JAZZ PIANO で行こう

ヤノテルの音楽ブログです。ジャズピアノの研究・指導・作曲・ライブをしています。音楽が人生の喜びです。

ハーモニカと教育論

2013年10月14日 | クロマチックハーモニカ

実際のところはトゥーツ・シールマンスのほうがよほど有名というか

ワンランク上の人ですし、何しろビル・エヴァンスとのデュオアルバムが有るくらいですから

また、音楽のレベルと質は全く異なるものです。もちろんリー・オスカーさんも昔

資生堂のCMで有名な曲があるのですが、今日は一緒に吹いてみるとあまりに拙い素朴な

曲です。だからいい! ということも言えます。難しいことをせずにインパクトの有る

心に残るメロディーというものが有るわけで。

昔 与作 という曲がヒットする瞬間を見たことがあります。

与作は木を切る~ という出だしのあの有名な曲ですが、あれは全くの作曲の素人さんが

作った曲です。NHKでしろうとの作曲した曲を演奏したものの一位を決める

という番組がありました。かなり昔です。与作が一位になったのです。僕もいい曲だなと思いました。

でも、まさかその曲を有名な歌手が歌ってヒットするなんて誰も思ってもみなかったでしょうね。

というわけで、曲でも音楽でもなんでも沢山の人に受け入れられればこの芸事の世界は勝ちなのです。

受け入れられないのは、やはり全く価値がないか、時代を超越しているかのいずれかでしょう。

ほとんどの場合前者ですね。

ハーモニカという楽器はとてもマイナーです。パンフルートも超がつくほどマイナーですが。

だから最近パンフルートをやっていないのではなく、パンフルートはいいのですが、

音が大きすぎて家で練習できないのでハーモニカなら良いということでひたすら練習しているわけです。

また自分の好きなJAZZ特にトゥーツ・シールマンスを神のように崇めているのですが、

彼の世界観にちょっとでも近づきたいというのがその理由です。まず近づけないのですが、

近づきたいのです。

日本には残念ながら目指すハーモニカ奏者はおりません。田中さんののレッスンを大阪で

受けましたが、音楽的なバランス感覚が素晴らしいですね。

でも、影響は受けますが、世界観は違うかな。まだそれを表現する技術はないですが、

表現したいものはいっぱいあります。どっちかというとグレゴア・マレでもないけど

そういった感性も理解できるというか、共感できます。ただ、これも聞いた話ですが、

グレゴア・マレ モデルを販売する折、鈴木楽器主宰でグレゴア・マレの

ライブを大阪でやった時、十数人しか集まらず、ハーモニカをやっている人も数人しかいなかった

とがっかりしたそうです。ハーモニカってそんな認知度です。

 

ただ、僕はピアノを弾くので、ピアノで出している自分の音楽の世界観をハーモニカでも表現できたらと思います。

ただ、あまりにまだまだ経験不足で、

ピアノで弾く10分の1もできません。はじめてから2年たちますが、まだまだです。

 

だから時々、ピアノよりも永遠吹き続けることもあって、そのうちにハーモニカを吹き壊してしまいます。

このあいだ、sub30 を1ヶ月でダメにしたと言ったら、スズキの山内さんに「吹きすぎでしょ」

と言われました。やりだしたらとことんやりたいじゃないですか。おそらく1ヶ月で80時間くらい吹いたでしょうね。

一般企業ではそれくらいの時間残業すると危険だそうですね。80時間が過労死や突然死のきっかけになるそうです。

ただ、僕は好きな事をしているので、全くストレスはないわけです。ストレスはハーモニカにかかっているのですから。

それに加えて、ピアノも練習しているので、本当に仕事しているの?と思われるでしょうが、仕事はしております。

3人の子供たちを大学院・大学に通わせているので、遊んでばかりでは仕送りもできません。

しかし、お金にならない音楽をやりながら自分でも呆れています。

カーネルサンダースさんは60歳前後からあのケンタッキーのビジネスを始めたそうですね。

その快進撃は凄まじいですが、人間やる気になればそこまで行けるのです。

ぼくもヤクザな音楽なんかやらないでもっと稼ぐことに専念すればとおもうのですが、

右脳がゆるしてくれません。面白いことをやってないと右脳がしょぼくれているんです。

やっぱり若いころ芸術に携わると、もいちどやりたくなるんですね。楽しいですものね。

さらに、僕は絵や立体作品も創っています。これはきのこ&JAZZというテーマで一貫しております。

スティーブ・ジョブズも56歳でなくなったわけですが、彼も僕にとっての神レベルで

真似はできないけど、彼のスタンフォードの演説は英語版を50回くらい聞きました。

彼の教育の思いは断ち切られましたが、僕も教育に携わる身、何か人のためになることを

したいですね。

先日、たかじんのそこまで言って委員会を見ていると、さごばさんが、

月謝はとってません。 というのを最後に言っていました。

弟子をとるというのは、生活の面倒から、小遣いから、教えることから

全部面倒を見るんやといっていました。

なるほど教育というのはまさにそこが真骨頂、

音楽の世界は反対ですね。生徒が月謝を払い、先生の生活を

支えている。当然といえば、当然ですのことなのですが、

落語の世界はなぜ、弟子の面倒を見るのでしょうか、

師匠は弟子が真打ちになって一人前にすることの責任をもつことで

社会的な使命をはたせるというか、そのようにして落語会を守っているのでしょうか。

落語家たちもある程度力が着くと収入は結構あるようです。

音楽も落語も芸事ですから、よくにておりますが、音楽の世界は

より無料化にちかづいています。

落語も録音されたものも聞いても面白いですが、やはり寄せで聞く本物は

ちがいます。落語のCDはあまり売れませんが、生活はなりたっています。

それは漫才やコントと同じように人を笑わせてなんぼのシビアな世界で

やっていけることはショービジネスですから、音楽ビジネスとは

ちょっと違います。

音楽はジャンルが多すぎて人の好みも千差万別ですが、

落語にジャンルはありませんからね。

 

 

 

 

 

 

 


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