祈祷会 士師記15章「サムソンの行動」 2024.10.30
士師サムソンのことは、士師記13章~16章にかけて書かれてあります。いつものようにイスラエルの人々は主の目に悪とされることを行ってしまいました。そこで、神はイスラエルの敵として、ペリシテ人を送り、40年間も支配されるのです。その時に士師として活躍するのが、サムソンです。サムソンはダン族のマノアとその妻の間に生まれます。ナジル人ととして神に仕える者として生まれて来るのです。ナジル人としてしてはならないことは、ぶどう酒や強い飲み物を飲まない、汚れた物を一切触れないことなどがありました。
士師サムソンの働きとして、ナジル人としてふさわしくない歩みをしていきます。怪力の持ち主であり、女性に弱い部分がありました。サムソンは成長して、ティムナに行き、1人のペリシテ人の女性を好きになり、結婚したいと両親に告げました。イスラエルの人々、それもナジル人である者は、異邦人との結婚は許されないものでしたが、サムソンは両親の反対を押し切って結婚したいと話を進めてしまいます。サムソンは両親と共にティムナに行き、ペリシテ人の女性と結婚することになります。その結婚の披露宴の時、サムソンはペリシテ人の出席者30人になぞかけをします。ペリシテ人もそのなぞかけに応じます。ペリシテ人は、サムソンの出したなぞの答えを得ることができず、サムソンの妻を脅迫して「あなたは夫をうまくいいくるめて、このなぞの意味を我々に明かすようにしてほしいと、そうでなければ、火を放ってあなたを家族もろとも焼き殺す」というのです。サムソンがペリシテ人になぞかけをしなければ、サムソンの妻はこんなに苦しまなくてもよかったのです。披露宴が開かれた1週間、妻は夫に泣きすがって、なぞの意味を教えて欲しいと懇願します。妻はしつこくせがんだので、7日目になぞの意味を証してしまいます。妻はすぐにペリシテ人にそのなぞの意味を教え、殺されずにすみました。そこで、サムソンはアシュケロンに下って、30人を打ち殺すことになりました。妻が、自分が教えてことを仲間に伝えたことで腹を立てたサムソンは、自分の父の家に帰ってしまいました。サムソンの妻は、サムソンに付き添っていた友のものとなってしまったのです。ここもサムソンのわがままが目立ちます。
しばらくして、小麦の収穫の時です。サムソンは一匹の子ヤギを携えて、妻を訪ねます。このころは通い婚といって、妻は実家にいて、そこへ夫が通っていくというものだったと思います。サムソンが「妻の部屋に入りたい」といいましたが、妻の父は入らせませんでした。父は「わたしはあなたが娘を嫌ったと思い、あなたの友に嫁がせてしまった。むしろ妹の方がきれいではないですか。その妹を代わりにあなたの妻にしてほしい」と告げました。サムソンは「今度はわたしがペリシテ人に害を加えても、わたしに罪はない」といって、ジャッカル300匹を捕らえ、松明を持って来て、ジャッカルの尾と尾を結び合わせ、その2つの尾の真ん中に松明を一本ずつ取り付けました。その松明に火をつけると、サムソンはペリシテ人の麦畑に送り込み、刈り入れた麦の畑やぶどう畑、オリーブの木に至るまで燃やしたのです。サムソンは自分の妻とその父親が裏切ったのですから、彼らに復讐すればいいのに、ペリシテ人全体に復讐しているのです。争いの火種を増やすことになってしまいます。麦畑などを燃やされたペリシテ人は、これはいったい誰がやったのかとなります。やったのはサムソンで、サムソンが、自分の妻を父親に取り上げられ、その友に与えたからだと分かると、ペリシテ人はその父親と娘に、火を放って焼き殺してしまいます。そのことを知ったサムソンは、ペリシテ人に仕返しをして、徹底的に打ちのめします。そしてエタムの岩の裂け目に住みます。逃げるような形でしょうか。今度はペリシテ人がユダに上って陣を敷き、展開します。ユダの人々が「なぜ、我々に向かって上って来るのか」と正したところ、ペリシテ人は「攻め上って来たのはサムソンを縛り上げて、我々に対する仕打ちの仕返しをするためだ」と答えます。すると、ユダの人々3000人が、エタムの岩の割れ目に下って行き、サムソンに「我々がペリシテ人の支配下にあることを知らないのか。何ということをしてくれたのか」というと、サムソンは「ペリシテ人がわたしにしたように、ペリシテ人にしただけだ」と答えます。ユダの人々は「我々は、お前を縛ってペリシテ人の手に渡すためにやって来た」といいます。サムソンは「あなたたちはわたしに害を加えないと誓ってくれるか」と問うと、ユダの人々は「我々はただお前を縛ってペリシテ人の手に渡すだけだ。殺しはしない」と答えます。ユダの人々は、新しい縄2本でサムソンを縛り、岩から連れ出し、ペリシテ人の所に連れて行きます。
サムソンはペリシテ人の所に着くと、ペリシテ人は歓声を上げてサムソンを迎えます。その時に、サムソンの上に主の霊が激しく降り、腕を縛っていた縄は落ちました。サムソンは真新しいろばのあご骨を見つけて、手を伸ばして取り、これで1000人のペリシテ人を打ちました。歌を歌っています。戦いの中でサムソンは非常に喉が渇くのです。サムソンは主に「あなたはこの大いなる勝利を、この僕の手によってお与えになりました。しかし今、わたしは非常に喉が渇いて死にそうで、無割礼の者たちの手に落ちようとしています」と祈ります。主はくぼんだ地を裂き、そこから水が湧き出るようにされました。サムソンはそのから水を飲み、元気を取り戻し、生き返ることができました。そのために、その泉はエン・ハコレ(祈る者の泉)と呼ばれたといいます。サムソンはペリシテ人の時代に、20年間、士師としてイスラエルを裁いたと書いてあります。ここまでのサムソンの行動を私たちはどのように受け取ればいいのでしょうか。
ヘブライ11:32~34
これ以上、何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。信仰によって、この人たちは国々を征服し、正義を行い、約束されたものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました。
これはヘブライ書の受け止め方です。サムソンの行動を肯定しています。サムソンの行動が神によって正しいものとされ、イスラエルのために戦い、勝利を与えたというものです。人は弱い者です。その弱さも神は受け止めて、救いを実行されるということです。
祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。サムソンの行動を、どのように受け止めればいいのでしょうか。分からない部分があります。それでも、あなたがサムソンを導いてくださったことを受け止めることができるようにしてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)
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