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アルファロメオと小倉唯

いじめサバイバー②

前回、いじめについて小倉唯さんのケースを少しお話しました。

 

今回は、私自身が経験したいじめをもとに、いじめの原因と本質について掘り下げてみたいと思います。

 

 

 

私がいじめを受けたのは、小学校5年生のときから卒業までの、約2年間でした。

 

いじめが始まる約1年前、小学校3年生から4年生に上がるときに、私はそれまで住んでいた埼玉県の浦和市から…

 

茨城県の取手市という所に転居しました。

 

浦和に住んでいたころ、私は幸運なことに、友達に恵まれていました。

 

仲の良い友達のグループ7~8人の集まりを「やぎさん一家」と自分たちで名付けて…

 

私自身は一家の「パパさん」という体で、割とグループの中心的なところに位置して、楽しく遊んでいました。

 

そうそう、そのグループを中心に「忍者学校」なんていうものを思いついて…

 

いろんな「忍術」を考案して(たわいもない物ですが)それを学ぶ「生徒」を募集するビラを作って…

 

同級生の家に、配って回ったり。

 

当時は高度経済成長の晩期に当たっていましたけれど、今と比べると日本はまだまだ貧しくて…

 

私が住んでいたアパートは、外壁がトタンで覆われた古い木造で、六畳と三畳の日本間に狭い台所がくっついていて…

 

風呂なし、電話なし。

 

風呂は銭湯通い。電話はアパートの前にあった大家さんの商店「山本さん」の家の固定電話にかけてもらい…

 

「店子の○○さんお願いします」ということで、大家さんの奥さんが呼び出しに来てくれて、出ていました。

 

ちなみに山本商店は、食料品から、日用雑貨、たばこまでいろいろ扱っていたお店でした。

 

たばこは自動販売機ではなく対面販売。お菓子は量り売り、卵はおがくずの中に入れて個売りされてました。

 

『第一長沢荘』というそのアパート、トイレが和式だったのはもちろん…

 

水洗でなく、汲み取り式の「ボットン便所」でした。ときどきバキュームカーが、溜まったし尿をくみ取りに来ました。

 

汲み取り屋さん…あれこそ今でいうエッセンシャルワークの権化みたいな仕事でした。

 

いなくなったら、街が糞だらけになって、誰も住んでいられなくなるという。

 

でもバキュームカーが来ると、子どもたちが「臭い臭い」と囃し立てる、損な職業でした。

 

そうそう、トイレットペーパーなんていうものもなくて、四角く切られた「ちり紙」というのを使っていました。

 

店子同士で油やお醤油、お味噌なんかを切らした時には分け合うような、そんな親密な近所づきあいがあり…

 

親が家を空けるときには、子どもの世話を近所のおばさんに頼んで、預けていったり。

 

今と違って、他人との距離が近くて、子どもも「地域で育てる」感じがありました。

 

懐かしくてつい、話が脱線してしまいます。まあ、当時の浦和市(南浦和)は…

 

家並みは、東京の下町みたいに立て込んでいなくて「原っぱ」があちこちにあって。

 

そこに「土管」が積んであったり、廃車になった「スバル360」が打ち捨ててあって、子どもの遊具になっていたりして…

 

のどかなものでしたが、まあ人々の暮らしぶりは、下町っぽかったのです。

 

今思えば、うちの父もそろそろ経済的に、豊かになっていたはず。

 

でも持ち家を建てるため節約していたのでしょう。欲しいものを思うように買ってはもらえず、貧しかったですが…

 

今考えると、あのころが、人生で一番幸せだったかも…。

 

 

それが、小学校4年に上がるタイミングで、取手市に引っ越すことになりました。

 

取手市は、私が引っ越しをする数年前に、国鉄常磐線の輸送力が増強されて…

 

急速に東京のベッドタウン化が進みつつあったのですが、それまでは、取手駅の南東側にあたる…

 

