何も、浮かばない。九月のはじめだというのにな。頭の中は、停止したままである。
今日は、防災の日?学生の頃、この日は毎年訓練したな。教室のスピーカーから「ゴー!」という…地震が起こってるらしき音がして、教えられてた通りに机の下もぐって、「音」が止んだら防災頭巾を被って速やかに、静かに、整列して避難する…。懐かしいな。
果たして、本番。その通りに出来るかっていったら、出来ないかもしれない。
ある日、本当に起こったのだ。とはいっても、震度2位の小さなやつが。で、クラスの皆はどうしたかというと、ボサーッとしてたね。キョトンとしてたね。「キョトン」を、人間として現せって命ぜられたら、ああすりゃいいんだな。クラス中が一斉に「キョトン」として、誰かが一声、「…地震!」と言ってやっと、机の下にもぐった次第。その一声とは、子供の頃の僕の一声である。普段は、教室の隅で目だ立たないようにしている僕も、あの時ばかりは隅にいてもしょうがないと、思ったのかもしれない。
あれから少しして、阪神淡路大震災が起こり、友達があの揺れを経験した。消息が心配で、連絡を取ろうと、あまり好きでない電話をかけた。友達の実家に電話をし、出た友達の父親は動揺していた。口数の少なそうなおじさんが、いつもと違っていた。
友達は、倒れてきたタンスとベッドの間に収まり??助かった。テレビで中継されている、炎が上がっているすぐ目と鼻の先に、住んでいたらしい。
何に感謝すればいいのだろう。犠牲になった人たちがいるすぐ傍で、どう感謝すればいいのか。
何気なく、普通の朝を迎える毎日。換気扇が回り、ケトルは高く響き、通勤する人々の顔は、曇りがち。子供達の元気は、朝からはじまる。公園の緑は、季節ごとに変わって僕の目を楽しませる。
9月1日という日は、地震という文字を必ず目にし、机の下に潜った日と、友達の父親の声を思い出す。
僕らが住んでる日常は、想像以上に力を持っている大自然の上に、塵のように存在させられている。風も、水も、火も、地も、ものすごい生命力でもって、生きている。勿論、植物も。
お釈迦様の手のひらの上である。
普段気付かない大自然のエネルギーは、僕らの無力さと思い違いをまざまざと見せつけてくれる。
どれだけ真剣に向き合えるか、という疑問に、どれだけ真剣に向き合えるだろうか?
地面が揺れたら、静かに速やかに。
だったね?先生。
「地震!」って、人に言われなくても動こうな。
みんな。
今日も、大地は呼吸している。
今日は、防災の日?学生の頃、この日は毎年訓練したな。教室のスピーカーから「ゴー!」という…地震が起こってるらしき音がして、教えられてた通りに机の下もぐって、「音」が止んだら防災頭巾を被って速やかに、静かに、整列して避難する…。懐かしいな。
果たして、本番。その通りに出来るかっていったら、出来ないかもしれない。
ある日、本当に起こったのだ。とはいっても、震度2位の小さなやつが。で、クラスの皆はどうしたかというと、ボサーッとしてたね。キョトンとしてたね。「キョトン」を、人間として現せって命ぜられたら、ああすりゃいいんだな。クラス中が一斉に「キョトン」として、誰かが一声、「…地震!」と言ってやっと、机の下にもぐった次第。その一声とは、子供の頃の僕の一声である。普段は、教室の隅で目だ立たないようにしている僕も、あの時ばかりは隅にいてもしょうがないと、思ったのかもしれない。
あれから少しして、阪神淡路大震災が起こり、友達があの揺れを経験した。消息が心配で、連絡を取ろうと、あまり好きでない電話をかけた。友達の実家に電話をし、出た友達の父親は動揺していた。口数の少なそうなおじさんが、いつもと違っていた。
友達は、倒れてきたタンスとベッドの間に収まり??助かった。テレビで中継されている、炎が上がっているすぐ目と鼻の先に、住んでいたらしい。
何に感謝すればいいのだろう。犠牲になった人たちがいるすぐ傍で、どう感謝すればいいのか。
何気なく、普通の朝を迎える毎日。換気扇が回り、ケトルは高く響き、通勤する人々の顔は、曇りがち。子供達の元気は、朝からはじまる。公園の緑は、季節ごとに変わって僕の目を楽しませる。
9月1日という日は、地震という文字を必ず目にし、机の下に潜った日と、友達の父親の声を思い出す。
僕らが住んでる日常は、想像以上に力を持っている大自然の上に、塵のように存在させられている。風も、水も、火も、地も、ものすごい生命力でもって、生きている。勿論、植物も。
お釈迦様の手のひらの上である。
普段気付かない大自然のエネルギーは、僕らの無力さと思い違いをまざまざと見せつけてくれる。
どれだけ真剣に向き合えるか、という疑問に、どれだけ真剣に向き合えるだろうか?
地面が揺れたら、静かに速やかに。
だったね?先生。
「地震!」って、人に言われなくても動こうな。
みんな。
今日も、大地は呼吸している。