前回、いじめについて小倉唯さんのケースを少しお話しました。
今回は、私自身が経験したいじめをもとに、いじめの原因と本質について掘り下げてみたいと思います。
私がいじめを受けたのは、小学校5年生のときから卒業までの、約2年間でした。
いじめが始まる約1年前、小学校3年生から4年生に上がるときに、私はそれまで住んでいた埼玉県の浦和市から…
茨城県の取手市という所に転居しました。
浦和に住んでいたころ、私は幸運なことに、友達に恵まれていました。
仲の良い友達のグループ7~8人の集まりを「やぎさん一家」と自分たちで名付けて…
私自身は一家の「パパさん」という体で、割とグループの中心的なところに位置して、楽しく遊んでいました。
そうそう、そのグループを中心に「忍者学校」なんていうものを思いついて…
いろんな「忍術」を考案して(たわいもない物ですが)それを学ぶ「生徒」を募集するビラを作って…
同級生の家に、配って回ったり。
当時は高度経済成長の晩期に当たっていましたけれど、今と比べると日本はまだまだ貧しくて…
私が住んでいたアパートは、外壁がトタンで覆われた古い木造で、六畳と三畳の日本間に狭い台所がくっついていて…
風呂なし、電話なし。
風呂は銭湯通い。電話はアパートの前にあった大家さんの商店「山本さん」の家の固定電話にかけてもらい…
「店子の○○さんお願いします」ということで、大家さんの奥さんが呼び出しに来てくれて、出ていました。
ちなみに山本商店は、食料品から、日用雑貨、たばこまでいろいろ扱っていたお店でした。
たばこは自動販売機ではなく対面販売。お菓子は量り売り、卵はおがくずの中に入れて個売りされてました。
『第一長沢荘』というそのアパート、トイレが和式だったのはもちろん…
水洗でなく、汲み取り式の「ボットン便所」でした。ときどきバキュームカーが、溜まったし尿をくみ取りに来ました。
汲み取り屋さん…あれこそ今でいうエッセンシャルワークの権化みたいな仕事でした。
いなくなったら、街が糞だらけになって、誰も住んでいられなくなるという。
でもバキュームカーが来ると、子どもたちが「臭い臭い」と囃し立てる、損な職業でした。
そうそう、トイレットペーパーなんていうものもなくて、四角く切られた「ちり紙」というのを使っていました。
店子同士で油やお醤油、お味噌なんかを切らした時には分け合うような、そんな親密な近所づきあいがあり…
親が家を空けるときには、子どもの世話を近所のおばさんに頼んで、預けていったり。
今と違って、他人との距離が近くて、子どもも「地域で育てる」感じがありました。
懐かしくてつい、話が脱線してしまいます。まあ、当時の浦和市(南浦和)は…
家並みは、東京の下町みたいに立て込んでいなくて「原っぱ」があちこちにあって。
そこに「土管」が積んであったり、廃車になった「スバル360」が打ち捨ててあって、子どもの遊具になっていたりして…
のどかなものでしたが、まあ人々の暮らしぶりは、下町っぽかったのです。
今思えば、うちの父もそろそろ経済的に、豊かになっていたはず。
でも持ち家を建てるため節約していたのでしょう。欲しいものを思うように買ってはもらえず、貧しかったですが…
今考えると、あのころが、人生で一番幸せだったかも…。
それが、小学校4年に上がるタイミングで、取手市に引っ越すことになりました。
取手市は、私が引っ越しをする数年前に、国鉄常磐線の輸送力が増強されて…
急速に東京のベッドタウン化が進みつつあったのですが、それまでは、取手駅の南東側にあたる…
旧・陸前浜街道の「砦宿」という、小さな宿場町を受け継いだ市街地以外は、北関東の農村地帯でした。
新しい家は、もとは広大な水田だった場所を宅地として造成した、いわゆる「ニュータウン」にありました。
「ニュータウン」の開設と同時に開校した新設校に、私は第一期生として通い始めました。
新設小学校の生徒は、8割がもともとそこに住んでいた、農村部の子どもたち。
加えて、ニュータウンに、東京近郊の都会地から引っ越してきた子が2割ほど、という状況でした。
開校してすぐに、生徒たちみんなが、子ども心にもわかったこと。
まず、言葉が違う。地元の子は「えばらき弁」と呼ばれた「おらたち~だっぺ!」というしゃべり方をするのに…
ニュータウンの子は「僕たちは~だからね!」と、都会言葉をしゃべります。たまに単語が通じない事さえある。
加えて…
多数派の農村部の子どもたちと、少数派のニュータウンの子どもたちとでは、親の所得に明確な格差があったのです。
