http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090122-OYT1T00121.htm
シャッターさびちゃえ!住職「塩まき」10年、一喝され自供
1月22日7時38分配信 読売新聞
堺市堺区の寺院の住職(55)が、門前の運送会社のシャッターに塩をまき、さびさせたとして、大阪府警堺署から建造物損壊容疑で取り調べを受けたことがわかった。
住職は当初、「霊が見えたので、お清めしただけ」と言い逃れを図ったが、捜査員から一喝され、「朝早くから車の音がうるさいので、困らせようと思った」と認めたという。約10年前から「塩まき」を繰り返していたといい、同署は住職を同容疑で書類送検する方針。
捜査関係者によると、住職は昨年夏から秋にかけて、倉庫のシャッター(縦4メートル、横16メートル)に塩をまいて腐食させ、運送会社に補修費用として約38万円の損害を負わせた疑い。
運送会社は約15年前に現在地へ移転してから2度、シャッターのさびをペンキで塗るなどして補修。昨年6月7日に3度目の補修をしたが、翌7月にさびが浮いてきたため、不審に思って防犯ビデオを設置。8月30日、9月6日、同17日の夜に撮影されたビデオに、何かを振りかける住職の姿が映っていた。住職は「さびるように、水をまいたこともあった」と供述している。
こういったニュースを見る度に騒音被害に対する被害者の恨みの深さが解ろうというモノだ。
一般的には、"「塩まき」10年"とは、何としつこい執念だと特殊な感じに映るかも知れない。しかし、その原因は運送会社が15年間にわたって撒き散らし続けていた騒音なのだ。そちらは全く問題にされない。
それは騒音源側に他人に何らかの被害を与えているという認識が全くないからであると同時に、そもそもが、そういった騒音はいわゆる環境に関する規制基準には全く抵触しないからである。要は、法に触れなければ他人の迷惑など知ったこっちゃない、何をしても良いのだ、との考えにある。
シャッターに損害を与えた事は建造物等損壊罪とか言う犯罪になるが、騒音を15年間撒き散らし、一人の人間の神経を逆撫で続けたことは、全く犯罪にはならない。
「朝早くから車の音がうるさい」というのが一体何時頃からなのか解らないが、エンジンを掛けて直ぐ出かけて行ってしまえば、それ程問題にはならないであろうから、まず間違いなく数台が相当時間アイドリングを続けていたのではなかろうか。
全くいつもの事ながら”加害者側”だけを変人扱いし、何故そう言った状況に到ったかという騒音源側の状況は一切報道されない。
しかし、少なくとも、一人の人間が犯罪”を犯してしまうような事態に至らせる様な事態があったことは確かである。
こういった事件は「感覚に係わる環境基準」等と言うモノが全く役立たないことを物語る事件だ。
騒音を原因とする騒音源側への加害者はほとんどキチガイ扱いされるが、もしそうであるなら、そう言った状況に追い込んだ騒音源側は加害者として糾弾されるべきではないのか。だが、現実としては、そう言った犯罪は余程の騒音ででもない限り構成されない。
恐らく風車騒音被害者もエコキュート被害者もこの住職と全く同一線上にあると思う。ほとんどの騒音被害者は騒音源をブッ壊したいと思っているに違いない。
シャッターに塩を撒いて錆びさせたところで、騒音は無くならない。可愛いモノだ。