◎ 神仏から教えられる(声を聞く)時に、理解の出来ない難しい言葉は使かわれない。
聖書の様に、或いは経典の様に、難しい言葉は使わない・・。理解が可能な言葉を用いられる・・。頭の良い学者が専門用語を使ったり、如何にも威厳と権威を持って・・自分は頭が良いぞ・・偉いぞ・・・と言った政治家の様な言葉も使わない。
その本人の教養のレベルに合った言葉を用い分り易く説かれる・・。それは最初にそう言うものだ・・と天より教わった。聞いても説かれても分らない事は体感させられる・・。体感した後に説かれる場合もある。
理解の出来ない経典や聖書を100回読んでも、分らないものは分らない・・。時間の無駄・・である。その前に、私なら嫌になって諦める。読んでても眠くなってしまうだろう・・。万民が理解できてこその神仏の教えてある。
以前に、苦悩し続けた時に、いきなり「四面楚歌・・」と一言、説かれた(声がした)事があった。聞いた事の無い単語である。
「シメンソカ・・なんや・・それ・・?」今の時代は便利である・・。辞典も有れば、パソコンで調べる事も出来る。後で調べて言葉の意味と由来が分った・・。調べてみて分った訳だが、私の教養レベルはその程度ある。苦悩と質問に対しての的確な導きの声(教え)だった。
理不尽・・・の尽きるに至って、導かれた本・・・ブッダの言葉は、本当にわかりやすい単語・言葉を用いて説かれてある。私のレベルに適した書物を与えられた訳で有る。
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以下、その本の内容を書き記します。
先ずは、欲の一つ食欲について・・。
食べ物に執着しない・・・。(ブッダの言葉より)
「君よ、私は食べ物に執着しない。故に、食料のストックが無くても「どうしよう、早く買いにいかなくちゃ・・」とせき立てられる苦痛は無い。食料が沢山ある時も適量で食べて終わるから「しまった・・!ストレスで過食してしまって、お腹が痛いよ」と言う苦痛は決して生じない・・。
故に、私は幸せ。
相応部経典の超訳
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こう言った言葉と単語を持って分り易く説かれている。私のレベルに適してる・・。有り難い・・。
色々と釈迦の説法を説かれた書物は有るだろうが・・・この本は全く持って私に適しており、苦行の末の導き教え・・「復習し悟りなさい」と言ったところだ。
釈迦の説法は、弟子に対して説かれたもので、それを弟子が聞きとめ覚えて居る事を後に書き記したものである。
短い簡単な教えだけれども、深く多様な意味と教えが説かれている。
今までの「確実に幸せに成る為の学び舎」のカテゴリーをずっと、ご覧頂いた方は、深い意味がお分かりになるでしょう。
食欲の根源・・食料を確保し減る無くなる事への不安・・そして又確保る・・・人間の尽きない欲を説いています。
欲に執着すると常に不安が付きまとう・・・そして食欲を満たし安心を得ようとする行為は、心の不安(ストレス)を食す事で消し、安心を得ようとするが、一時の安らぎにしかならず、また食す・・の繰り返しと成り過食と肥満になる。
原始時代に、飢えに怯え不安を抱き、食を得て安心を得、一時的な幸せを感じたのだろう。そんな遺伝子が成せる過食は行動だろう。
食に執着をしない・・釈迦の教えは今も通ずる教えで有る。2550年ほど前から現代に至るまで何ら変わらない人間模様が今も続いている。
基本は、足りるを知る事が不安を無くし心が安らかで居られる。なによりも、その事が幸せだ・・と釈迦は言っています。
食欲について詳しく、前回のブログに記載しています。(ご覧ください)
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