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欲張り?いえいえだたの貧乏性な旅【③乗り鉄しながら大好物の食材を仕入れて帰路につく】

2024-10-16 13:23:59 | 旅行

今回の貧乏性の小さな旅 3日目(10月13日:日曜日)

 

音花火の段雷がドンドンドンと鳴り響き時計を見ると朝6時

その後も万雷(ダダダッ、パラパラパラ)が続き

 

そう言えば、子供の頃から運動会、お祭りと

催しがある日になると鳴り響いてたなと思いだし

昔は10月10日と言えば 

実家のある橋良神社の例祭日だったなと記憶が蘇り

ネットで調べてみるとやはりそのとおり

ただ、よくよく開催場所を見てみると

神社ではない近くの広場

 

Google Mapsの航空写真を調べてみると

神社は住宅の中に埋もれ 

由緒ある村祭りの名物、手筒花火を奉納することもできない様子

 

私が子供の頃は、神社は田圃や畑に囲まれて

(↓は1961年頃)

 

普段は夜ともなると暗闇の中

ところが祭りになると、豊橋はテキヤの町なので

参道の両側にはいくつもの屋台が並び

煌煌と裸電球で眩しいほどになり

昼は神社の行事と餅投げがあるので山ほど人が集まり

広場には大きな幕が張られ

夜は映画の上演会

(子供向けの東宝のゴジラやモスラ、大映の大魔神と

大人向けは兵隊ヤクザ、森繫の社長シリーズなど)

そしてフィナーレが青年団による手筒花火の奉納

 

↓豊橋のある三河は徳川のお膝元なので

江戸時代禁制だった火薬類を取り扱えたため

花火づくりが盛んで

青年団のメンバーは祭りに備えて竹を切り

竹筒の節を抜いて火薬を詰め、破裂しないように藁縄を巻き

この筒を抱えて火をつけて火柱があがる中耐え続け

最後に底の火薬玉が爆発するまでの度胸試しなんです。

(青年団は朝から神輿を担いで町内を練り歩くのですが

家々で振る舞われる酒に酔ってみなベロンベロンになってました

 

子供達には、近所の集会場で花火のセットが配布され

特に男の子は爆竹を打ち鳴らすのがある種の根性試し

 

導火線に線香で火をつけて

いつまで持っていられるかを競うのですが

爆竹によって火の回りが違うので

指から離す前に爆発してしまい

血豆を作ってしまうのがある種のルーティン(笑)

 

1970年代まではまだ周辺には畑も残っていて

なんとか神社で実施されてたと記憶していますが・・・

 

もう騒音だとか火の粉で火事になるとか

周辺住民からのクレームで

神社ではできなくなっちゃったんだろうなぁ

そんなことを思い出しながら

『もう一泊して祭りも覗いてみようかな』とも、一瞬考えましたが

 

どうせまた、浦島太郎のように現実を知らされて落胆しちゃうだろうなと思い直し

もう奈良に帰ることを決め

 

頭の中でその日の旅程を組立て

 

9時過ぎにホテルをチェックアウト

普段なら最初の目的地には歩いて向かうのですが

この日は、実は大きめな保冷バッグと着替え類を入れた布製バックを抱えていたため

市電(路面電車)を使うことにしちゃいました

この豊橋の市電

駅前からその昔、軍都だった頃に師団や郊外の花街への足として開通したもので

全国各地の市電と比べると距離も支線もほとんどありませんが

沿線にいくつかの私学の高校があって通学での需要と

市役所や警察署、陸上競技場、野球場などの公共施設に

最近の車離れもあるのか、いまでもそこそこの利用者があるため

市民の便利な足となってるんです。

また、豊橋名物にちくわと練り製品があるため

冬には”オデン車” 夏には”納涼ビール電車”なるイベント車両も運行したりするんですよ。

 

この車両は、元都電荒川線の7000形(モ3500型)みたい

 

この日は、駅から3番目の停車場”札木”で下車

 

この札木というところ

東海道の街道沿いにあって、江戸時代以前から旅館や待合茶屋で賑わってた場所で

城下町時代からの商店街(?)もあって

そのひとつ、魚町にあるヤマサちくわの本店と

豊橋っ子の台所、スーパーサンヨネで食材を仕入れるためでした。

ちくわとオデンネタと花かつお&刺身用鰹の柵を買って

すぐさま、またまた市電に乗り込み

(T1000形 ほっトラム H.20)

 

 

 




 

急いで豊橋駅に戻り 豊橋鉄道の渥美線新豊橋駅へ

私にとっては馴染みのない

たぶん東急の中古車両(モ1800形)に乗り込み

(1997年に電圧を600Vから1500Vに昇圧したため昔の車輛が使えなくなったんです

 

田原市のやぐま台駅で下車

 

 駅から約1.5km、早歩きで15分後、次の目的地”千春うなぎ”に到着

実は、これまでは鰻もスーパーサンヨネで生鰻(但し、開いてあるもの)を買ってたのですが

あまり満足していなかったため

 

以前田原に行く途中で、国道沿いで看板を見つけ

航空写真から養鰻場の直営だろうと思い込み

一度味見してみようと

開店時間の9時に電話をかけて10時半頃取りに行きますと伝えていたのですが

移動時間の憶測を誤ってしまったため

焦って向かったのですが

焼きたて鰻を手渡されて万歳三唱

ただ、航空写真からてっきり養鰻場の直売だと思ってたら

養殖池は既にソーラーパネルに覆われて

契約養鰻場から生鰻を仕入れ

加工販売(主にスーパーなどへの卸)にしちゃったらしいです。

まあ、浜名湖周辺も、養鰻130年の歴史を持つ豊橋も

昔のように露天の養殖池では温度管理が難しく

ハウスで温度調整しながらと手間もお金もかかるようになって

浜名湖では養鰻からスッポンに変えたり

養鰻を廃業してソーラーパネルだらけになっちゃいました。

 

