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今日は宮城県民防災の日。
1978年(昭和53)の今日、当時私は幼稚園生。
幼ないから巨大に感じられたのでしょうか。
震度5強といわれる宮城県沖地震ですが、その後何度か訪れる震度5強の地震とは比較にならない程巨大でした。
まるで牛乳瓶の底に詰められて、めちゃくちゃに振り回されてるよう。
東日本大震災は横揺れが大きくて身動きできなかったのですが、こっちは四方八方に早く強い縦揺れで身動きできず。
テーブルの下に母に押しやられ、東日本の時のような長い揺れではなかったのですが、ずっとお皿の割れていく音が記憶に残ります。
タンスは全て倒れ、電気、ガス、電話も一時不通に、水道は少ししてから止まりました。
電気が通ったのは5日目。
家は古い借家で周りの家々が通電していくなか、どうしてここは?!と怒る母(笑)
その間、大根と人参を輪切りにして下から釘を刺しロウソク立てに。
そういえば隣の奥様は外のポールみたいなのにしがみついて“キャーッ誰か助けてー”と叫んでいたっけ…後で思い出して笑っちゃってごめんなさい。
ガスが復旧した時、友達の家でガス式の炊飯器を借りてお米を炊かせてもらったり。
交差点ではお巡りさんが手旗信号。
家の周りも中もガラスが散乱していたので、父がとりあえずガラスを片付けた庭の片隅が数日の居場所。
動くなと言われても動くのが幼稚園児…よく怒られました。
どこからか買ってきた缶のオレンジのファンタ。
飲みきれず一晩外に置いて翌日一口飲んじゃった私……蟻が数匹胃の中に収まった苦い経験…。
うちの先生が、太平洋戦争、チリ地震沖津波、宮城県沖地震、東日本大震災、コロナ……一生にこれ程災害にあうものか…と呟いていました。
数十年か数百年後、人が歴史を振り返った時、この時代は災害の絶えない時代だったと言われるのでしょうか。
きっと先人達も思ったように、この先の人々も私達より幸せでありますように。