アルファロメオと小倉唯

母のこと

ブログでこれまで、さんざん母への愚痴や恨みを述べて来ました。

 

毒親、毒母、毒妻であると。

 

身内にも他人にも、すぐに、怒り、妬み、恨みといった負の感情を爆発させ…

 

暴言を吐いたり、自分より立場の弱い者には、直接的、しかも過剰な暴力を振るい。

 

我が子に対しては、異常なほどに過干渉かつ支配的に振る舞い。

 

性的なものごとを異常に嫌悪し。

 

また家のお金を、まるで使うこと自体に快感を感じているかのように浪費し。

 

浪費して購入した物は、まだ使えるうちに片端から廃棄。

 

老いて後は、様々な妄想に取りつかれて、家族だけでなく地域の他人をも巻き込んで…

 

嵐のような大騒ぎを、周囲に巻き起こして来ました。

 

まあ、母として、妻として、これまで非行の限りを尽くしてきたわけです。

 

そんな母が脳梗塞で倒れ、右半身不随と言語障害になって、二年余り。

 

施設に入っている母に、確実な変化が現れるようになりました。

 

まず、いつも何かしら、周囲に対して文句ばかり言っていた人が…

 

いつの間にかおとなしくなって、生活に満足していると語るようになりました。

 

それ以上に驚くのは、私に対して、これまで60年近く…

 

「ごめんなさい」も「ありがとう」も、一度として言ったことがなかった人が…

 

何か言い過ぎたり、誤解して文句のようなことを口にした後、必ず電話して来て…

 

「さっきはごめんなさい」「誤解していました。悪かったわ」と言うようになったのです。

 

呼び出されて施設に出かけて、何かしてあげたときには…

 

「今日はわざわざありがとうございました」と。

 

謝罪や感謝を述べるだけでなく、あれほど口の悪かった母が、息子に対して…

 

なぜか敬語を使って、そんなことを言うようになったのです。

 

変わったのは言うことだけではなくて、表情が、目に見えて穏やかになりました。

 

以前は、いつも眉間にしわを寄せて、険しい表情をしていたのに…

 

面会した折も柔らかい表情を見せるようになったし。

 

それ以上に、施設で普段の様子を写した写真をもらうのですが…

 

そこに写っている母が、かつて見たこともないような、幸せそうな笑顔で写っていて。

 

いくら良い写真だけを選んでいるといっても…

 

とてもあの母とは思えないような、穏やかで、ときにお茶目な表情を見せているのです。

 

ああ、いま母は、幸せなんだなと。

 

父はいつも…

 

お母さんは、他人の中で四六時中暮らして、自由に施設から出られないでかわいそうだ。

 

まるで牢屋に入れられているのも一緒だろう、とまで言うこともあるのですが…

 

とてもそうは見えない。

 

良くも悪くも不器用な母が、そんな様子を、演技で作って見せることなどできるはずもなく。

 

むしろ家族と離れて……残酷な言い方をすれば「父を世話すること」から解放されて…

 

逆に、周囲の介護士さんや看護師さんに身の回りの世話をしてもらっている今の状況。

 

しかも、リハビリなどでなにか新しく出来たことがあれば、全部褒めてもらえて。

 

身に着けているものまで「素敵ですよ」などと、褒めてもらえている様子。

 

そういう環境が、むしろ家にいたころより心地よいのではないでしょうか。

 

考えてみたら、父は昭和一桁生まれ、という世代のせいもあるのでしょうか。

 

母の行動も、もちろん身なりも、面と向かって褒めたことがなく。

 

母にしてもらっていた家事全般に、感謝を述べたこともなかったはず。

 

うちの妻が「お母さんを褒めたり、感謝したりしてあげてくださいよ」と勧めても…

 

「そんなの照れくさいんだよね。言わなくてもわかってるだろう」と。

 

いや、夫婦といえど別の人間。言わなきゃわからないことの方が多いはずです。

 

そういうところが、昭和の男のダメなところなのかも。

 

しかも、昭和男は何かと手がかかるし。

 

母はもともと、性格も手先も器用でなく、マイペースな人間なのに…

 

よき妻、よき母でなくてはいけない、という「世間」のプレッシャーがあって…

 

常に「いっぱいいっぱい」の状態で、しかも誰からも評価してはもらえなかったことで…

 

いろいろとこじらせて、やり場のない不満を、いっぱい内に溜め込んでいたのかも。

 

だから、すぐに感情爆発を起こしたり、一番身近な弱者である我が子に当たったり…

 

果ては浪費をすることで、ストレスを開放してきていたのではないか。

 

それが…

 

病に倒れたことで、結果的に「家族」から解放されて…

 

妻であること、母であることの重圧からも解放されて…

 

皮肉なことに、ようやく安心できる場所をみつけたのではないか。

 