旧・陸前浜街道の「砦宿」という、小さな宿場町を受け継いだ市街地以外は、北関東の農村地帯でした。

 

新しい家は、もとは広大な水田だった場所を宅地として造成した、いわゆる「ニュータウン」にありました。

 

「ニュータウン」の開設と同時に開校した新設校に、私は第一期生として通い始めました。

 

新設小学校の生徒は、8割がもともとそこに住んでいた、農村部の子どもたち。

 

加えて、ニュータウンに、東京近郊の都会地から引っ越してきた子が2割ほど、という状況でした。

 

開校してすぐに、生徒たちみんなが、子ども心にもわかったこと。

 

まず、言葉が違う。地元の子は「えばらき弁」と呼ばれた「おらたち~だっぺ!」というしゃべり方をするのに…

 

ニュータウンの子は「僕たちは~だからね!」と、都会言葉をしゃべります。たまに単語が通じない事さえある。

 

加えて…

 

多数派の農村部の子どもたちと、少数派のニュータウンの子どもたちとでは、親の所得に明確な格差があったのです。

 

ニュータウンの子どもたちの家は、新築のちょっとモダンな建築で…

 

家具調度は真新しいし、親たちの身なりや雰囲気も違うことが、地元の子が遊びに行くとわかりました。

 

食べるおやつも、地元の子があまり見慣れない、東京のデパートで売っているお菓子だったりしたし…

 

持っているおもちゃ、遊び道具に、はっきり差がありました。

 

地元の子は、おはじきやビー玉、めんこ、日本酒の瓶のふたからコルク部分をはずしたもの…などで遊びます。

 

学校では地元の子に合わせて、みんなそうしたもので遊ぶのですけれど…

 

(それで十分楽しくて、ニュータウンの子も夢中になったのですけれど)

 

地元の子がニュータウンの家に遊びに行くと…

 

「Nゲージの鉄道模型」やら「光線銃SP」やらという、テレビCMや雑誌の広告でしか見たことがないおもちゃがある。

 

その子たちが家に帰って、そうしたおもちゃを欲しいと親にねだっても…

 

「んな高いもん、買いるわげがないっぺよ!」とけんもほろろに断られる。

 

「羨ましい」という気持ちが、「妬ましい」に変わるまでに、そんなに時間はかかりません。

 

それに加えて、これも一種の社会問題なのですが、地元の子とニュータウンの子とでは…

 

学力格差まであったのです。

 

もちろん、その子によって能力の個人差はあります。

 

地元の子にも「できる子」は、もちろんいました。

 

しかし、まずまず内容が同じ、文部省検定の教科書を使っているものの…

 

都市部の家庭と農村部の家庭とでは、教育というものへの、親たちの関心の度合いがかなり違ったのです。

 

親の関心が低い地域では、やはり教師の側の、工夫した授業や学級経営をやろう、という意識も低くなるのか…

 

私の実感でも、浦和にいたころの学校の先生より、取手の先生たちは、良い意味ではなくのんびりしていて…

 

授業が面白くないし、やっている内容もレベルが低いように感じました。

 

そんなに勉強をしなくても、成績は、浦和にいたころより明確に上がってしまいました。

 

そして、個人差はあれ「引っ越してから成績が良くなった」というのは…

 

ニュータウンの子どもたちに、共通する経験だったのです。

 

かといって、必ずしも、地元の子の方が体力でまさる、というわけでもない。

 

むしろ、駅の近くに新しくできたスポーツセンターで、水泳などを習っているニュータウンの子の方が…

 

どちらかというと体育の授業でも目立ってしまったり、という状況。

 

そんな中で、最初の1年間は、それでも表面上平穏に過ぎたのですが…

 

地元の子どもたちの心のなかで「なんか面白くない」という気持ち…

 

「ニュータウンのやつら」への反感というか、はっきり言って嫉妬心が芽生え、育っていたようです。

 