そんな事を考えながら”やぐま台駅”への戻り道

このところ渥美半島のほとんどが栽培しているキャベツ畑を発見

このキャベツ、栽培期間が短くて楽とか、年間を通して何度でも栽培できる様子で

収穫前の畑の横に、種なのか苗なのか植えられてばかりの畑も混在していて

驚かされます。

豊橋市内でもキャベツの栽培が盛んなのですが

道を隔てた豊橋市内側はいまも稲作が中心の様子

 

またまた15分ほどでやぐま台駅に到着したところ

渥美線のほとんど駅がパーク&ライドになっているのを発見

 

市電同様、車社会になってローカル線はほとんど存続の危機に陥ってるのに

豊橋周辺では、このパーク&ライドが成功して

市電は通勤・通学のピーク時が9本/時 その他でも7本/時

渥美線も約15分間隔で運行されて

需要と供給のバランスを保っているようです。

 

反面、路線バスはどんどん運行本数が減少し

路線が廃止されたりルート変更したりと惨憺たる状況で

『この先どうなっちゃうんだろ?』と思いつつ

傍観するしかないもんなと寂しい気持ちに

 

そしてまた渥美線に乗り込み

軍都時代の遺跡のひとつ

現在の高師緑地、軍都時代からの松並木が残されてるんです。

これらの松、根元に近いところの樹皮を剥がれ溝が刻まれた木だらけ

戦争末期、松脂を採取していた様子がわかり歴史を実感させられます。

この渥美線での移動の軌跡はこんな感じ↓

千春うなぎまでが↓

11:55 豊橋駅前着

その後、急いで金券ショップに向かい

名古屋までの切符を買ったのですが

 

名古屋では、名鉄が1,100円、JRでも1,010円なのに

豊橋で買うと920円 または830円(名鉄休日キップ)

 

前日、名鉄で豊橋に来てたので

あえてJRで名古屋まで行こうと休日でも高いJRを購入

 

我ながら面倒臭いヤツだなぁと思いつつ

 

さて、新幹線改札口にあったのが

この↓ アニメの聖地巡礼マップ

 

聖地巡礼が大好きだけどアニメには興味ないので

歯牙にもかけず

 

お昼にと立ち食いのお店へ

今でこそプラッチック(関西人風)の容器になっちゃいましたが

その昔は、駅の改札口近くの構内にあった平屋の建物で

各ホームに向かう跨線橋の袂にあって

冬になると開けられた引き戸から湯気がモウモウとあがっていて

素通りできずに暖簾をくぐり「きしめんひとつ」と注文したものでした。

 

浦島太郎は昔の記憶が鮮明に残ってるので

『今はもう別物だな』と思いつつ

ついつい立ち寄ってしまうのであります。

 

あと昔からあるお店としては

豊橋のものではありませんが

昔から人気の”知立名物の大あんまき”

 

あと、立ち食いそば&きしめんの店と同じ経営の壺屋の稲荷寿し

豊橋の名物駅弁と言ったらこの”稲荷寿し”で

豊川鉄道(豊川稲荷へ行くための私鉄で、現在の飯田線)の起点だったので

この弁当が生まれたんだと思います。

『ショボイ弁当だよなぁ』と思っていましたが

この歳になると、あの甘辛い稲荷(油揚げ)が無性に食べたくなったりします。

そしてまたまた豊橋始発の岐阜行快速に乗り込み

名古屋駅では連絡通路で近鉄に移り

13:30発の大阪なんば行アーバンライナーに乗車

お昼がきしめんだけだったので

缶ビールのロング缶2本とアテを買い込み

 

15:20大和八木で下車

京都行特急に乗り換えのため下の橿原・京都線のホームに移動したところ

近鉄の新型車両発見

10月にデビューしたばかりの「8A系」

インバウンド観光客が激増しているからか

優先座席にはキャリーバッグのストッパーがあるんですよ。

 

この新型車両に乗りたい気持ちいっぱいでしたが

乗り換えの特急に追い越されるので

諦めてビスタカーの2Fシートへ

 

15:50 最寄り駅に迎えにきてくれたチャンカーの車に乗り込み

16:00無事帰宅となりました。

この日の移動の軌跡はこんな感じ↓

 

この日、豊橋で仕入れてきた食材は

ヤマサのちくわで

特選ちくわ5本入りx2

半月(はんぺん)

上揚げ半

一口きんぴら

青じそ揚げ

野菜ソフト

(値上げしまくりでこれで約4,000円弱

 

続いて 千春のうなぎ

上から 肝焼き(100g)500円

白焼き2尾 @1,800円

タレ焼き @1,900円

クロッチとわけわけ(?)用

サンヨネのかつお削り 3袋

 

これまたクロッチとわけわけ用に 生鰹 税込み951円

 

 

因みに、今回お試しで買った 千春のうなぎ

身は分厚くて、柔らかくて、タレもメッチャ美味しくて

 

チャンカーも大喜び

 

カク一(かくいち)と言い

帰省する楽しみがまた増えちゃいました

 

ありがたや ありがたや

 


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