自己主義の左翼と全体主義の右翼。
どちらも危険な思想に他ならない。
極端に自己愛を重視したり、極端に国家の繁栄を重視する事は、結果的に多くの死者を出す事に繋がっていく。
まるで増えすぎたねずみが列をなして川に飛び込んで行くかの様な行為だ。
知識が偏重し寛容な精神が失われた状態が左翼や右翼を生む。
極端な自己愛がなぜいけないのか?
巨大なプロジェクト全般に対して反対する。つまり、変化を嫌い、自身の利益や快楽のみに注目する事で、地震や津波、火事や建物の倒壊、洪水や土砂崩れといった大きな災害に無力である。こういった事が起きる度に宗教の力を借りる非科学的な考え方だ。
経済の衰退や過疎化も招き、戦争による侵略を受ける事にも繋がる。
極端な自己愛は自然衰退や自然消滅へといずれ結末する。麻薬や同性愛など非生産的である事からも分かる。
逆に、極端な国家主義がなぜいけないのか?
こちらは、自己ではなく国家を愛する行為で、直接的な自己では無いにしろ、自己の含まれた国家を愛しているので自己愛の間接的な結果だ。
民族主義とも言われるが、自国が危機的な状況になった時に、他国を傷つけてでも生き残ろうとする。
また、拡大思考の為、巨大化する事に快楽を感じている。
プロジェクトが巨大ゆえ失敗した時の損害が大きい。戦争では多くの死者を出す。
重要なのはバランスであり、どちらに偏重しても結果は死であり消滅である。
国家主義や利己主義の色彩を少しでも打ち消すように努力しなくてはならない。
特に政治家や国家公務員においてこういった色彩が少しでも現れる事は、結果的に国家の消滅に繋がる。
しかし、力動的に不可避である可能性も否定できない。
破壊と再生が繰り返されるうちに進化しているという考え方だ。破壊されるべきものは自然に破壊しつくされなければ次は無いのかもしれない。
どちらも危険な思想に他ならない。
極端に自己愛を重視したり、極端に国家の繁栄を重視する事は、結果的に多くの死者を出す事に繋がっていく。
まるで増えすぎたねずみが列をなして川に飛び込んで行くかの様な行為だ。
知識が偏重し寛容な精神が失われた状態が左翼や右翼を生む。
極端な自己愛がなぜいけないのか?
巨大なプロジェクト全般に対して反対する。つまり、変化を嫌い、自身の利益や快楽のみに注目する事で、地震や津波、火事や建物の倒壊、洪水や土砂崩れといった大きな災害に無力である。こういった事が起きる度に宗教の力を借りる非科学的な考え方だ。
経済の衰退や過疎化も招き、戦争による侵略を受ける事にも繋がる。
極端な自己愛は自然衰退や自然消滅へといずれ結末する。麻薬や同性愛など非生産的である事からも分かる。
逆に、極端な国家主義がなぜいけないのか?
こちらは、自己ではなく国家を愛する行為で、直接的な自己では無いにしろ、自己の含まれた国家を愛しているので自己愛の間接的な結果だ。
民族主義とも言われるが、自国が危機的な状況になった時に、他国を傷つけてでも生き残ろうとする。
また、拡大思考の為、巨大化する事に快楽を感じている。
プロジェクトが巨大ゆえ失敗した時の損害が大きい。戦争では多くの死者を出す。
重要なのはバランスであり、どちらに偏重しても結果は死であり消滅である。
国家主義や利己主義の色彩を少しでも打ち消すように努力しなくてはならない。
特に政治家や国家公務員においてこういった色彩が少しでも現れる事は、結果的に国家の消滅に繋がる。
しかし、力動的に不可避である可能性も否定できない。
破壊と再生が繰り返されるうちに進化しているという考え方だ。破壊されるべきものは自然に破壊しつくされなければ次は無いのかもしれない。