でも、地元民は多数派であるとはいえ、成績でも体力でもまさり、数も全体の2割ぐらいはいる「よそ者」を…

 

まとめて「シメる」というわけにはいきません。

 

なので、その中から「誰か一人をいけにえにして、いじめて憂さを晴らしたい」という気分が出てきていた。

 

私らニュータウンの子も、うっすらと、そういう雰囲気を感じていたのでした。

 

最初は、先天的に聴覚に軽い障害があって、補聴器を付けていた子が、標的になりかけていました。

 

それが変わる転機は、私が、地元っ子の間で一種のヒーローだった、勉強も運動も抜群にできる…

 

「N君」という子と同じ、千葉県の柏市にある進学教室(私立中学進学のための)に、通うことになったことでした。

 

取手から柏市までは、常磐線の快速電車で、10分ほどかかります。

 

私は、わざわざ電車に乗って塾に通うなんて、本当はいやでした。

 

私立中学受験なんて、やる気がなかった。

 

でも、小4から急に成績が上がって、親が余計な欲を出してしまって。結果的にそれが良くなかった。

 

「N君と張り合おうなんて、あいつ生意気だ」ということになって、目を付けられてしまったのです。

 

でも彼らは、私を標的としたいじめを開始する、口実を探していたようでした。

 

5年生のある日、私が学校の廊下で、地元の友達とふざけっ子をしていて…

 

そのうちに、ちょっと軽い取っ組み合いのような形になって、その子を泣かしてしまったのです。

 

(今になると、もしかしてその事件自体も、仕組まれたものだったのかな、なんて思ったり)

 

それが、いじめの「トリガー」になりました。

 

それから、まず地元組の級友たちが、男女を問わず、誰も私と口をきいてくれなくなりました。

 

やがてニュータウン組の子どもたちまで、潮が引くように、私から遠ざかっていって。

 

まるで私がそこに存在していないみたいに、無視されるだけなら、まだ全然良かったのです。

 

上履きに、画びょうを仕込まれる。

 

机に、いつの間にか誰かが、彫刻刀で「ボケ!」「しね!」などと掘り込んでいる。

 

体育や、音楽、図工の写生など、本教室を出る授業から戻ってくると、何かしら私物が無くなっている。

 

見つからなくなった教科書やノート、たて笛、筆箱、洋服や体操服などは…

 

自分で校舎の内外を探すと…

 

まもなく、ビリビリに引き裂かれたり、割られたりした形で、校内の排水溝やダストシュートなどから発見されます。

 

「誰がやったんだ!」と教室で叫んでも、みんな、含み笑いをしているか、目を伏せているか。

 

たぶん実行犯は数人で、クラスのほとんどが、真相を知っていたのだと確信しています。

 

でも、誰も犯人について口を割らない。

 

ニュータウンの友達でさえ、です。

 

なぜなら、もし私に「チクった」なら、その子が次の犠牲者に選ばれてしまうから。

 

具体的に、そういう脅しのメッセージが、陰で回っていたのかもしれません。

 

学校内で起きていることですけど、立派な窃盗、および器物損壊です。

 

おかげで、文具や学習道具、教科書を買い替えるはめになり、親までがどれだけ余計なお金を使うことになったか。

 

顔の見えない、陰湿な犯罪。

 

学級の全員が加わっての、犯罪。

 

そんな中での、孤独。

 

もちろん、教師に訴えましたよ。

 

でも担任は「なんかの間違いだっぺ」「まあー調べといてやっからあ」というばかりで…

 

完全に無視。学級会で取り上げてくれることさえ、一度もありませんでした。

 

いま考えると信じられないのですが、本当に何も対策してくれなかったし、クラスの外には秘密にしていた様子。

 

いじめがクラスで発生したことが他の教師に知られて、自分の監督責任が問われるのが怖かったのでしょうか。

 

こうなると、担任の教師も、共犯者のひとりですよね。

 

