◎ 私は君にこの事を告げる。君が幸福で有る事が出来る様に・・。
「欲しいよ・・。足りないよ・・・。もっともっと・・・」と、君の中でうごめいてる欠乏感と言う植物の根っこを焼き払う事。ビーナラ草と言う植物の根っこから香料を抽出したい人が、ビーナラ草 の根っこを掘ろうとするが如く欠乏感(足りなさ)と言う名の呪われた根っこを掘り崩すといい。
苦しみの悪魔が、またもや君を捕らえて君の心を乱す事の無い様に・・。
超訳・・・ブッダの言葉より・・・法句経337
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足りなさと言う名の呪われた根っこ・・・を掘り崩すといい・・。と、言われても、では、どうすれば良いのだろうか・・・?戸惑ってしまう。そうは簡単には出来ないだろう・・。
それが出来るので有れば、人は輪廻転生する事は無くなる・・。釈迦が説法を説いた相手は弟子に対してであるから故に、君・・・弟子ならば可能だろうが、私達は凡人で有るから故に、また次に生まれ変わり色んな事を経験し、心魂を磨かなくては成らなくなるだろう。
自分の人生に置いて、幸や楽が多く存在する者は、心魂を磨く機会が少ない。多くの難儀・・困難・・・理不尽・苦悩・・と、誰もが有り難くも無い所にこそ、心魂を磨くチャンスが多くある。
そう言った中では、失敗も多々有るだろうし、死にたく成ってしまう事も、生きる生きている意味も分らなく成る時も有るかもしれない。
己を責めて責めて・・・苦悩し身も心魂の置き場もこの世に無い・・と感じる時も有ろう・・。多くの難儀・・苦難・・理不尽・・苦悩・・に満ち溢れた己の人生を人と比較し、世の中の皆が或いは周りの人達が幸せに見え憎く成る場合だってあるだろう・・。誰かの所為にしたくなってしまう事もあるだろう。
この世に生まれる事は、多くの経験をし己の心魂を磨く事に有る。心魂を磨く事は、苦悩をする事で甘くはない。しかし、もし、心魂を磨き切ったとするならば、もう、生まれ変わる事は無い・・。輪廻転生をしない。イエス・キリストや釈迦・・・などなど、神の領域に入ってしまう・・。
私達は、生まれ変わる事を良し・・とする。「もう、生まれ変わらないよ。」なんて言われたら・・・「え!、そんな~・・」と不満を抱くかもしれない・・。己の肉体ばかりか心魂さえも消えて無く成ってしまう・・と思うと不安になり納得が出来ないかもしれない。それだけ己の心魂は、例え肉体が滅んでも存在を要とする大切なものであり、愛して止まないものなのである。
心配は要らない・・。どんな場合も、己の愛して止まない心魂は、存在する。では、生まれ変わらない心魂はどう言うものなのか・・?それは、愛・・そのもの。愛=心魂と言って良いほどのレベルで光り輝く存在と成り、その心魂は、人に対し向けられる愛・・・と成る。神の領域・・・である。もしかすると天使・・・に成れるのかもしれない。
もし、自分が目指す夢が叶わなくても、思う様に成らずとも、懸命に生きているのに楽な生活に恵まれなかったとしても、突発的におきた理不尽な災害や事故や病が有ったとしても、どんな苦しみの闇の中に居たとしても、何ら心配は要らない。
愚かな事を重ね苦悩のどん底にいたとしても何ら心配は無い。
己の愛して止まない心魂を磨く経験で有り、悟りを開く為のものだから。その為には、己から決して逃げない事、しっかりと己と向き合う事が大切で、そこには、必ず自分が必要とする神が御仏が鎮座している。神仏の意とする価値がそこには有るのだから。
己と向き合う・・・それは、苦しさを伴う思考である。懺悔をする羽目とも成るかもしれない。が、その先には、心魂の安らぎと幸せが待っている。
肉体の安らぎなら寝るに限る・・心魂の安らぎこそが何よりの幸せなのであるから・・。
その方法は、瞑想・・に尽きる。釈迦は、瞑想を勧めている。
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