でも大日本帝国がポツダム宣言を受諾して敗戦が決まったのは、本当はその5日前でした。
8月10日には、既に外交ルート(中立国だったスイスとスウェーデンの公使)を通じてポツダム宣言受諾が連合国側に伝えられ…
多摩送信所から世界に向けて、電信により「日本降伏」のニュースが繰り返し発信されています。
日本の降伏を日本人(戦地の兵隊も国内の一般人も)が知らされないうちに、世界は知っていたのです。
そういう事情なので、前線での戦闘はやまず、8月14日には埼玉の熊谷が激しい空襲を受け、多くの犠牲者が出ています。
鈴木貫太郎内閣が天皇の詔勅を作成したのは14日の夜で…
8月15日の正午になって、ようやく昭和天皇の「玉音放送」があったわけです。
当時の大日本帝国は、天皇を神として戴くカルト宗教国家だったので…
これは驚異的な効果を発揮し、それまで「一億玉砕」「最後の一兵まで戦う」と叫んでいた国民は、一瞬にして敗戦を受け入れたのです。
なので、アジア太平洋戦争での日本の「敗戦」を記念する日、ということなら、この日を特別視するのはありなのかもしれないです。
ただ「終戦」という言葉を使っている限り、何か災害や災厄が終わった、というような印象が付きまとって、戦争というものの本質がぼやかされてしまいます。
戦争は地震や台風とは全く違うものです。人間が…誰かや誰かたちが始めなければ決して起きないものです。
単なる災厄ではない。
そしてあの戦争は「軍部」だの陸軍だのが暴走して始まった、などというものではなかったのです。
むしろアジア大陸と太平洋地域での拡大主義と好戦論は、在郷軍人会をはじめとする草の根の右派や、排外主義者たちが、エリート軍人や政治家らを突き上げる形でエスカレートしたものでした。
それが、ラジオと新聞によって煽りたてられたことにより「世論」となってどんどん拡大強化され、広まって行ったのです。
むしろ外交や軍事の専門家たちには、大陸での戦線の拡大には否定的な者が多く…
まして国家の上層部にいた人々のほとんどは、米国との全面戦争など全くしたくなかった、と言った方がいい。
敗戦後の東京裁判でA級戦犯、すなわち軍部のエリートたちが「下からの突き上げを抑えられなかった。無理に抑えたら内乱になりかねなかった 」と言い訳したのも…
まるきりのデタラメなどではなかったのです。
それは国民自身、社会全体の戦争責任が問われるところです。
実は国民は、全くの被害者などではなかった。メディアに煽られたとはいえ…
「自らが欲し、招いた戦争」の結果として、惨禍に見舞われた一面を無視するわけにはいかない。
その大事な点を「終戦」という言葉が覆い隠してしまう。
だから「終戦記念日」という言葉は使わずにいるべきだと思います。
また、あの玉音放送の期日をもとにすると、どうしても大戦末期の戦争被害だけを振り返る、という方に向きがちです。
確かに戦闘員、非戦闘員含め約300万人の日本人が命を落とした戦争は悲惨なものでした。
しかしそこに至る過程で、日本軍の占領、活動地域で命を奪われたアジアの人々は、合わせてその10倍の数に登ります。
それはすべて、日本の帝国主義的拡大戦略と、戦闘行為がなければ出なかった犠牲です。
8月15日、玉音放送の日にだけ焦点を当ててあの戦争を振り返るとき、我々はその「加害」の側面…
日本人の10倍の数にも上る死者を出した、アジアの人たちが受けた戦争被害と、正しく向き合うことができるでしょうか?
そこを見ないということは、あの戦争を半分以上、そして「二度と起こさない」ためには一番肝心な部分を、忘却のゴミ箱に捨てて、フタをしてしまうことになります。
実際マスコミの主流はそうして来たわけで、従って戦後ずっと日本の大衆の戦争観は、空襲の被害者としての視点ばかりに焦点を当てたものになってしまいました。
平和を望む意識の高い人たちの間でさえも。
だから、あの戦争を8月15日にだけ振り返ることにも、それを「終戦記念日」と呼ぶことにも、私は反対です。
どんな国にも「黒い歴史」はあります。全く身ぎれいで、罪や過ちを犯したことのない国など…
あるかもしれませんが、自らを先進国や大国とみなしているような国々のなかには、間違いなく、ひとつもない。
日本だけは天使のように身ぎれいな絶対正義の国だ、などと国民の多くが思い込んだならば…
近い将来必ず、この国は大きな戦争の火だねとなることでしょう。
その結果は、先の敗戦よりもはるかに悲惨なものになるに違いありません。
もしかすると、日本人はずっとずっと先まで、独立国を形成することが出来なくなり…
事実上、この国の文化まで滅ぶことになるかもしれないです。
それでいいですか?
