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建国記念の日

2025-02-11 12:25:00 | 日記
古代史の事を色々と調べていると
この日を迎えて、思う事が少なか
らずあります。
神武天皇が紀元前660年に大和国
橿原宮に東征して新暦の2月11日
に即位したAIは教えてくれます。
これは考古学的にも全く事実とは
言えないのですが、国史日本書紀
の内容から逆算した結果であって
明治政府により制定された紀元節
が元になっています。
確かに長い年月に亘り日本の政治
体制と深い関わりを持ち大政奉還
の明治まで京都において勤王志士
の崇拝を集めていた事は事実です。
私自身も天皇皇后両陛下を行幸の
折に間近に拝見した事があります
が、神々しさを感じました。
これは並の政治家などにはあり得
ない気品と云うか、生まれの良さ
と云うか、形容し難い存在感です。
天皇がいてくれと云うのは下々
の平民には有り難く感じます。
トランプ大統領や金将軍、習主席
全く違う印象です。上皇様
天皇であらされた頃、習近平が未
だ主席に就く前小沢一郎のゴリ
押しで会談した事がありました。
その当時の天皇のお考えは知る由
ありませんが、恐らく先の大戦
で日本が中国でやった事の贖罪の
お気持ちがあったのではないかと
思います。陛下が満州事変勃発に
ついて強い関心を持っておられた
事は知られています。
この頃の政治情勢に関し石原莞爾
中将の影響を強く感じておられた
事は疑いありません。石原中将は
先の大戦は全て自分の責任だと言
ているそうですが、東條首相に
疎んじられて、太平洋戦争勃発
は関わらず、戦犯として訴追され
事もなく終戦直後に病死します。
彼は稀代の戦略家と言われた逸材
でしたが、満州事変以降軍中枢
から遠ざかり退役します。優れた
戦略家を失った陸軍中枢泥縄的
な作戦を繰り返して、海軍の山本
五十六元帥の戦死により帝国解体
への道を進みます。山本の自死と
も思える行動は天皇陛下への強い
責任感の現れであったとも思わ
ています。天皇と軍隊は切っても
切れない関係であり、天皇の側近
の多くは軍出身者で占められてい
した。戦争を始めたのは彼ら
臣下の決定でありましたが、その
当事者はその幕引すら出来ません
でした。この天皇制の特徴といえ
ば、端的に言えば甘えの構造です。
臣民として天皇にいつも守られて
るという思いや、信頼感は戦前に
おいてはより強いものであったと
にはいられません。
私は土井建郎氏の「甘えの構造」
云う名著を読んではいないので、
内容は知りませんが、日本人に独特
世界に類を見ない精神構造だそう
です。この甘えの構造が日本社会を
特徴づけるものとすれば、そこそこ
現代社会にも見られる現象も説明が
可能だと思いました。

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