アメリカに象徴される自由において、メリットとデメリットを抽出し、中国やロシアに象徴される平等において、メリットとデメリットを考えて見たい。
人類は地球上において、最も突出した能力を持つに至った。
かつて地球上には恐竜が非常に巨大化し無敵になったが、それと同じ様に人類は道具を手にする事で無敵になった。
しかし、自由にそれを放置しておくと、激しい競争が起こり、その道具で敵対する勢力を抹殺するという最悪の事態が起きる事がある。激しい貧富の差が生まれ、嫉妬や恨みといった感情も生じやすい。
一方で、常に淘汰が繰り返される事により、より強い種が偶然に誕生する可能性も極めて高く、競争力が非常に高いのが自由主義の特徴だ。
この様な地球環境における全く自由な現象は、当然の事ではあるが消滅と出現を繰り返しているのであり、環境がより厳しくなっていく可能性も否定できない。
地球が最終的に月面の様になる可能性ある。それでも宇宙から見れば全くちっぽけな事で取るに足らないが、人類が意図しない方向へ向かっていく事は不幸であり、最終的な人類に対する評価がコントロールを失った一動物に過ぎないという事も有り得る。
一方、平等主義の社会においては、極端な貧富の差が発生しにくい。限られた物を平等に分け合って互いに助け合う事に重点が置かれているからだ。その為に階級社会を構築し、より上の階級に到達するには優れた人物を選抜するという方法が取られている。テストや面接によって特定の職に適する優れた人物を選抜する事により自由競争が無くても高度な社会構造を構築できるという考えだ。
しかし、完全に自由な競争が欠落していると持続的ではあるが、突出したアイデアが出にくいばかりか保守的な思想が蔓延しやすく社会全体が衰退していく可能性が出てくる。
選抜時は優れた能力が評価されていても採用されてからも、それが維持できるとは限らず、優れた能力が生かされること無く、形骸化した風習に支配される様になると、もはや何の為の選抜かも分からなくなってくる。結果、能力が低下し競争力を失っていく事になる。
平等な社会構造は徐々に平等でなくなってしまい易く、平等でなくなると存続できなくなる。
人類は強大で強力な道具を持つがゆえに自由であってはならなくなってしまった。
人類共通の法によって支配され、勝手な判断は許されない。
リソースは限られているのであり、それを自由に奪い合ってはならない。
選抜時の競争原理においても公平性を保たなければならない。
情報操作もしてはならない。
しかし、人類はやっぱり、どこかで単なる動物の一種だ。
法は破られ、大衆は爆発的に怒りだし、好き勝手に騒ぎ出す。
デモの殆どは法の支配という束縛を破壊しようとする、単なる暴走であり、自由への希求だ。
建前は何でも良いのだろう・・
デモ=戦争の火種と言える。例え平和を唱えていたとしてもだ。
人類は地球上において、最も突出した能力を持つに至った。
かつて地球上には恐竜が非常に巨大化し無敵になったが、それと同じ様に人類は道具を手にする事で無敵になった。
しかし、自由にそれを放置しておくと、激しい競争が起こり、その道具で敵対する勢力を抹殺するという最悪の事態が起きる事がある。激しい貧富の差が生まれ、嫉妬や恨みといった感情も生じやすい。
一方で、常に淘汰が繰り返される事により、より強い種が偶然に誕生する可能性も極めて高く、競争力が非常に高いのが自由主義の特徴だ。
この様な地球環境における全く自由な現象は、当然の事ではあるが消滅と出現を繰り返しているのであり、環境がより厳しくなっていく可能性も否定できない。
地球が最終的に月面の様になる可能性ある。それでも宇宙から見れば全くちっぽけな事で取るに足らないが、人類が意図しない方向へ向かっていく事は不幸であり、最終的な人類に対する評価がコントロールを失った一動物に過ぎないという事も有り得る。
一方、平等主義の社会においては、極端な貧富の差が発生しにくい。限られた物を平等に分け合って互いに助け合う事に重点が置かれているからだ。その為に階級社会を構築し、より上の階級に到達するには優れた人物を選抜するという方法が取られている。テストや面接によって特定の職に適する優れた人物を選抜する事により自由競争が無くても高度な社会構造を構築できるという考えだ。
しかし、完全に自由な競争が欠落していると持続的ではあるが、突出したアイデアが出にくいばかりか保守的な思想が蔓延しやすく社会全体が衰退していく可能性が出てくる。
選抜時は優れた能力が評価されていても採用されてからも、それが維持できるとは限らず、優れた能力が生かされること無く、形骸化した風習に支配される様になると、もはや何の為の選抜かも分からなくなってくる。結果、能力が低下し競争力を失っていく事になる。
平等な社会構造は徐々に平等でなくなってしまい易く、平等でなくなると存続できなくなる。
人類は強大で強力な道具を持つがゆえに自由であってはならなくなってしまった。
人類共通の法によって支配され、勝手な判断は許されない。
リソースは限られているのであり、それを自由に奪い合ってはならない。
選抜時の競争原理においても公平性を保たなければならない。
情報操作もしてはならない。
しかし、人類はやっぱり、どこかで単なる動物の一種だ。
法は破られ、大衆は爆発的に怒りだし、好き勝手に騒ぎ出す。
デモの殆どは法の支配という束縛を破壊しようとする、単なる暴走であり、自由への希求だ。
建前は何でも良いのだろう・・
デモ=戦争の火種と言える。例え平和を唱えていたとしてもだ。