夏期講習やJAZZの野外ライブで夏は終わり、秋は大祭の準備で慌ただしい。中2だけど受験生予備軍ということで、本格的なお手伝いは免除されている。これが紫ちゃんだったら、お祓いや神事で役に立てるのだろうけど、私は本当に雑用ぐらいしか出来ることがない。
織居の分家の他にも若い神職さん達が、合宿状態でお手伝いに来てくれているので、私にはさっぱり仕事が回って来ない。うちは神職さん達の修行場として密かに人気らしいのだ。つまり、“出たり”、“視えたり”するから。そういうオカルト体験でいちいち動揺していたら神職は務まらない。というわけで、みなさん、“鍛え”にうちにやって来るわけだ。鍛えるぞー、と意気込んで、内心ワクワクしながら仕事をしているので、ホタルたちのいい餌食になっている。私の仕事は、紫ちゃんのいない今、そんなホタル達の監督係のようなものだ。
とはいえ、“出たり”“視えたり”するのは夜が多いのに、神職は毎日4時起きで夜10時には寝てしまう。私はつい勉強していると夜更かしになって、あまり接点がない。監督係と言っても名ばかりだ。勉強に集中すると神経が冴えてなかなか寝付けないので、寝る前に庭を散歩するのが日課になった。散歩しながら、悪戯仕掛けてるホタルや妖魔がいないか、パトロールだ。
母屋を出て境内を横切って、最初の目的地は桂清水。ここはまさにホタル達にとってパワースポットだ。なにせ体内の桂清水の濃度で実体化の程度が決まるのだ。なのでホタルの動線に組み込まれていて、最もホタルとの接触頻度が高い場所だ。桂清水はここから参道沿いの水路になって西側へ流れ、商店街を経由して私が進学志望の高校の裏手の池に続いている。この池が水脈上の要所になっているので、住吉の人間はこの高校に通って池のメンテナンスをしないといけない。紫ちゃんが眠り姫の護衛のために九州の高校に行ってしまったから、勢い私にそのお鉢が回って来たのだ。この高校がけっこう偏差値の高い進学校なのだ。そのお陰で私は受験勉強を口実に、神社の用事を免除されている。一方、そのせいで私は自宅にいても、何となくいつも疎外感を感じる羽目に陥っているのだ。
桂清水は一部、伏流水になり、住吉神社がある丘陵の麓で何箇所か湧き出ている。二の蔵から北向きへ下る石段を下りて、そこから東側に遊歩道を歩くと小さな滝といくつかの湧水池がある。水辺に木道を巡らせて、春はリュウキンカ、夏はカキツバタやハナショウブ、夏から秋にかけてスイレンやミソハギ、ガマの穂なども観られて神社でも人気のスポットだ。日中は表の拝殿や境内より一般の散策客が多いほどだ。水辺を囲んで蝶や野鳥が好む花や実をつける植物を植栽しているので、生き物も多い。定年退職した中学校の理科の先生とか野鳥の会の方々が、腕章つけてレンジャーをかって出てくださっている。去年もこの地域では絶滅したと思われていたサンショウウオが見つかった、と地方紙の記者が取材に来た。人為的な分布の可能性は?と聞かれて、住吉の人間はみんなとぼけていたが、十中八九ホタルのせいだ。ホタルは自分の好みの植物や生き物の面倒を見て、勝手に移植するのである。
翠もこの水辺が好きだった。赤ちゃんの頃からホタルと仲良しで、ベビーベッドにいつも2、3匹ホタルが集まって翠をあやしていた。首が座ってはいはい出来る頃になると、たっちするよりも早くホタルにふやふや浮かせてもらって、勝手に庭に出たりするので母も父もハラハラしていた。言葉が出るようになると、謎の言葉でホタルと会話していた。あまりにスラスラ話すので、父などは録音して語学の先生に聴いてもらったりしていた。どこかの言語ではないかと考えたのだ。生まれ変わりの逸話などでは、前世の国の言葉を話す幼児がいたりするそうで、父は本気で翠の前世を知りたいと考えていたようだ。かぐや姫のように、一時、この世界で暮らしていつか元の世界に帰ってしまうのではないか。そう感じていたらしい。
