さて、見出し編としてサマリーでお送りした7月3日(月)〜7月9日(日)の日記。
今回は7月3日(月)「義母、粉砕骨折から完治」です。
(この日記、需要あるんか?笑)
前回、1ヶ月前の受診時に
「次の診察で卒業かどうか決めましょう」
と言われ、義母は楽しみにしていた。
レントゲン撮影と触診の結果、
骨の再生具合も良く、運動機能もほぼ元通り回復との診断で、
今回で無事に卒業となりました。
骨折した直後は「手術なんて滅相もない」と拒んでいた義母。
しかし、たった1日腕を添え木で固定しただけで
(ギプスで固めるにしても腫れが引かないことにはできないので)、
その不自由極まりない生活に音を上げてしまった。
ギプス固定なら6週間、手術なら翌日退院ですぐリハビリ開始、と言われ、
あれよあれよと手術へと気持ちを固めた。
幸い、さまざまな検査の結果、手術にも耐えうる体力があるということで
着々と手術日やその他諸々が決定していった。
手術してしまえばあとは早いもので、
(ちなみに手術によってトップ画像のような金具が手首に入っています)
力さえ入れなければ、お箸、歯磨きなど利き腕である右手を
生活の範囲で使えるようになった。
ギプス固定で6週間不自由な生活を送ることを思うと、夢のようだ。
年齢を考えた時に、6週間安静に過ごしていたら
たちまち運動機能も認知機能も衰えてしまったことであろう。
想像するだにゾッとする。
先生、本当にありがとうございます。
約3ヶ月半、義母本人が頑張ったのはもちろんだけど、
私もここまでのサポートを頑張ったぞ!!
自ら積極的に褒めていくスタイル(笑)。
義母は今回の骨折をするまではバリバリに車を運転していた。
しかも彼女の運転はめっちゃ上手かった。
しかし、今回の怪我を機にもう辞めることを決意した。
まあいくら運転技術があるとは言え、over80なのでここで辞めるのが妥当でしょう。
骨折直後は
「死んだおじいさん(注:彼女の夫)が『もうこれで運転を辞めなさい』
ってあの世から言うてるんやと思うわ」
などと殊勝なことを言っていたのだが、
人間、喉元過ぎればなんとやらで、
「次の免許更新が来るまではやっぱり運転しようかな…」
などと言い出すではないか。
そりゃあね、自分で運転してくれていれば私もそっちの方が楽なんですよ。
あちこち運転手として借り出されなくて済むからね。
でもね、やはりここはもう潮時でしょう、お義母さん。
しかし義母は運転に対してずっと未練がましいことを言い、
いつもメソメソとしていて正直言って鬱陶しいなと思わないでもなかった(鬼嫁)。
なんちゅうか「可哀想なワタシ」を全面に押し出してくる感じなんですよ。
あーもう、ジメジメして嫌だわあと、こちらまで溜息が出そうだ(鬼嫁)。
その話を義姉(実家の私の兄のお嫁さん)に話した。
彼女は保健師をしていてそういうケースもよく知っており、
私の愚痴をひと通り聞いたあと、こう言った。
「あさひちゃんのお義母さんの言うてること、わからんでもないよ。
ただ運転ができなくて不便っていう物理的なことだけじゃなくて、
できることがひとつ減ったということ、それによって自分の世界が狭まったこと、
そういうことひっくるめて気持ちがモヤモヤしてるんだと思う」
なんと…!!
私は自分の考えの浅はかさを恥じた。
「車が運転できないって不便だわあ」
などという単純な話ではなかったのだ。
50代の私だって、目が悪くなったり、体力が衰えてきたり、集中力が続かなくなっていたり、
などと、明らかにできなくなっていることが増えている。
義母はそれをもっと切実に感じているはずなのだ。
「子ども叱るないつか来た道、年寄り笑うないつか行く道」
という言葉があるが、これは本当に名言だと思う。
イラッとした時にはこの言葉を念仏のように唱えようではないか。
それに私の両親もその義姉に毎日さんざんお世話になっているのである。
もうこれは「情けは人のためならず」ですな。
これも積極的に唱えていきたい言葉。
(唱えるべき言葉が多いな笑)
しかし、現実問題として
「あさひちゃん、明日お仕事お休み?じゃあ〇〇まで連れて行ってくれる?」
と休みのたびに言われるのも実際辛いものです。
この生活に慣れていかねばね…
あと何万回
「子ども叱るないつか来た道、年寄り笑うないつか行く道」
「情けは人のためならず」
と唱えれば私は解脱できるのでしょうか…