ちなみにこの教師、後年、成人式で顔を合わせることになったのですが…

 

「お久しぶりです」と言っても「お」と変な声を出したきりで、逃げて行っちゃいました。

 

私と目を合わせるのを、明らかに恐れて。とても気まずそうな、ばつの悪そうな顔をして。

 

あの時のこと、ちゃんと憶えていたんですね。

 

もちろん親にも言いましたよ。なんで、こう頻繁に私物が盗まれて、壊されるのか。

 

でも、母親はだんまり。

 

父親は、困惑して苦い顔をしていましたが…

 

「いじめられてるのか。やられたらやり返せ!」とだけ。

 

戦争中に、自分が疎開先でいじめられた経験を話して…

 

「お父さん、竹箒持って、その殴って来るいじめっ子を叩きのめしたぞ!」と。

 

やられたら、やり返せ?

 

顔のない、陰湿ないじめに?

 

じゃあ、教室でキレて大暴れして、全員の持ち物をぶっ壊して回るか…

 

それともクラスメイトの持ち物を次々と盗んでは、全部壊して、すぐ見つかる場所に置いておくとか?

 

どちらにしても、それをやったら、教師に言いつけられて…

 

こちらはさすがに問題化されて、児童相談所のお世話になったり、家裁のお世話になったりして…

 

非行少年のレッテルを貼られていたでしょうね。

 

まあいっそ、そのほうが良かったのかもしれないですけれど。

 

とにかく、教師は頼りにならない、親に相談しても話にならない。

 

どうすればいいのか、まだ子どもだった私には、見当もつかなくて。

 

情けなくて、悲しくて、世界中が、自分の敵に回ったような気持ちになって。

 

毎日、死にたいと思っていました。

 

本気で。

 

 

 

しかも、よりによってそんな折に、建ててまだ1年とか1年半しか経っていなかった新居が…

 

宅地造成をした土建屋の、手抜き工事のせいで地盤沈下をし始めて。

 

しかも、土地の半分は昔の田んぼ、半分はすぐ隣の山を削った台地の土ということで、沈下が不釣り合いで。

 

家が傾いて、ひびが入って来ました。

 

家を販売した、東京のニュータウンの不動産会社に、父がねじ込んで、いろいろ揉めて。

 

結果的に、無償で「引き屋」をして、地盤改良をしてから戻す、という工事をすることになり。

 

その間ニュータウンの外の、古くて汚い、幽霊屋敷みたいな家に仮住まいしたのですが…

 

その間に、両親の夫婦仲が悪くなり、特に母がそれ以前に増して、ヒステリックに息子に当たるようになり。

 

(もともと、悪いことをしていなくても、何かの腹いせに子どもを折檻するような母だったのですが)

 

あるとき、鮒釣りに行くことになり、仮住まいの隣家のおじさんが竹竿を貸してくれて。

 

それがどうも、5万円する、高級品?だったらしく。

 

「絶対に折ったりしちゃ駄目よ!」という母が、釣りにくっついて来たのですが…

 

そういうときに限って、しくじって竿を折ってしまいました。

 

そうしたら母、半狂乱になって。

 

「あんたなんか死になさい!」

 

「ほら今すぐ!ここで死になさい!」

 

「親の脚を引っ張るような子どもなんて、生きていたってしょうがないんだから!」

 

と言って、いくら泣いて謝っても聞いてくれず、私の腕を引っ張ったり、肩や背中を突き飛ばしたりして…

 

目の前の沼に落とそうとしたのです。

 

それが延々と、たぶん何時間も続いて。

 

いや、そんな気がしただけで、実際は30分ぐらいのことだったのかも。

 

でも、沼のほとりには何人かの子どもがいて、釣りをしていたのに…

 

みんな母の異常な行動に、恐れをなして逃げ帰ってしまい…

 

気が付いたら、あたりが暗くなりかけていたので、やっぱりかなり長い時間だったのかも。

 