父の予感は当たった。翠は5歳の時、元の世界に帰って行ってしまった。ただし、精神だけ。身体はこの世界に捨てて行ってしまったのだ。小さな棺の中の小さな身体を見るのは、本当に辛かった。あのぶっくりした頬や、いつもちょっと湿って冷たい小さな手や、サラサラの髪をもう触れないなんて。いつも猫のように何もない空間をじっと見ていたり、時々突拍子もないことを言い出す、妖精の取り替え子のような、不思議な男の子。翠の話を聞くのが好きだった。いつも心配だった。私も予感がしていた。この子はこの世界に暮らすには綺麗過ぎる。
母は元々病弱で、私や紫ちゃんが小さい頃からいつも具合が悪くて、食事を作ったり着替えさせたりという身の回りの世話は、お手伝いの浜田さんにやってもらっていた。本を読み聞かせしてくれたり、遊びに連れて行ってくれるのはいつも父で、“お母さんは具合悪いんだから、そっとしといてあげなさい”が口癖だった。紫ちゃんも私も翠も、母に甘えたことが無かった。甘えたいとも思わなかった。母は何だか“怖い”存在だったからだ。住吉の伝説は知っていたし、“柱の役目”のことも理解していたけれど、実感はなかった。本当のところは信じていなかったのかもしれない。そんなことより、と私は思っていた。1000年前の伝説なんかどうでもいい。そんなことより、お母さん、私たちを見てよ。
翠が“いなくなった”一年くらい前から、特に母の具合が悪くて寝付いていることが多かった。母屋の一番日当たりのいい和室でいつも寝ていて、食事にも出て来ない。母の食事を運ぶのは、父や子供たちの仕事で、その時だけ母の顔を見ることが出来た。私は正直、母と会うのは憂鬱で億劫だった。いつも何を言われるか、びくびくしていた。私は役に立たないみそっかすだから。
翠がいなくなった時、母は泣かなかった。涙の一粒も落とさなかった。小さな棺が火葬される炉に入れられて、金属の重い扉がガシャーンと閉められた時、私は悲鳴のような声を上げて泣いてしまった。自分の身体が引き裂かれたように感じた。紫ちゃんと抱き合って泣いた。そんな私達を父は抱き締めながら、自分も泣いた。でも母は、そんな私達から少し離れた椅子に座って、両腕で自分の身体を抱くように腕を組んで、ただ眼を見開いていた。お母さん、何故泣かないの。悲しくないの。翠が死んでも何とも思わないの。母を責めてしまいたくなった。
今もこの水辺に来ると、あの時の気持ちを思い出す。いつも私の傍にいて護衛してくれる碧ちゃんも、私の夜の散歩に付き合ってくれる先生も、私が水辺の東屋のベンチに座ると、すうっと離れて私をひとりにしてくれる。翠は何を見たんだろう。翠はどこに行ったんだろう。翠はいつか帰って来るだろうか。
東屋の薄暗がりの中で、月明かりに照らされた水辺の木々を見ていた。北側の石段の方からフクロウの声がする。湿地のラクウショウの木立からはトラフズクの口笛のような声が聴こえる。それぞれ毎年、テリトリーを作って子育てしているのだ。トラフズクが返事してくれないかな、と口笛を吹いてみた。返事を待って耳をすましていると、池の向こうの白いクジャクソウの茂みの辺りから変わった虫の声が聴こえた。いや、虫の合奏かと思ったけど、虫じゃない。楽器の音だ。音楽とも言えないような、音の羅列。楽器の練習をしているような、音を並べて作曲しようとしてるような、そんな感じ。これはなんの楽器だろう。リュートってこんな音じゃなかったっけ。先生の仕業だろうか。他のホタルで弦楽器を弾く子がいたっけ? ベンチからそっと立ち上がって、ゆっくりクジャクソウの方に近付いた。誰か楽器を練習しているなら邪魔したくない。音を立てないように慎重に木道を歩く。きっと先生だ。先生はピアノの他にいろんな楽器の音を奏でてくれるし。
背の高いブットレアのブッシュと、ピラカンサスの生け垣の間からそおっとクジャクソウの方を覗いた。花壇の横に設置された白い錬鉄のチェアーに座って琵琶を弾いていたのは、長い黒髪を垂らした住吉の守り神だった。
「黒曜」
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