音更町万年の万年神社
金属でしかもピカピカは珍しい。
鹿追町の鹿追橋近くの農業用水取水施設から音更町万年地区まで水が引かれていることは知っていたが、最近、気になって水路をグーグルアースでたどってみた。そして現地へ。
高台と平野部の境に水路を引いて、高い方の水路からいくつかに分岐し万年地区を潤す用水網ができていた。そして、また、まとまり然別川へ。ジオジオするではないか・
冬なので、万年神社の前の水路は水が流れていなかったが、用水路の下流のいくつかの用水路がまとまった場所では水が流れていた。鹿追地区から音更町の万年地区へ。水の流れに人の営みを感じた。
万年神社の南に個性的な邸宅が残っていた。
調べてみたら、十勝毎日新聞で紹介されていて「日本資本主義の父”と称される渋沢栄一が十勝清水町に設立した十勝開墾合資会社(通称・渋沢農場)の3代目の農場長を務め、音更初の道議会議員としても活躍した吉田嘉市が100年以上前に建てた旧邸宅が今も町万年地区にあり、異彩を放っている。明治43年十勝開墾合資会社の3代目の農場長として周囲の期待に応えた。その後、音更に移住し開墾に従事。大正9年に万年土功組合を設立し、組合長に就任。地域農業の発展に貢献した」と紹介されていた。
まさか、ここで渋沢栄一につながるとは・・・。
十勝毎日新聞で「先人が遺した物は将来への稔(みの)りをもたらす種となる」この言葉の書が小野信次音更町長室に掲げられている記事を思い出した。
先人の功績を辿る。まさに温故知新なんだと思う。この地区の開拓100年の標語「今まで100年、これから万年」の言葉って、深いと思う。
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