ニュータウンの子どもたちの家は、新築のちょっとモダンな建築で…
家具調度は真新しいし、親たちの身なりや雰囲気も違うことが、地元の子が遊びに行くとわかりました。
食べるおやつも、地元の子があまり見慣れない、東京のデパートで売っているお菓子だったりしたし…
持っているおもちゃ、遊び道具に、はっきり差がありました。
地元の子は、おはじきやビー玉、めんこ、日本酒の瓶のふたからコルク部分をはずしたもの…などで遊びます。
学校では地元の子に合わせて、みんなそうしたもので遊ぶのですけれど…
(それで十分楽しくて、ニュータウンの子も夢中になったのですけれど)
地元の子がニュータウンの家に遊びに行くと…
「Nゲージの鉄道模型」やら「光線銃SP」やらという、テレビCMや雑誌の広告でしか見たことがないおもちゃがある。
その子たちが家に帰って、そうしたおもちゃを欲しいと親にねだっても…
「んな高いもん、買いるわげがないっぺよ!」とけんもほろろに断られる。
「羨ましい」という気持ちが、「妬ましい」に変わるまでに、そんなに時間はかかりません。
それに加えて、これも一種の社会問題なのですが、地元の子とニュータウンの子とでは…
学力格差まであったのです。
もちろん、その子によって能力の個人差はあります。
地元の子にも「できる子」は、もちろんいました。
しかし、まずまず内容が同じ、文部省検定の教科書を使っているものの…
都市部の家庭と農村部の家庭とでは、教育というものへの、親たちの関心の度合いがかなり違ったのです。
親の関心が低い地域では、やはり教師の側の、工夫した授業や学級経営をやろう、という意識も低くなるのか…
私の実感でも、浦和にいたころの学校の先生より、取手の先生たちは、良い意味ではなくのんびりしていて…
授業が面白くないし、やっている内容もレベルが低いように感じました。
そんなに勉強をしなくても、成績は、浦和にいたころより明確に上がってしまいました。
そして、個人差はあれ「引っ越してから成績が良くなった」というのは…
ニュータウンの子どもたちに、共通する経験だったのです。
かといって、必ずしも、地元の子の方が体力でまさる、というわけでもない。
むしろ、駅の近くに新しくできたスポーツセンターで、水泳などを習っているニュータウンの子の方が…
どちらかというと体育の授業でも目立ってしまったり、という状況。
そんな中で、最初の1年間は、それでも表面上平穏に過ぎたのですが…
地元の子どもたちの心のなかで「なんか面白くない」という気持ち…
「ニュータウンのやつら」への反感というか、はっきり言って嫉妬心が芽生え、育っていたようです。
でも、地元民は多数派であるとはいえ、成績でも体力でもまさり、数も全体の2割ぐらいはいる「よそ者」を…
まとめて「シメる」というわけにはいきません。
なので、その中から「誰か一人をいけにえにして、いじめて憂さを晴らしたい」という気分が出てきていた。
私らニュータウンの子も、うっすらと、そういう雰囲気を感じていたのでした。
最初は、先天的に聴覚に軽い障害があって、補聴器を付けていた子が、標的になりかけていました。
それが変わる転機は、私が、地元っ子の間で一種のヒーローだった、勉強も運動も抜群にできる…
「N君」という子と同じ、千葉県の柏市にある進学教室(私立中学進学のための)に、通うことになったことでした。
取手から柏市までは、常磐線の快速電車で、10分ほどかかります。
私は、わざわざ電車に乗って塾に通うなんて、本当はいやでした。
私立中学受験なんて、やる気がなかった。
でも、小4から急に成績が上がって、親が余計な欲を出してしまって。結果的にそれが良くなかった。
「N君と張り合おうなんて、あいつ生意気だ」ということになって、目を付けられてしまったのです。
でも彼らは、私を標的としたいじめを開始する、口実を探していたようでした。
5年生のある日、私が学校の廊下で、地元の友達とふざけっ子をしていて…
そのうちに、ちょっと軽い取っ組み合いのような形になって、その子を泣かしてしまったのです。
(今になると、もしかしてその事件自体も、仕組まれたものだったのかな、なんて思ったり)
それが、いじめの「トリガー」になりました。
それから、まず地元組の級友たちが、男女を問わず、誰も私と口をきいてくれなくなりました。
やがてニュータウン組の子どもたちまで、潮が引くように、私から遠ざかっていって。
まるで私がそこに存在していないみたいに、無視されるだけなら、まだ全然良かったのです。
上履きに、画びょうを仕込まれる。