どうせ、毎日いじめに遭って「死にたい」と思っていたのだから、言われる通り、素直に死んじゃえばよかった…

 

のかもしれませんが、いざ他人から〇されそうになると、人間はやっぱり生に執着するものなのか、逃げてましたね。

 

半世紀近く経ったのに、いまだにその時のことを夢に見て、うなされることがあるほど。

 

そして、何かあると「あのとき死んじゃっていたらなあ」と思ったり。

 

ときどき、街中でフラッシュバックして、具合が悪くなったことも何度かありました。

 

間違いなく、心的外傷、トラウマになってます。

 

戦争に行ったり、大災害に遭った人がよくなるという、PTSD=心的外傷後ストレス障害なのかも。

 

そんな母の介護サポートを、母から不定期に突然来る電話で命じられて、あちこち走り回ったりしている私。

 

こういうのは「親孝行」というののうちに、入るんですかね。笑笑

 

また筆が走りすぎました。

 

テーマは、いじめでした。

 

半世紀前のことではありますが…

 

私のケースは、居住地域による文化の違いや、所得格差、教育格差が背景にある…

 

子ども同士の嫉妬と、排外意識が原因で、その犠牲になったと言えるでしょう。

 

いじめられた私自身は、何も悪くはなかったと思います。

 

子どもとして、人間として、何の問題もなかったと思っています。

 

問題は、嫉妬に駆られていじめに走った側の子の、心の中にあった、人間としての弱さでしょう。

 

同時に、いろんな方面での地域格差を生み出した、日本社会の問題であり。

 

また「新興住宅地の郊外への進出」というものを契機に、格差が表面化し、住民の間に軋轢を生みだした…

 

高度経済成長期の、社会の問題でもあったのでしょう。

 

でも、もしこれが現代の日本で起きた事件だったら…

 

学校を休んでしばらく自宅学習をさせるとか、転校させるとか、何か対処をされたのは、被害者の私だったでしょう。

 

加害者の、ほとんど全員に近い級友たちについては…

 

調査の上、もしかすると「首謀者」が何人か洗い出されて、説諭されたりしたかもしれませんが…

 

学校の中で起きたことについて、刑法罰のたぐいの処分がなされた可能性は、低かった気がします。

 

学校、もしくは教育委員会のレベルでの措置ということで…

 

とりあえず被害者を隔離する、ということで幕引きが図られたのではないかと。

 

でも、私のケースのように、ほどんどのいじめは、被害者の側に何か問題があるわけではなくて…

 

いじめた方の側が持っていた、心理的、家庭的な問題…

 

あるいはその人を取り巻く、社会的な問題が表面化したのであると思います。

 

単純に言えば…

 

「幸せな人はいじめなんかしない」

 

ということです。

 

あるいは…

 

「健全な社会だったら、いじめなんかがはびこらない」

 

とも言えるかもしれません。

 

それなのに、いじめがあると、大抵はひとりである被害者が隔離されて終わる。

 

それが一番簡単な対処法だから。

 

これでは、いじめを生み出した原因は何も解消されていないわけですから…

 

犠牲者を変えて、いじめは繰り返されることになるでしょう。

 

問題の解決にはならない。

 

 

 

ちなみに、私の息子の小学校でも、いじめが起きました。

 

クラスにいた、中国系の男の子が、標的にされました。

 

ただ、幸いなことに、サッカーが天才的にうまかったNB君という子と…

 

クラスで一番足が速くて、成績もよかったうちの息子が、勇気を出して止めに入って。

 

結果、いじめは収まったようです。

 

(止める子が一人ではなく、二人いたことが良かったのでしょう。)

 

これは、明らかに子どもを取り巻く、おとなたちの社会にある「排外主義」あるいは…

 

国籍による差別の反映です。

 

いじめは、結局は大人の心の問題や、価値観の問題、社会の闇を、子どもたちが敏感に感じ取って反映させるものです。

 

