結論から言うと、叔父も父を説得できませんでした。
危ないから、お兄さんを上げ下ろしする若い人たちの迷惑も考えて、と頼んだそうですが、頑として聞き入れず。
これが最後の法事なんだから。おふくろさんにはさんざん世話になったし迷惑かけたんだから...と言ってたそうです。
実際に祖父母の老後の世話をして、恩返しをしたのは、うちの父じゃなく、今回説得してくれたその叔父なんですけど。
その分お線香をあげることで埋め合わせをするつもりなのでしょうか。
今度はそれを強行することで、親孝行の肩代わりをしてくれた叔父に迷惑をかけ...
息子と甥たちにも迷惑をかけることになるのが分からない。
私が説得しても「だーいじょぶだ!なんとかなる!」と大声で遮って。
あのー「なんとかなる!」のは私と従弟たちがなんとかしないと、なんともならないんですけど。
ただ背負われたり抱えられたりするだけの人から「大丈夫だ!」と言われても...。
もし階段落ちになって、誰か死んだら、またお線香あげることで償ってくれるのですかね。
これはもう「老い」というより、そういうわがままな性格の問題である気がしてきました。
祖父母と同居して老後の世話をした叔父叔母は、エンディングノートを残したり、施設の手配をしたり、墓を用意したりと息子たちに負担がかからないように気を配ってきたのですから。
うちは父も母も、両方とも自分の親の面倒を全く見てこなかったから(父は長男なのに)...
二人とも老人介護の苦労を知らない。だから自分が老人になったら、あんなにわがまま勝手なんでしょう、きっと。
自分はしないで済んだ苦労を、我が子にはさせる。苦労させている自覚もなく。
世の中というのは、徹底して不公平で非対称に出来ているものなんですよね、きっと。
この世では、わがままに、自分中心に、ひとを押しのけたり踏み台にしたりして生きたものが、得をしたり楽をしたりする。最後まで。...少なくとも、そのように見える。
それに納得いかない者たちが、天国(極楽)だの地獄だのを考え出したんだと思います。
そうでないと、誰かが支えないといけないところを支えて、その間に他の者たちに素通りされた人間がやり切れないから。
まあ仕方ないです。人間という動物は、そうやって何千年かを過ごしてきたんだから。
29日の法事、従弟たちと一緒になんとか頑張ります。
そして我々は、子どもたちにはそうした苦労や迷惑をかけない、損?な役回りをやりますよ。
あの世とやらが、あるといいのだけれど。