最近、言葉が変わってきているのは仕方ないとしても、可能を表す言葉の語尾、『れる・られる』の、使い方がおかしいという事が言われている。
例えば、食べることが可能と言う意味の言葉が、『食べれる』なのか『食べられる』なのか。
他にも着ることができるは、『着れる』なのか、『着られる』なのか。
先ず、言葉を否定形にして、『れ』を『ん』に置き換える。
『着る』だと『着らんない』と『着んない』を比較し、どちらが違和感を感じないかと言うと『着らんない』の方なので、これは、『着られない』が正解。
『切る』の場合だと『切らんない』は違和感があるが、『切んない』は違和感がある。
他にも『食べらんない』は良いけれど『食べんない』はおかしい。
『喋んない』は違和感がないが、『喋らんない』は、ちょっと違和感がある。
まあ、これはあくまでも可能を表す時の『れる・られる』のどちらを使うかの私なりの判別法だということで、すべて正しいかどうかは一概に言えないし、生まれ育ったところの言葉の違いもあるかもしれないので、どう感じるか、他の意見も聞いてみたいなあ。
もう戻らないんでしょうね。
言葉って生き物ですから、変わっていくのは仕方ないし、ら抜き言葉も、どこぞの方言だって言う説もありますものね。
ただ、某局のアナウンサーですらも、月のアクセント関西風になったりしていますからねえ。