机に、いつの間にか誰かが、彫刻刀で「ボケ!」「しね!」などと掘り込んでいる。
体育や、音楽、図工の写生など、本教室を出る授業から戻ってくると、何かしら私物が無くなっている。
見つからなくなった教科書やノート、たて笛、筆箱、洋服や体操服などは…
自分で校舎の内外を探すと…
まもなく、ビリビリに引き裂かれたり、割られたりした形で、校内の排水溝やダストシュートなどから発見されます。
「誰がやったんだ!」と教室で叫んでも、みんな、含み笑いをしているか、目を伏せているか。
たぶん実行犯は数人で、クラスのほとんどが、真相を知っていたのだと確信しています。
でも、誰も犯人について口を割らない。
ニュータウンの友達でさえ、です。
なぜなら、もし私に「チクった」なら、その子が次の犠牲者に選ばれてしまうから。
具体的に、そういう脅しのメッセージが、陰で回っていたのかもしれません。
学校内で起きていることですけど、立派な窃盗、および器物損壊です。
おかげで、文具や学習道具、教科書を買い替えるはめになり、親までがどれだけ余計なお金を使うことになったか。
顔の見えない、陰湿な犯罪。
学級の全員が加わっての、犯罪。
そんな中での、孤独。
もちろん、教師に訴えましたよ。
でも担任は「なんかの間違いだっぺ」「まあー調べといてやっからあ」というばかりで…
完全に無視。学級会で取り上げてくれることさえ、一度もありませんでした。
いま考えると信じられないのですが、本当に何も対策してくれなかったし、クラスの外には秘密にしていた様子。
いじめがクラスで発生したことが他の教師に知られて、自分の監督責任が問われるのが怖かったのでしょうか。
こうなると、担任の教師も、共犯者のひとりですよね。
ちなみにこの教師、後年、成人式で顔を合わせることになったのですが…
「お久しぶりです」と言っても「お」と変な声を出したきりで、逃げて行っちゃいました。
私と目を合わせるのを、明らかに恐れて。とても気まずそうな、ばつの悪そうな顔をして。
あの時のこと、ちゃんと憶えていたんですね。
もちろん親にも言いましたよ。なんで、こう頻繁に私物が盗まれて、壊されるのか。
でも、母親はだんまり。
父親は、困惑して苦い顔をしていましたが…
「いじめられてるのか。やられたらやり返せ!」とだけ。
戦争中に、自分が疎開先でいじめられた経験を話して…
「お父さん、竹箒持って、その殴って来るいじめっ子を叩きのめしたぞ!」と。
やられたら、やり返せ?
顔のない、陰湿ないじめに?
じゃあ、教室でキレて大暴れして、全員の持ち物をぶっ壊して回るか…
それともクラスメイトの持ち物を次々と盗んでは、全部壊して、すぐ見つかる場所に置いておくとか?
どちらにしても、それをやったら、教師に言いつけられて…
こちらはさすがに問題化されて、児童相談所のお世話になったり、家裁のお世話になったりして…
非行少年のレッテルを貼られていたでしょうね。
まあいっそ、そのほうが良かったのかもしれないですけれど。
とにかく、教師は頼りにならない、親に相談しても話にならない。
どうすればいいのか、まだ子どもだった私には、見当もつかなくて。
情けなくて、悲しくて、世界中が、自分の敵に回ったような気持ちになって。
毎日、死にたいと思っていました。
本気で。
しかも、よりによってそんな折に、建ててまだ1年とか1年半しか経っていなかった新居が…
宅地造成をした土建屋の、手抜き工事のせいで地盤沈下をし始めて。
しかも、土地の半分は昔の田んぼ、半分はすぐ隣の山を削った台地の土ということで、沈下が不釣り合いで。
家が傾いて、ひびが入って来ました。
家を販売した、東京のニュータウンの不動産会社に、父がねじ込んで、いろいろ揉めて。
結果的に、無償で「引き屋」をして、地盤改良をしてから戻す、という工事をすることになり。
その間ニュータウンの外の、古くて汚い、幽霊屋敷みたいな家に仮住まいしたのですが…
その間に、両親の夫婦仲が悪くなり、特に母がそれ以前に増して、ヒステリックに息子に当たるようになり。
(もともと、悪いことをしていなくても、何かの腹いせに子どもを折檻するような母だったのですが)
あるとき、鮒釣りに行くことになり、仮住まいの隣家のおじさんが竹竿を貸してくれて。
それがどうも、5万円する、高級品?だったらしく。
「絶対に折ったりしちゃ駄目よ!」という母が、釣りにくっついて来たのですが…
そういうときに限って、しくじって竿を折ってしまいました。
そうしたら母、半狂乱になって。
「あんたなんか死になさい!」