だから、いじめは個人の問題ではなくて、すぐれて社会問題なのです。

 

無視したり、黙ってスルーしていれば、やがて形を変えて、大きな悲劇を生み出しかねないものだと言えるでしょう。


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コメント一覧

angeloprotettoretoru
@kuwa16madaowa クワヒロさま。
個を大切にすること、身体の見た目や機能の違い、価値観や感覚の違い、いろんな個性の違いを認めて、ポジティブなものとして面白いと思うこと、違う者同士助け合うこと。それがダイバーシティの尊重なわけですが…。
それは決して、少数者や弱者がかわいそうだからではなくて、多様性こそが社会の持続可能性を保証するからなのです。
均質で閉じられた集団は、環境の変化にとても弱い。
それが理解出来ない、頭が硬く視野の狭い爺さんどもからこの社会が解放されれば、たとえ数は減ったとしても、この社会はずっと先まで続いて、本当の意味で豊かなものになることでしょう。
angeloprotettoretoru
@nerotch9055 さま。
沖縄人の子…だから何だというのでしょうかね。この国の人の排他性、島国根性、均質なムラ社会に閉じこもりたがる性癖は、一番の欠点であり弱点でもあります。なぜなら、多様性の確保こそが、自然界の法則では安定性と持続可能性を保証するものだからです。均質な集団は、環境の変化にとても弱いのです。
日本の企業や大学が、もっと海外の人にも開かれたものでもしあったなら、もっともっと大きな成果をあげて、今でも世界のトップランナーでいたでしょうに…。
ダイバーシティの確保、マイノリティーが生きやすい社会を作るというのは、排除される少数者が「かわいそう」だからなどではなく、それが全体にとって有益で、豊かで持続可能な社会の実現に繋がるからなんです。
このまま変わらなければ、日本は滅び行く運命から逃れられません。ただ、いまの若い人たちの感覚は、おっさんおばさん世代とは大分違って来ていると感じます。女の子には「好きな人ができた」と言うと「相手は男?女?」とまず訊くような感覚が広がって来ているとか。
その世代が社会の中枢を担うようになるまで、この国を何とかもたせられれば、たとえ人口は減っても、この社会は100年200年と持続して、本当の意味で豊かなものになって行くのではないかと思います。
一筋でも明かりが見えるのなら、そちらに向かって進もうとする。それが生きているということの尊さなのでしょう。それが「ゆいイズム」です!笑
angeloprotettoretoru
@1948219suisen 水仙さま。
転校生がいじめられるのは、実は一番多いパターンかもしれないですね。大人たちと同じく、子どもたちも「ムラ社会」を作って生きていて、異質なものを排除しようとする力が働くのでしょう。
これも日本が島国である事と関係しているのかもしれません。雑多な人が入り混じるのが当たり前の社会ではなく、自分たちは均質なのだ、と思うことに安心感を得る精神性…。でも自然界の仕組みとしては、多様な生き物、多様な個体が共生することが、むしろ安定を保証するのですけれど。均質化は実は滅びへの道なんです。まあでも、今のすごく若い人たちは、我々の世代とは全く違う感覚を持って来ていますから。彼らが社会の中枢を担う時代までこの国が持てば、本当に多様性が歓迎される、持続可能な社会に変わるのではないかという期待があります。
kuwa16madaowa
バロリスタさん、こんばんは。

直接関係ないかもしれませんが、町内会長をしていた時に地域の運動会の出場選手が足らずにリレーで出場したことがあります。
隣とその隣の町内会と合同チームなのですが、普段運動をしない、メタボに足を突っ込んでいる私に対してチームメイトは恰好から違う訳で。
当然足の上がらない私が足を引っ張る展開に、競技後のチームメイトはシラける訳ですが、私からすればリレーに勝つことが幸福ではない訳で。

