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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・・イエス・キリストを感じる・・

2012-07-08 13:56:04 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学びイエス・キリスト・・を感じて思う事・・

◎ 或る日の事、誰かのブログを拝見していたら、鳥肌が立って止まらなかく成った。ブログ・・・メール・・・・携帯・・インターネットなどの通信それとも電波と言うべきなのか、そう言った所からもちゃんと神・或いは仏の世界からの霊波的なものは届けられる・・。

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詳しい説明は省略をするとして、創造の神・・が造りし宇宙は、圧力・摩擦・熱・光・陰陽・プラス・マイナス・磁場・電波・・・などなど科学の世界と密着し存在している・・なので、霊波的なものが、電波に絡み及んでも然るべきであると感じる

宇宙・創造の神の話は難しいと言うよりも人間の知識能力を超越している為に説明し辛く思考の域を超えてしまい・・・書く側も多分、読む側も思考するのが嫌になるだろう・・・。幾ら天より教えてもらっても・・そうなのだから、思考するのがしんどくなる・・途中で止めてしまう。次の機会にと小出しの教えと成ってしまう。

なので・・・単に創造の神=愛である・・。宇宙=愛と超訳した方が分り易いし、そうなので在るから・・。

インターネット・携帯などで、神仏、或いは守護霊や先祖霊などスピリチュアル・・と言うろこの域・心魂に触れた時に、鳥肌が立つ場合が有る・・。

そんな関係で、知らない誰かのブログを見た時に鳥肌が立ってしまった。

これは一体何なのだろうか・・。聡明で真っ白く輝く今までに視た事も感じた事も無い、清く美しく繊細で愛おしくも有り・・余りにも清らかな言葉の表現に困ってしまうほどである。

こうも白く汚れの無い心魂・・・悪しきものに狙われる・・かもしれない・・。守って上げたい・・そんな衝動にかられた・・。世の中に、こんな心魂の持ち主が居たのか・・・とその時は思った・・。

それから暫くした或る日の事・・・あ!、あれは人では無い・・。と気付いた。ブログを書いた人に寄り添うイエス・キリストである事に気付いた・・。

道理で、心魂が真っ白・・・黒い部分(魔)が無い・・。人ならば、少なからず心魂に悪しき部分を持っている・・。真っ白な心魂のみを持ち合わせるのは神・・御仏の心魂に他ならない・・。

己の心魂が、もし真っ白に成れたならば、もはや人に生まれ変わる(輪廻)必要は無い・・。神の領域に入る事と成る。キリスト教で言う所のエデンの園・・永遠の命の領域である。仏教で言えば曼荼羅の世界なんだろう。そう言った神や御仏の領域を創造したのもまた神(創造主)である

遥か昔、原始時代に遡てみれば、人間が生きる、命を繋ぎ子孫の継続をするのみに生きていた時代・・食料の確保が何よりも大切だった時代・・生きる為の食料確保が覚束無い人間・・体力的にも弱く何時、狙われ襲われるか分らない人間・・そんな子孫の継続も危ぶまれる弱い人間の最大の知恵が蓄える・確保・保管で有った。

保するは欲するであり、人類が滅ぶ事無く継続が出来た要因でもある。がしかし、欲する・・が、過度の渇欲と成った時に、悪と苦悩が始まった。

生まれた悪・・・悪のエネルギーの集合体である悪魔或いは魔神・・・人の生み出した悪しきものである。それに対し、神(創造主)が造りし神とその領域が在る。

神(創造主)は、神をも造る・・。

悪しきものにより苦悩する人間に対し創造主が造りし神々は、救いを求め指し出された手(心魂)に、その手を添えてそっと繋いで下さる・・。しかし、その為には、己の心魂を清く白きものにしなければならない

悪しき心魂を持ったままに手を伸ばせば・・悪しき者・・悪魔・魔神が喜んで手を差出しニコリとそ手をすばやくサッと握り締める・。

悪魔・魔神の意とする所・目的は、破滅・滅亡・・破壊である。

悟りを求めし者は、欲・悪を財を捨て苦業の道に入り、白き心魂に成るべく努力をし神に手を伸ばす・・。その一人に釈迦が居た。彼は全てを捨て瞑想し白き心魂を得、悟りを開いた・・。

イエスは、恵まれた環境では無かったけれど、洗礼後は、少ないかもしれない全てを捨て神の教えを説いて廻った。

人は生まれた時は、白き心魂であるが生きるほどに悪しき心魂を宿してしまう。イエスは、まるで生まれた時の白き心魂そのままに大人に成長をしている・・。少年期から旧約聖書を学び・・疑問を持った時も有っただろう・・その度に真っ白き心魂が故に神の教えを直接に頂き学んでいった。

悟りを求めし者全てが、真っ白き心魂を宿しては居ない場合もある・・。悪しき心魂を持ち合わせていたならは、神の折角の正しき教えも歪めて受け取り解釈をする事もある・・。

また、神と思えば神に化けた魔神を己の悪しき心魂を持ち合わせるが故に崇め信じる場合も有る。悟りし者が説いた教えを誤って解釈し受け取り伝承をしている・・場合もある。

故に、自分と向き合い悪しき心魂を追い払い神に対し、救いの手をさし出す(向き合う)そうすれば、求める処に神の手は差し伸べられる。

継続は難しいが、一瞬一時的に白き心魂を宿す事は可能である。正しき神の教えを聞き正しい理解が可能になる。迷える時に選ぶべき道は難儀な方で有り楽な道を選ぶ事は往々にして無いものである。

本来の神の姿は無と言って良いだろう・・。それは神は愛であるからだ。愛は見えないものである・・。しかし、姿無きものに人は不安を感じる・・。故に、神は求める者により形・姿を変え現れる。呼び名も変わる・・姿は仮でしか他ならない。

宗教・・その集団に魔神も寄り添い鎮座する。人の集まる所には、お金と権威が付き物で、欲の渦巻く処と成りかねない。宗教が招く争い戦争や悲惨・理不尽も有る。神の居る処に対座して魔神が存在している。しかし、この魔神は神の領域には存在しない・・。人の居る低い位置に視え隠れして在る。

或る男の右手と左手が言い争う・・。

右手が・・「俺の方が優れている故に左手は不要である・・。」すると今度は左手が「俺の方が正しく役に立ち必要とされているのだから・・右手は必要ない・・・」と言う。

また、尻の右側が・・左の尻に向って「お前は汚い・・」と言うと今度は、左の尻が右側の尻に向って・・「お前の尻は醜い・・」と罵りあう・・。同じ一つの体で生じる・・そんな馬鹿げた出来事の様な事が宗教の世界に今も存在している。

或る悟りを求めし者の前に、神が手を差し伸べ申された・・。「私のみを信じなさい・・」と。それを受け取った悟りを求めし者は、大いなる勘違いをしてしまった・・。「そうか・・私の聞いた事のみが正しい神の教えなのだ」・・・と

しかし、真実は違う。く輝く心魂と黒い悪しき心魂を持ち合わせたその者(悟りを求めし者)に対し、両方の心魂を持ち合わせたが故に神と魔神の両方が手を指し述べた・・故に、「惑わされず私のみを信じなさい」・・と申されたに過ぎない・・。

つづく・・・・。

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