東海道の三大難所
東の箱根峠、西の鈴鹿峠。
もうひとつが島田宿と日坂宿の間に越える小夜の中山です。
古くは平安時代、平清盛が時代を謳歌した頃、西行法師が一度目を歩き、二度目は清盛の子、重衡が焼き討ちした東大寺の大仏の再建に奥州までの往復で、次に戦国の世で豊臣秀吉亡き後、関ヶ原の戦いの年、会津の上杉討伐の準備のために江戸へ向かう徳川家康を領主だった山内一豊が小夜の中山の久遠寺の境内に茶亭を新築して家康を饗しました。
一豊は関ヶ原で家康に味方、大した戦功は無かったものの、評定の席での掛川城明け渡しを告げる口上が口火となり、東海道沿いの豊臣諸将が次々と家康に味方を加担する結果を招きました。
家康は戦後、山内一豊を掛川六万石から土佐一国の太守へと返礼しました。
久遠寺山門
久遠寺
一豊が家康を饗した茶亭跡
久遠寺山門
久遠寺
一豊が家康を饗した茶亭跡
箱根、鈴鹿に負けない急勾配の坂。