スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・神は時として、人をどん底・・・暗闇に落としこめる・・
◎ あまりに苦しくて・・天に聞いてみたら・・「昼間も星は出ているが誰も気づかない・・。夜に成ると星は良く見えるが、さらに月夜の夜よりも暗闇の中でこそ星は良く見える・・。故に、良く目を見開き観よ・・」と。
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苦労・難儀の多き人生は、この暗闇に星を観る様なものだと・・。星を幸せと例えるならば、あんな些細な事もこんな当たり前の様な事も本当は幸せだった事に気付かされる。
人生において、どん底・・暗闇・・死んだ方が楽だ・・死にたい・・などと思い、自分の不運と愚かさを責め続け、生きる価値が無いと思い、夢も目標も消え人も財も無くし・・命のみの存在と成った時に・・もしかすると神さえも恨みたく成るかもしれない・・そんな時は、「大きく目を見開き天を観よ・・」と言われる・・。天とは己と向き合い神と向き合い正しい教えに目を向け悟りなさいと言う事であろう。
どんなに頑張っても運から見放され頑張るほどに落ちていく・・。何が悪いのかも変わらない・・。どうにかこうにかそれでも生きて来た。
そんな時は、神は死なない程度にしか手を貸さない・・。手を貸しながらもどん底に落ちて行くのを見守っている・・。
なので神さえ恨みたく成ってしまう。私は、腹いせに聖書を焼き捨てた事が有る・・。今、考えれば何と罰当たりな事だろうか・・。
遥か昔に、聖書を続けて読んていた時期が有った・・。電灯を消灯し床につき眠ろうとした時、頭上を光がゆっくりと自分の上を廻っていた事が有った・・。意味が分らなかった・・。
幼い頃にバイクに跳ねられ宙を舞い死ぬところが、怪我一つしなかった事や、池に落ちて藻が手足にからみ危うく死に掛け、助けられた事もあった・・他に2回ほど確実に死にかけた時が今までに有った。
が、さっぱり楽はさせてはもらえない・・。聞こえても見えても人の役に立っても自分は厳しい立場に何時も追いやられてしまう・・。それどころか、人を助ける度に、感謝もされず図に乗られ利用され揚句に裏切られる・・・そんな事ばかりの繰り返しだった。あまりのお人よしの自分に腹が立ち嫌に成ってしまった。
聖書の教えの様に、イエス・キリストの様に自分を犠牲とし人に尽くしたり、また、受ける難儀をただ我慢をしても何にもならない。
右の頬を打たれ左の頬を出し耐え忍んだら、今の世の中は、なぶり殺されてしまう・・。重い荷物を背負い100歩進めと言われさらに自分から100歩多く進め・・なんてしていたら、死ぬまで思い荷物を背負い歩く事に成ってしまう。
イエス・キリストの教えに従っていたら幾ら命が有っても足らない・・そんな世の中なのだから・・そう思った事もあった。考えてみれば何とイエス・キリストはお人よしなんだろうか・・。そんな立派な人間では無いけれど、おひとよしの自分と合い重なってしまう処があった。
どん底に陥った時に、腹が立って仕方が無かった・・そんな訳で聖書を燃やしてしまった。「罰を当てれるものなら当ててみよ・・。好きにしてくれ・・・。」と思った事もあった。
人に愛を与える・・人の為に尽くす・・その代償が報われるならばそれでもまだ救われるが、今の世の中は、絆を持たない者が多すぎる。してもらう・・求める者ばかりが多すぎる・・。この人はしてくれる・・と思ったら求めるばかりで時が経てば当たり前となりそれを過ぎると不平不満が始まる・・。感謝の念は無い。故に、生き辛い世の中に成ってしまっている。
与える愛を意識し生きて行くには、多くを犠牲としてしまう事も有る。イエスの教えは、まるで戦場に武器も何も持たず裸で進み挑む様なものだ。時間の問題で潰れてしまう。決して、教えが間違って居るわけではないが・・。
戦いに挑み安全にわが身を守り進んで行く為には、身を守る鎧も兜も盾も剣(矛)も必要だ。身を守りながら襲ってくる災難(悪)を打ち払い進んで行かなければならない。尊い自分の命を守らなければ成らない。
その鎧・兜・盾と矛(剣)に当たる教えが釈迦の教えにはある。欲しない・・悪を生み出さない・・執着をしない・・それらの煩悩と言われるものを己の中なら消滅をする・・・。何も無い(空)に成る事が、何事にも動じない強い心魂を造り上げる・・。それこそが、己を最強に守る鎧・兜・盾と矛(剣)となる。空こそが最強なり・・と言えるだろう。
これに日本の神道・・神様が加われば大いなる加勢と成る。日本の神様は、大変ありがたい・・。清く懸命に頑張る者の後押しをして下さる。
何処かの国では、宗教によるトラブルが今も有る。遠い昔から今も続いていて、多くの人々が亡くなっている。何の為の信仰か・・が問われる。
それに引き換え、日本人は上手く宗教を取り入れ上手く融合させてきた・・良い所取りをし自分の為に役立ている。
何回も死に損ね生きている・・・生かされている・・。それはまだ生きて行く必要が有るからだろう。暗闇に落っこちてしまった・・・それも、又、必要が有ったからだろう。
確かに、自分の思うままの人生を歩んで来たならば、多くの星(幸せ)を知り多くを学ぶ事は出来なかった・・。もし、体感がこの世での目的で有るならば、暗闇の底も難儀も価値が有る・・必要とされるものだろう・・。全てには意味が有り・・神の意図とするものだろう・・。
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