それがきっかけで、母がもともと持っていた良い一面が…

 

86歳になって、やっと表面に現れて来たのではないか。

 

そんな風にも思うのです。

 

もちろん、入った施設がいいところで、幸運だったのもありますが…

 

家族と暮らすのが幸せ、施設に入るのは不幸、という紋切り型の考えが…

 

当てはまらない人も、たくさんいるという、一つの証拠でもあるのではないかと。

 

現に、面会したときに、母に向かって…

 

「家に帰りたい?」と尋ねると「ここ以外にいたい所なんかないわよ」と。

 

「またお父さんと暮らしたい?」「この施設にお父さんが来るのはどう?」と訊くと…

 

残酷なことに、はっきりと…

 

「いやよ。もうお父さんはいいわ。わがままだから」

 

はっきりと母の方から「三行半」を突き付けていました。

 

60年以上も連れ添った夫婦の終わりがこれでは、悲しいですが。

 

今でもティッシュやマスクなど消耗品は、外から気に入ったものを差し入れさせて…

 

それを異常に無駄使いするのは、かつての浪費癖が抜けないのでしょうが…

 

86歳、人生の最後の段階になって、母に安住の地が見つかり、心の安寧が訪れたのは…

 

彼女の人生にとって、せめてもの救いなのかもしれません。

 

こうしてみると…

 

母はもともと結婚生活というものや、子育てには向かないタイプの女性だったのかも。

 

でも、母が若かったころは、経済的にも女性が自立して暮らすのは難しい時代でした。

 

うちの母は美容師の資格を持っていたので、条件的には可能だったかもしれませんが。

 

ちなみに、1960年前後から1970年前後までの、10年余りの期間は…

 

統計上、日本人の「結婚率」が、男女ともに、ほぼ100%だったそうです。

 

そんな「総結婚時代」は、後にも先にもこの約10年余りだけだったというのは意外ですが。

 

そのころは、日本人の男女全員に「世間」が、人は全員結婚するものだ、という…

 

圧力を加えていたのでしょう。

 

だから、母のような、根本的に結婚生活に向かない人も無理やり結婚して…

 

子どもなんか欲しくない人も、子作りを「せねばならない」時代だったんでしょうね。

 

うちの母は、異常に性を忌み嫌う人で…

 

私が生まれた後はなんと、60年間もセックスレス夫婦だったようなので…

 

私のことは「世間的な義務で」いやいやながら、一人だけもうけたのでしょうね。

 

考えてみれば、それも残酷な話です。

 

当時だって、今でいうLGBT等の人はたくさんいたはずなので…

 

そういうセクシャルマイノリティの人も、多くは、特に女性はほぼ全員が…

 

異性と「仮面夫婦」になって、生涯を送っていたのでしょう。

 

少子化の話はまた、全然別のファクターが主な原因になって来るのですが…

 

そういう意味で、今の方が、人が「その人らしく」生きられるようになったのでしょう。

 

 

 

ともあれ、母が「荒れていた」長い間…

 

私も含め、家族全員が、母を単純に悪者にして…

 

どちらかというと父を被害者にして、父の味方をしていたような気がします。

 

今、耄碌して、悪いところが拡大されているとはいえ…

 

父の世話をして、その苦労を実感してわかるのは…

 

父も相当にわがままで、社会性の欠けたところもある、手のかかる人だということ。

 

そうしてみると、単純に、いつも父の側についてものを見ていたことは…

 

母には気の毒なことだったなと。

 

せめて私=息子だけでも、もう少し母に寄り添ってあげていたら…

 

彼女もあそこまで、非行に走ることはなかったのではないか。

 

そんな風に、今になって悔いています。


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コメント一覧

angeloprotettoretoru
@1948219suisen 紅葉さま。
私もお義母さまとうちの母があまりに似ているのにびっくりしました。
やはり人生の最晩年になって、鬼が仏になる人というのはいるんですね…
でも「人は鏡」とも言います。
もっと前に、母に寄り添ってあげていれば、違う反応があったのかもしれません。そういう意味では、中では私の妻がいちばん母に寄り添えていたし、信頼されてきたように思います。
1948219suisen
読ませてもらって、我が家の義母とそっくりだと驚きました。若い頃の義母は手のつけられない人でした。が、年取って認知症になってから、急に可愛い人になったのでした。虐めていた嫁の私を頼り切るようになり、顔の表情も仏さんのようになっていました。だから私も気持ちよくお見送りすることができました。

若いころは義父の会社が何回も倒産したから常にイライラしていたのだと思います。姑はお嬢さん育ちでしたから百貨店で高価な服やハンドバッグを買うことは当たり前のことだったと思います。それなのに親戚中から非難されますから、我慢がならなかったのだと思います。姑が生きていた頃は皆が姑を非難していましたが、姑には姑の言い分があったのだと思います。
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