に、
恐ろしいばかりの執念を感じました。

『さすがは逆転のPL!』

16回に追いつかれた時、
さすがのワタシも『今日は(横浜)負けるかも』
という予感めいたものが襲いました。

しかし17回、
常盤の正に乾坤一擲のライトスタンドへの一発が飛び込んだ瞬間、
喫茶店の中は『ウオ~~~~~』
という大歓声に包まれたのでした。

ワタシは松坂という男、
この試合で『本当の凄さ』を出してくれたと思っています。

9回までにヒットを連ねられて5失点。
11回にも追いつかれたものの、
あの炎天下の中で、
毎回PL相手にサヨナラ負けのプレッシャーを背負いながら淡々と打者を打ち取っていく姿。

『こいつあ~スゲ~や』

と思って見守っていました。

楽々完封する彼より、
150キロ近い速球を投げ込む彼より、
こういった極限状況でしっかり投げられる彼に、
投手としての本当のポテンシャルの高さを感じましたね。


17回を投げて疲労困憊の彼。

次の日の明徳戦では、
9回に出てきて『場の雰囲気を変え』て、
大逆転劇を呼び込みました。

決勝ではノーヒットノーラン。


栄光に彩られた彼ですが、
あのPL戦の延長で見せた鬼気迫るピッチング。

忘れることのできないものです。

そして横浜高校は、
春夏連覇を達成。

その後の国体も制して、
なんとなんと、
【1年間公式戦無敗】
を達成してしまったのです。


この年に限って言うと、
心技体ともに横浜高校の野球は他校を大きく引き離していたといえるでしょうね。

だけど、
そんな中でも夏の大会というのはあそこまで追いつめられてしまう。

≪夏は何が起こるかわからない≫

というのは、
まさにその通りだと思います。

そして、
だからこそ≪夏の甲子園≫というのは、
あそこまで盛り上がるのだと思います。



栄光に彩られた松坂投手。

西武に入団後も、
順調な歩みを続けてMLB・レッドソックスに移籍していきましたが、
30を過ぎて『本当の試練』に直面しています。

しかしながら、
『試練の時ほど力を出す』彼のこと、
必ずやこの試練を乗り越え、
日本のファンの前にあの剛速球を投げ込む姿を、
見せてくれることと思っています。


【高校野球の歴史で最高の投手】
とワタシが信じて疑わない、
松坂投手の軌跡でした。


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