父の元へ地域担当のケアマネさんが定期訪問されました。
もとは区役所の地域包括センターから紹介された方です。
地域のケアマネの立場として担当している人に、施設への入所を勧めるのは本当はダメなことで…
彼個人の利害を考えても、それはどちらかというとマイナスなことなのですが…
それでも父のことを二年半見守って来てくださって、我が家の事情も知っていらして…
その上で父に、もう施設に入所したほうが良いと勧められました。
父も「私もそう思います」と答えて、家族に向かっても「もう限界だ」と言っていたのですが。
何事においても決断力がなくなって、買い物での商品選び一つとっても二転三転してしまう状況。
なので「頑張れるところまで頑張ってみようかな」と言い始め、ケアマネさんにもそう言いました。
ケアマネさんのアドバイスは「頑張れるところまで、というのは漠然とし過ぎていますね」と。
具体的にこれが出来なくなったらとか、何月までとか、はっきりしためどを決めておかないと…
結局、倒れて救急車で搬送されるまで、ということになりかねませんよ、と言われました。
それでもいいといえばいいのかもしれませんが、それだと痛い思い苦しい思いをするわけだし、寿命やその後の生活の質に影響しますと。
あいまいな考えで、最悪の結果になってから後悔するのではなく、まだ余裕があるうちに近い将来の生活の質を考えられては、と。
それからこれも大事なのですが、頑張る、というときに頑張らなければならないのは、ご自分ひとりでなく周りの方たちも…
具体的には、息子さんにも今よりもっと頑張ることを強いることになるのだということも、忘れないでくださいね、と。
父もそのときは、胸を衝かれたように、はっとした表情をしていました。
「全くその通りです」
と、そのときは言っていましたが、記憶力が著しく衰えている父は、多分数日後には忘れてしまうのでしょう。
ケアマネさんの言葉だけでなく、訪問があったことも、手帳に記して見返さないと、明日には綺麗に忘れてしまう状態ですから。
父も気の毒なのですけれど、身体が衰えて認知機能も衰えた、という状態では…
周囲を気遣ったり、思いやったりする力も…というかその余裕がなくなってしまうのでしょうね。
そして自分個人にとって今心地よく、不安のないことだけを考えたくなるのでしょう。
現に父も、母の方から「三行半」を突き付けられて、一緒の施設に入り、そばに寄って来ることを拒まれているのに…
そして、母が倒れる前の10年近くの間、母の異常な嫉妬妄想に悩まされて、思い余って息子に助けを求めたほどの事情があって。
家族だけでなく、近隣住民や、地域の医者・調剤薬局、不動産会社まで巻き込んで、大変な騒ぎになったことも全て忘れて…
「お母さんが倒れたときまで、ずっと変わらず仲のいい夫婦だったんだ…」
と、懐かしそうに振り返ったりしているのです。
老い先短い人生を、嫌なことは忘れて良いことだけ考えていたい、というのは分かりますけれど…
傍で繰り返し聞かされるのは、父から下駄を預けられて、さんざん苦労して具体的な動きをした私としては複雑な気持ちになるのです。
昔、松本伊代というアイドルが「つぼみのままで夢を見ていたい…影絵のように美しい物語だけ見てたいわ」と歌ってましたけど…
老いると人は、男も女も「夢見る夢子さん」になりたくなってしまうものなのでしょうかね。
自分も、図らずも長生きしてしまったら、そうなるのかな……
そこへ行くと私の父方の祖父は、93歳で亡くなるまで頭がはっきりしていて、生きる意味とか、社会の問題に関心を持ち続けてました。
亡くなる年まで、宗教や哲学の本を、拡大鏡を使って熱心に読みふけっていて、その話を私や妻にしてくれました。
新聞やテレビニュースを見ては、その中身に対する「批判」「疑問」も含めて、自分の考えをノートに克明に書き残しています。
それは90歳を過ぎた人とは思えない、しっかりとしたものです。
そして私や妻に向かって「俺はもう体が何とも動かないけど、〇〇君たちにはこういうことを考えて、世の中を良くしてくれ」…
と、ことあるごとに言っていました。
うちの父はそのことを「親父さんは新聞の内容をびっしりとノートに書き写していたな」と言っていますが…
情報リテラシーのレベルが祖父とは違って、朝日新聞の言うことをすべて鵜呑みにする父には…
新聞記事、記者の視点への厳しい批判も含めて「自分の考えたことを書く」という行為自体がピンと来ないのでしょう。
そして祖父は亡くなる前日まで「延命無用!」と手描きした画用紙を、医師や家族に見せて訴えていました。
(残念ながら遺言書やエンディングノートの形で残さなかったので聞き入れられませんでしたが)
その祖父が生前、死後の自分の体を、医療を学ぶ人の解剖実習の材料として「献体」する会に入っていたことを知りました。
なので葬儀が終わると、ご遺体は火葬場へ行くのではなく、大学病院の車で運ばれて行きました。
火葬と納骨はそれからまる1年後に行われました。大学医学部の先生や学生さんたちも、火葬場にいらして頭を下げておられました。
ちなみに、熱心な真宗大谷派の門徒だった祖父は…
「骨なんかに意味はない。墓参りはしなくていいから、念仏を唱えなさい」と言っていました。
死ぬまで「社会性」を失わず、それどころか、死後も社会に貢献する方法を考えていた、祖父。
役人時代に上司のやることが許せず、殴り倒して、とても「良い待遇」だった中央官庁を辞めたり…
軍属として応召していたころは、朝鮮人徴用工の酷い待遇を改善することを訴えて、将校に軍刀の柄で前歯を折られたり。
最期まで、自分個人(と家族)の利害よりも、祖父なりの正義を貫いた、ということなのでしょう。
立派な生涯であったと思います。
私が六十の手習いで、今ごろになってまた、哲学を一から勉強し直そうとしているのも、祖父の影響が大きいのは間違いありません。
祖父が死ぬまで学び続けたことは、こうして私に受け継がれ、私の息子にも影響を与えています。
老いた後も新しい知識を得ることに「死んだら消えちゃうんだから無駄だ」なんて言う人には、祖父のことを教えてあげたい。
死ぬまで学ぶこと、自分のことだけでなく社会のことを、考えて、訴えて、行動すること…
その意義は大きいです。
未来において、それが無駄であるなんて、誰が言い切れるでしょうか?
たとえ人類の文明が何万年も後退して、滅亡したに等しいことになるとしても。
そもそも「無駄だ」などと言うのは、自らの傲慢、あるいは怠慢に対する言い訳じゃないですかね。
世の高齢者には、ご自分と配偶者、お友達の「健康」と「楽しみ」だけ考えている方々が多いように見受けられますが…
(恥ずかしながら私の父もそうです)
残された人生、現実や真実から目をそらして「夢見る夢子さん」で過ごし…
その「安楽」をなるだけ「長く伸ばす」ことで終わらせてしまっていいのでしょうか?
第一線を退き、自分の時間が多少なりともできた人こそ、個人的な問題以外の、社会の問題を考え、訴え、行動する立場にあるのでは?
いずれにせよ、今の私の、あなたの、生き方や知恵が、後の世代に何らかの影響を与えることは、間違いないのです。
その世代がまた、次の世代に「何か」を残し、伝えて行く。その連鎖が続いて行く。
それこそが「永遠の命」ということなのではないかと思います。
心臓を動かしている時間の長さなんてそれほどの問題ではない。どちらにせよ、一時のことです。
死ぬまで、いや死んだ後にもなお、真の「社会人」であろうとした祖父の生き方を、私は受け継ぎたいと思っています。