ふきの指定席

終生 のほほんな生き様かと思いきや
人生の終盤にきて
ところがどっこいの日々

母との距離 過去に鎮座し 家ゴミの“花”

2016-02-07 09:30:12 | のほほんの記
<53年前の写真>
母38歳 私8歳


だめだ 掃除しちゃ 座りよる
より散らかしている
出てきた写真に鎮座
母に擦り寄っている私
母との距離感です
母は自分のおかれている環境に満足していませんでした
子供達との距離感は 私だけではなく 兄弟すべてに同じで
差別 区別をすることは 全くなく
子供達には 淡々とした愛情を示すのみでした
母はいつ寝ているのかと思うほど 家事 野良仕事 読書 趣味に時間を費やしながらも
心は常に上の空で 惰性で生きているようでした
子供心に可哀想な人生だなと思っていました
後年は観念したのか 普通のおばちゃんでしたが
今の時代の女性だったら どう生きていたでしょうか
戦争を経験した虚脱感が 母の人生に色濃く残っている生涯でした

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (kao)
2016-02-07 12:37:13
お二人ともタイプの違う

美人さんですね。お母様
ご自分の人生に満足なさらなかった・・
お辛いですね。

私は母は子供ができたらそれぞれに
幸せを感じるのかと思っていました。・
経験がたりないですね。
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kaoさん (ふき)
2016-02-07 14:37:11
私の母世代だと みんな青春時代に戦争を経験しているし
多くの悲哀を経てきている人がほとんどでした
写真を撮った当時は 戦争を通しての母の悲惨な過去など知るよしもなく
子供心に 母の虚無感を哀れに思うだけでした
母は立ち直れていませんでした
優しい母でしたが
日々の生活に手を抜くこともありませんでしたが
子供は親の虚無を感じてしまい 心痛めるものなんですね
私が人一倍大人な子供だったかもしれません
自分で言うのもなんですが
かなりのしっかり者でした

私 以外と可愛い顔をしていましたね
母は美人でした・・・
私今は見る影もなしです

人間は上を見ても下を見ても限がないね
なんくるないさ!
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可愛い蕗さん ()
2016-02-07 22:25:23
蕗さん笑顔が可愛いですね。お母様の少し愁いの有る表情の隣で
天真爛漫な笑顔でしっかりカメラ目線ですね。
戦中戦後を乗り越えて来られた人々に尊敬の念を禁じ得ません。
自分だったらと思うと「戦争を知らない子供達」で幸せだったと感謝しています。
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玲さん (ふき)
2016-02-08 04:32:06
おはようございます
ブログでも少し母の人生に触れたことがありますが
10代後半から20代前半の 
戦争の中にあった母の時間は壮絶の1語につきます
母だけではなく その時の日本人の共通する人生だと思いますが

我々が戦争のない時間に生きて来れたことは幸運ですね
これから先のことはわかりません

人間は何故に こんなことばかりくり返すんでしょうか

誰が悪いのかな


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