良くないならば、8月15日とか「夏だけ」に限定して戦争を振り返るのではなく、折に触れて「どうしてあんなことになったのか」「あれは何だったのか」を、問い続けるようにしないと。
でないと、あの戦争の中で亡くなって行ったすべての日本人と、その10倍のアジア諸国の人々の死が、無駄死にになってしまいます。
彼らに呪われますよ。
というわけですが、昨日は、小倉唯さんの29歳の誕生日でもありました。
なので私は、千鳥ケ淵に行くわけでもなく、チャラチャラとこんなイベントに参加していました。
唯さんの29回目のお誕生日にあたる昨日、渋谷のLINECUBE渋谷(渋谷公会堂)で「唯涼祭」と称するものが開催されたのです。
会場に置かれた、ファンからのお祝いのフラワースタンド。
贈り主の連名の中に、私のニックネーム「バロリスタ」もあります。
まあ内容は、ライブパート以外はたわいもないものだったので、ご紹介するまでもないのですが。
ただ、彼女がラジオのコメントの中で、過去、数度にわたって言っているのは…
私の活動の目的は、嘘でもふざけているわけでもなく、究極的には「世界の平和」だ、ということ。
誕生日が8月15日であるということに、もしかすると、特別な意識を持っているのかもしれません。
戦争に限らず、暴力や、他人との争いごと、すべての「乱暴なこと」を嫌っている彼女でもありますし…
とにかく、人が悲しんだり傷ついたりすることをしたくないし、誰かにさせたくもないというのは…
彼女の言動の中で終始一貫していることではあります。
ひとつだけ、このイベントを通じて印象に残ったことを書くとすれば…
来場しているファンの中に「スカート男子」を、少なくとも二人、見かけたことです。
過去にはライブ会場に、ふざけてか何か分かりませんが、唯さんをまねたコスプレをして来る男性がいました。
でも昨日の彼らは、明らかにそれではなく。
また「女装」をしているわけではないことは、はっきり見て取れました。
雰囲気から「MtF」のトランスジェンダーの人でないのも分かりました。
あくまでも「男の装い」として、コーディネートの中にスカートを採り入れた、お洒落超上級者たち。
それが私の目から見て、すごくかっこよかったのです。
黒などの濃い色が基調だったので、ちょっと暑そうではありましたけれど。
雰囲気としては、バンド「LADWIMPS」のボーカルである、野田洋次郎を思い浮かべてもらえると近いかもしれません。
このブログを読んでいる方は中高年がほとんどでしょうから…
男がスカートを履くなどと言うと、眉をひそめるのではないかと想像するのですが…
海外のハイブランドで、男性向けのアパレルのラインにスカートを採り入れていないところなど、もはやほとんどありません。
日本の市場は、先進国を称する国の中では特別に保守的なので、それらのブランドも、日本人向けには男物のスカートを並べていないだけなのです。
それでも、本当のファッション上級者の日本人男性には、実際にそれをやって見せている人がいるんですね。
もちろん「Z世代」と思われる若い人たちでしたけれど。
そしてそれが、ほんの数年前までは「オタク」すなわちダサい連中とされていた、声優ファンの界隈にいるというのが、新鮮な驚きでした。
そういえば、学校の女子の制服のボトムスにも、パンツ(スラックス)を選べる学校が出てきていると聞いていましたが…
最近実際に、パンツルックの制服を着た女子高校生を何人か、立て続けに見かけました。
若者は、おっさんおばさんを置き去りにして、どんどん先に進んでいますよ。
私は、これは好ましいことだと思っています。
そうした多様な美意識や価値観を持ち、表現し、受け入れるというのは、それこそ「戦争」に続く道とは正反対を向いているものだと思うのです。
スカートを履いた男子は「兵隊」とは真逆の存在、平和のアイコンではないでしょうか?
丸刈り坊主頭の高校球児が、それこそ「兵隊」を連想させるのとは違って。
そういう意味で、8月15日に、複数名の「スカート男子」と出会ったことは、私にとってはポジティブな経験でした。
もしかすると、それが「小倉唯イベント」だったからこそ、なのかもしれませんけれど。
小倉唯さん自身が普段から多様性、多様な価値観を推し進める発言をしていて…
社会に先駆けて、男性も日傘をさすべきだと言っていたり、コスメを使うことを積極的に勧めていたり…
ファンコメントの投稿フォームに、男性、女性の選択肢以外に「回答しない」をちゃんと用意していたり。
そうしたことが、じわじわと「効いて来た」結果としての、スカート男子なのかも。
もしそうだとすれば「私の活動の究極の目的は世界平和」だという唯さんの言葉は、あながち笑いごとではないことになります。
そして、昨日という日を彼女の応援のために使ったことも、ただ単にレジャーに行くよりは、ちょっとだけ多く平和に貢献することだったのかも…
などと、勝手に思うのでした。