上京して来る娘と出先で待ち合わせの約束をした
場所と時間は決めていず
意外に早く用事がすんでしまった私
娘とラインで連絡を取ろうとするも
どうも繋がらない
新幹線の車中に居る娘に電話をするのもためらわれる
建物の中に入り
LINEがなぜつながらないのか
若くて優しそうな女性を物色し教えをこうた
ホッ😌
有難い 瞬時に問題を解決してくれた
こんなおばさんにからまれて迷惑だろうにね
それにしても
若い人たちは
細くて長く綺麗な指で
シュッパァピィで 文字を入力し スマホを操作する
神業だ
指をスライドさせると何文字か同時に打てるらしい…
言っている事の意味もわからない
私の手はよく見ると
ささくれ立ち ひび割れしている
カサカサだ
クリームすらぬることを忘れている
どこに置いたっけ あるんだけれど
人間もそうだが
「生き物」は若い人が好きである
我が家の猫ちゃん達 てらいもなく娘にべったりだ
15歳で家を出てから
半世紀近く集合住宅で暮らし
その間 年末年始を家で迎えた事は
1∼2回ぐらいだろうか
必ず旅先で迎えていた
お正月を家で迎える事もなかったので
お正月の準備などしたことがない
せっかく戸建てに越したのだから
門松を立てたくなった
ちゃんとした立派な門松など
発注しなければ売っているはずもなく
どちらにしろ もう間に合わないけれど
何故に早くその思いにならなかったのか
門松を立てると
なんかとてつもない幸運を運んでくれそうな気がする
実家では「昔」
お正月には立派な門松が必ず飾られていた
いつからかそれもなくなり
静かなお正月になったらしいが
もとより
振り返りもせずの不詳の子の私
兄弟がどんなお正月を迎えていたのか
お互いに気にした事もなく
家を出てしまえばそれぞれの人生
仲が悪い家族でもなく
個々の精神は自立していた
会えば「やぁ」とそれぞれの空気が流れたが
またすぐ自分達の場所に戻って行った
それでいいのだと
家族みんなが思っていた
それでいいのだ…
今年も残り少なくなりました
クリスチャンでもないのに
クリスマスに高揚していた人生の長き時間
今は全くのゼロ水域
コロナ禍で明け コロナ禍で暮れたこの1年
去年もそうですが
親しい人と直に交流する事なく過ごした2年の歳月
昨年家族に迎えた猫ちゃん達に
コロナ禍の日々を助けられ
過ごしています
すっかり猫母ちゃんになってしまい
人間の子(個)である私はどこかにいってしまいました
ブログを書く事で 均衡を保とうとしていますが
会話はもっぱら猫ちゃん達としかしていません
彼らはしっかりと私の目を見て
母ちゃんが何を言おうとしているのかを聞き取ろうとします
殆ど「可愛くてありがとう」と
ほざいています
なら「ちゅーるを食わせろ」てな感じで
猫ちゃん達の存在は凄すぎ
クリスマスも 私の人生さえも 凌駕しています
先日階段から転げ落ち
言うなら全身打撲
うっ血し 皮膚はひどい状態に
痛みはひいたものの
私のもち肌が こげまくっています
誰も言ってくれないから自分でいいますが
意外にきめの細かい綺麗な肌をしております
小さい時から怪我は日常茶飯事
なんでも「赤チン」で治してきました
この「焦げた皮膚」
我が人生の終わりまでにきれいになるだろうか
打撲だから外科に行けばいいのかい❓
皮膚が炎症をおこしているから皮膚科かい❓
取りあえず皮膚科に予約を入れた
勇気を出して家を出たものの
なんかね身体を見せるのが恥ずかしくて
結局顔のシミ取りをしてきてしまっただ
シミ取りなど初体験でしたが
治療は恐ろしく進化し
保険外治療だったが意外にも安く
歯の治療より辛くなかった
女医さんでした
要点だけを的確に説明してくれ完璧な対応
そして治療 無駄がない
かっこいい先生だった
目立たない場所にあるクリニックですが
多くの患者さんであふれていました
いつかはやってしまうと思っていたが
階段からすべってしまった
骨折などの大事には至らなかったが
青タンがすごし 打撲で身体の節々が痛い
東京区内で
新築戸建ての平屋物件は皆無で
新規の物件は2階建て以上の決まりがあると
言われた
歳を重ねれば平屋がいいとつくづく思う
でも
今の家も住み心地のいい場所ではあります
これはこれで悔いはなしですが
いずれは息子にくれてやります
「娘にも家をプレゼントしたいね」と
父ちゃんと話した後の
階段からのすべり
すごい音と 私の悲鳴だったと思いますが
父ちゃんに完全に無視をされました
いつもは駆け寄って来る猫ちゃん達も
あまりの音にびっくりして
近寄ってもきませんでした
現実はこんなもんです
みんな冷たいなー
43年振りに 知人と会話をしました
知人とは先のブログ「知人と友人と私」に書いた作家の事です
作家名は「長田一志オサダカズシ」
幻冬舎から新作本「冬の調べ」が刊行されました
声は昔のままでした
なんとなく疎遠になっていましたが
43年の時間は関係ありませんでした
私と同級生です
当時の事はよく覚えていて
次から次へと記憶がよみがえり
お互いに胸が熱くなりました
青春時代のあの時に戻ったかのような
心滾る時間でした
「生きている事は尊きかな
逢いたき人に逢えるから」
私の座右の銘です
痛ましいニュースばかりが続きます
何故なのか
何故そこまで自分を追い詰めるのか
どんな理由があろうと
他人の人生を巻き込んではいけない
今朝も神田沙也加さん自死…のニュースに
震えがとまらない