「ほら今すぐ!ここで死になさい!」
「親の脚を引っ張るような子どもなんて、生きていたってしょうがないんだから!」
と言って、いくら泣いて謝っても聞いてくれず、私の腕を引っ張ったり、肩や背中を突き飛ばしたりして…
目の前の沼に落とそうとしたのです。
それが延々と、たぶん何時間も続いて。
いや、そんな気がしただけで、実際は30分ぐらいのことだったのかも。
でも、沼のほとりには何人かの子どもがいて、釣りをしていたのに…
みんな母の異常な行動に、恐れをなして逃げ帰ってしまい…
気が付いたら、あたりが暗くなりかけていたので、やっぱりかなり長い時間だったのかも。
どうせ、毎日いじめに遭って「死にたい」と思っていたのだから、言われる通り、素直に死んじゃえばよかった…
のかもしれませんが、いざ他人から〇されそうになると、人間はやっぱり生に執着するものなのか、逃げてましたね。
半世紀近く経ったのに、いまだにその時のことを夢に見て、うなされることがあるほど。
そして、何かあると「あのとき死んじゃっていたらなあ」と思ったり。
ときどき、街中でフラッシュバックして、具合が悪くなったことも何度かありました。
間違いなく、心的外傷、トラウマになってます。
戦争に行ったり、大災害に遭った人がよくなるという、PTSD=心的外傷後ストレス障害なのかも。
そんな母の介護サポートを、母から不定期に突然来る電話で命じられて、あちこち走り回ったりしている私。
こういうのは「親孝行」というののうちに、入るんですかね。笑笑
また筆が走りすぎました。
テーマは、いじめでした。
半世紀前のことではありますが…
私のケースは、居住地域による文化の違いや、所得格差、教育格差が背景にある…
子ども同士の嫉妬と、排外意識が原因で、その犠牲になったと言えるでしょう。
いじめられた私自身は、何も悪くはなかったと思います。
子どもとして、人間として、何の問題もなかったと思っています。
問題は、嫉妬に駆られていじめに走った側の子の、心の中にあった、人間としての弱さでしょう。
同時に、いろんな方面での地域格差を生み出した、日本社会の問題であり。
また「新興住宅地の郊外への進出」というものを契機に、格差が表面化し、住民の間に軋轢を生みだした…
高度経済成長期の、社会の問題でもあったのでしょう。
でも、もしこれが現代の日本で起きた事件だったら…
学校を休んでしばらく自宅学習をさせるとか、転校させるとか、何か対処をされたのは、被害者の私だったでしょう。
加害者の、ほとんど全員に近い級友たちについては…
調査の上、もしかすると「首謀者」が何人か洗い出されて、説諭されたりしたかもしれませんが…
学校の中で起きたことについて、刑法罰のたぐいの処分がなされた可能性は、低かった気がします。
学校、もしくは教育委員会のレベルでの措置ということで…
とりあえず被害者を隔離する、ということで幕引きが図られたのではないかと。
でも、私のケースのように、ほどんどのいじめは、被害者の側に何か問題があるわけではなくて…
いじめた方の側が持っていた、心理的、家庭的な問題…
あるいはその人を取り巻く、社会的な問題が表面化したのであると思います。
単純に言えば…
「幸せな人はいじめなんかしない」
ということです。
あるいは…
「健全な社会だったら、いじめなんかがはびこらない」
とも言えるかもしれません。
それなのに、いじめがあると、大抵はひとりである被害者が隔離されて終わる。
それが一番簡単な対処法だから。
これでは、いじめを生み出した原因は何も解消されていないわけですから…
犠牲者を変えて、いじめは繰り返されることになるでしょう。
問題の解決にはならない。
ちなみに、私の息子の小学校でも、いじめが起きました。
クラスにいた、中国系の男の子が、標的にされました。
ただ、幸いなことに、サッカーが天才的にうまかったNB君という子と…
クラスで一番足が速くて、成績もよかったうちの息子が、勇気を出して止めに入って。
結果、いじめは収まったようです。
(止める子が一人ではなく、二人いたことが良かったのでしょう。)
これは、明らかに子どもを取り巻く、おとなたちの社会にある「排外主義」あるいは…
国籍による差別の反映です。
いじめは、結局は大人の心の問題や、価値観の問題、社会の闇を、子どもたちが敏感に感じ取って反映させるものです。
だから、いじめは個人の問題ではなくて、すぐれて社会問題なのです。
無視したり、黙ってスルーしていれば、やがて形を変えて、大きな悲劇を生み出しかねないものだと言えるでしょう。