ただその逆も然りで、立場が変われば、私が彼らの上司であれば、彼らを社会人として使えないと判断するかもしれない訳で。

そこにはやはり個の差、そして価値観の差があると思います。

昨夜ウクライナと戦いたくない、犯罪に手を貸したくないとロシアを出国する少数民族のドキュメントを見ていたのですが、本当の意味で個が尊重されて共存できる社会を目指さなければならないとバロリスタさんの記事を読んで改めてそう思いました。

結局美しいと言いながらも目指していなかったので、一事が万事でオリンピックの聖火を遣唐使に運ばせたり、他も人選を間違えたりする訳ですし。
nerotch9055
こんばんは、バロリスタさん。
小学生の時に、そんな経験をされていたなんて・・。
バロリスタさんが、今でもフラッシュバックするというのも、わかります。
私も、ふとした瞬間に思い出してしまい、それを頭からかき消そうと意味のない言葉を
発したりします。
私は、バロリスタさんほどのいじめは受けていません。
もし私が同じ立場であったなら、生を投げ捨てていたかもしれません。
転校生や、裕福な家庭の子、逆に貧しい地方出身の両親を持つ子供は、いじめの対象になりやすいのかもしれません。
私は幼少期に「沖縄人の子」という目で見られていました。
尼崎市は、沖縄からの就職者が多く、クラスでも同じ「沖縄人の子」や、田舎出身の
両親を持つ子供たちと仲が良かったです。
ですが、一度いじめの対象になってしまってからは、仲の良かった子たちも私に話さなくなりました。
本当に、この世界で私は一人ぼっちなんだ・・、と思いその気持ちを紛らわすかのように
「万引き」をするようになりました。
バレて、学校から母に連絡が行き、父が烈火の如く怒りまくり、何度も殴られました。
さして、傍らで泣きじゃくる母を見て「なんて愚かな事をしてしまったのだろう・・」と
自分のしたことの大きさというものを知りました。
殴られた痛みよりも、心の痛みが大きかった。
それ以来、いつも人の顔色を伺うような性格になってしまいました。
その後、父の仕事の関係で引っ越しが決まり、沖縄にやってきたという感じです。
あの時の父と母の、悲しそうな思いを二度とさせまい・・。
なので、中学の時のいびめには、ひたすら耐えました。
今となっては、少しだけ振り返ることができるようになりました。

バロリスタさんがご推察する通り、格差や排外的な風潮、事なかれ主義だとか、そういうものがいじめになってしまう要因だと思います。
長文で、大変失礼しました。
m(_ _)m
1948219suisen
書きたくないことだったでしょうに、よく書いてくださいました。感謝します。

その状況はよくわかります。

というのが、私も国家公務員であった父の転勤に伴って香川県に転校したのでしたが、やはり農村地帯であったため当時は貧しい家庭の子も多くて、我が家も公務員の父の給料がよかったわけでもなかったのに、私はお嬢さんだからと言われて放課後の掃除の時間も箒を取り上げられたりしました。そして担任の先生は、決して依怙贔屓するような先生でもなかったのに私は依怙贔屓されていると何かあるごとに言われました。この記事のような悪質なものではありませんでしたが、私は学校に行くのが憂鬱になったものでした。だからこの記事に書かれてある状況は理解できます。が、これはひどすぎましたね。しかし、昔はこういうことも結構あったかもしれません。教職者の意識が低かったというのが大きな理由だったかもしれません。それにしても辛い子供時代でしたね。

お母様のことは、私も少し覚えがあります。私は嫁いでから義母に虐められましたから、無意識に可愛い娘に当たっていたと思います。それで叱らなくてもよいことまで叱った覚えがあります。今思い出してみれば、私も未熟な母親だったと反省しています。だからお母様のことは許してあげてください。

しかし、こういう辛い中をグレもせず立派に成長されたから、いま出来の良いできの良い息子さんを神様が授けてくれたのかもしれません。

体験談を聞かせてくださり、ありがとうございました。
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