「文明の交差点の地政学 トルコ革新外交のグランドプラン」(アフメト・ダウトオウル著 中田考監訳 内藤正典解説 書肆心水)は、トルコからの視点で見た地政学の本である。著者は政治学博士で、エルドアン内閣で外務大臣やエルドアン大統領の下で首相を務めた方である。著者はエルドアン大統領から離れたものの、政権の外交方針はそれほど変わっていないと考えられている。日本語版序文には、「地理的には距離が離れているにもかかわらず、日本とトルコの外交方針は非常に似ています」と書かれており、日本の外交を見るうえでも参考になるのではないだろうか?
トルコには「アドリア海から万里の長城まではトルコ世界である」という中央アジア諸国でさえ警戒させるスローガンがあるそうだ(p81、ページ番号は「文明の交差点の地政学」のもの。以下同じ)。昨年9月のナゴルノ・カラバフでの軍事行動が終了した後、トルコのエルドアン大統領はアゼルバイジャンを訪問し、アゼルバイジャンのアリエフ大統領とアルメニア経由の回廊について協議を行った(トルコ大統領、アゼルバイジャン訪問 アルメニア経由の回廊協議 | ロイター 2023/9/25)。「アゼルバイジャンの石油、東アナトリアの水資源、そして北イラクの石油も地理経済的一体性を有することである」(p143)と書かれているが、トルコはバクーとジェイハン港を結ぶ石油輸送路(パイプライン)を推している(p179)。アルメニア経由の回廊は、アゼルバイジャンからの石油パイプラインにも関係するのだろう。ロシアはジェイハンの鼻先のキプロスのギリシャ地域(南キプロス)にS300ミサイル売却を行った。トルコの推す輸送路を通る石油が、カスピ海産の石油をノヴォロシスク港からタンカーで輸送する計画と競合することから来る対抗策と見られている(p179)。今年になって、アリエフ大統領はロシアを訪問してプーチン大統領とも会談している(「プーチン氏、アゼルバイジャンの支援強調 首脳会談開催」 2024/4/23 日本経済新聞電子版)。中央アジアへの影響力を奪われたうえ、加盟申請するもBRICSからはパートナー国の地位を提示された(BRICS、トルコに「パートナー国」の地位提示=貿易相 | ロイター 2024/11/14)。オスマン帝国とロシアは戦争を繰り返してきたこともあり、ロシアとトルコの関係は一筋縄ではいかないようだ。
その、アジアとアフリカ、ヨーロッパとアフリカ、ヨーロッパとアジアを結ぶ要衝にあるキプロスについては、「キプロス島を無視する国はグローバルな政策と地域的政策において影響力を持つことはできない」(同p177)とまで書かれている。第一次世界大戦時にはドイツ側に立って戦うなど、トルコはドイツに親近感を持っているという。しかし、南キプロスのEU加盟に熱心だったのは南の境界に戦略的な足場を確保しようとしたドイツである(p178)。かつて英国とロシアが接近するときにはベルリン、バクダード鉄道計画などでドイツと接近したが(p441)、トルコとドイツの関係も単純なものではなくなっていそうだ。
トルコは海洋国家でもある。「エーゲ諸島の多くがギリシャの手にあることは近隣海洋圏政策の最も重大なボトルネックとなっている」とされる(p174)。黒海と地中海を結ぶ、いわゆるチョークポイントとしてはトルコが握るボスフォラス・ダーダネルス海峡が挙げられるが、エーゲ諸島を抱えるギリシャも同じことができるからである。領海6海里の場合はエーゲ海の56.2%が公海だが、領海を12海里に広げるとギリシャの領海が63.9%を占めることになり、トルコはギリシャの了解なく地中海に出られなくなるというのだ(p174)。しかもトルコの対外貿易の約88%は海運が担っており、エーゲ海を抑えられれば経済活動にも影響する。ギリシャはイタリア側のイオニア海で領海を12海里まで広げる法案を議会に提出したが、ミツォタキス首相は「ギリシャはイオニア海以外の領海拡張の権利を保留しているがクレタ島東側の領海拡張を計画している」(「東地中海の対立構造に新たな火種、ギリシャ議会が領海拡張法案を承認」 2021/1/21 航空万能論)と語ったといい、トルコが危惧する状況になることもあり得る。
トルコのEU加盟問題において欧州側が持ち出してきた人権、キプロス、エーゲ海、経済指標などの問題は、トルコを曖昧な状態に留め置くための口実とみなされている。欧州は、トルコは同化困難な要素と見做しているため加盟させたくはないが、さりとて拒否した場合の損害を計算してトルコとの関係を宙吊りにしていると主張する(p457)。
リビアは北アフリカにおけるオスマン帝国の最後の拠点で、そこで行われた伊土戦争は当時の最後の海外軍事活動だった(p160、202)。トルコがリビアに派兵するのは(「トルコ、内戦のリビアに派兵へ 欧州・ロシアをけん制」 2019/12/26 日本経済新聞電子版)、オスマン帝国時代と同様だ。
「ポスト冷戦期のロシアにとっての最も深刻な弱点は、ウクライナがそれをはさんでヴォルガ川の外に留まり特にドニエプル川とドニエストル川とそれらの間にはさまった地域の喪失によって現れた。ロシアが帝国になることを保証したこれらの地域の喪失は、ソ連崩壊後のロシアの弱体化の主な印の一つである」(p191)と書かれている。NATO側から見ると、ウクライナ東部のロシア系ウクライナ人を弾圧し、彼らを追い出すことでロシアの弱体化を進めることができる。逆にロシアが弱体化を防ぐには、それらの地域のNATO化は避けなければならない。ロシアが黒海に臨むオデッサを確保するのはそのためだろう。以前書いたが、ロシア帝国の終盤には義勇艦隊がオデッサと極東のウラジオストクを結んでいた(投資家の目線522(ウラジオストクの自由港化))。
「統一と進歩委員会」の指導者たちがオスマン帝国を第一次世界大戦に巻き込んだ原因は、「不敗と信じられたドイツの軍事力の支援を得て汎トルコ(テュルク)主義の理念による無謀な戦略によって全く新しい指導的地位を獲得しようとの野望」だとしている(p98)。今の日本政府は、不敗と信じられた米国の軍事力の支援を得て近隣の中ロ朝と戦おうという無謀な戦略をとっているのではないだろうか?米軍の軍事力もNATOの軍事力も、もはや第三世界の軍事力にさえ劣っているのに。