正直に打ち明けると
ここ数年、この歳になってアクセクする必要ないんじゃない?と
仕事=会社経営に対するモチベーションを保てず
その上、4年前から働いてくれている社員さんが
個人の能力も人並外れている上に人間的にも最高の人材で
顧客からの引き合い業務にとどまらず
取引先とのやりとり、物品の管理から入金管理その他もろもろの業務を
嫌な顔もせずどころか
自らの職務と率先して処理してくれるため
すっかりお任せしてしまい
オフィスではすっかり”働かないおじさん”状態
そんなある日のこと
先日宮古島で買ってきた車麩を使って
フーチャンプルーを作ってみたところ
これが思いのほか美味
1袋しか買ってこなかっため
これが無くなったらどうしよう
と脅迫観念にかられながら 本土で買う方法を探していたところ
ネット販売では
宮古島の公設市場で200円で買ったものが
ヨドバシカメラ(店頭引き取り)で 515円
アマゾンなら 2ケで 1,600円
楽天ともなると送料が高く 984円
これはたまらんなぁ と食材を扱う店がないか探してみたところ
大阪のリトル沖縄である大正区の平尾に発見
そうなるともう頭の中は その店に行くことでいっぱい
所在地をマップでみてみると
近鉄奈良線からなら直通の阪神でドーム前で下車してそこから約4キロ
大正の玄関口 JR環状線の大正駅からで3キロ
市営バスに乗り換えたら行けるのはわかってるんだけど
それじゃああまりにつまらないなと
Google Mapsをじっくりと眺めてみると
川を無視したら直近の鉄道駅は
津守であることが判明
んでもって
更にズームしてみると・・・
木津川にブルーの点線が
な、なんと木津川には渡船が3か所もあるのを発見
これは天が与えてくれた経路に違いない と
いつものように勝手に思い込ませ
いざ出発となりました
近鉄奈良線の阪神三宮行に乗り
近鉄終点の大阪難波からひとつ先の阪神桜川駅(地下)で下車
地上に出るとその隣がこの南海汐見橋駅
古びた歴史ありそうな駅だなぁと眺めていると
な、なんとこの駅が南海高野線の起点で
1900年に高野鉄道が堺東から延伸した時の終着駅で道頓堀駅として開業したんだとか
その後、さまざまな紆余曲折があって
現在は岸里玉出までのたった5キロほどの支線となってしまったものの
木津川はかっての貯木場や造船所、鉄鋼などの工場や倉庫の建ち並んでいた地域で
貨物のホームもある重要な駅だったみたいなんですよ。
イヤ~、知らないところを歩くのっていろいろと勉強になるなぁ
現在は1時間に2本(30分間隔)の運行で
よく存続してくれてるなぁと感心するばかりでしたが
汐見橋駅から5分ほどで 津守駅に到着
駅前がすぐ公園になっていて
ここが なんと西成公園
そこそこ新しい遊具もあって整備された公園だなぁと歩いていると
この辺りで空気が一変
石垣に座り込んでおしゃべりしているオバハン、ハングルやし
大阪城公園や新世界、天王寺辺りからは一掃されたブルーシートのテントが
工事用のトラ柄の柵でしっかりと覆われてしっかりと生活を送っている様子
木陰はそこそこ涼しいような気もしましたが
酷暑の夏をどうやって過ごしているんでしょうか
管理する大阪市も ここなら苦情もこないから黙認してるんでしょうね。
最近は、アイリン地区の三角公園近くに店を構え
ホームレスに声をかけて生活保護を受け取れるようにして
不動産仲介手数料で稼いでいる業者が話題になっていたりして
随分改善されていると思っていたのでビックリ
いまだにホームレス生活を続けているのは
よほどの事情を抱えているんだろうなぁ
実はこの公園の隣地
下水処理場なんですねぇ
その下水処理場の横を抜けたところで
渡船の看板発見
朝夕の通勤通学ラッシュ時が10分間隔
それ以外の時間帯でも15分間隔で運行してくれてるんですよ
渡船場の横には大きな折り畳み式のクレーンがあり
いまは使われていないようでしたが
往時は艀や小さな貨物船が行き交っていたんだろうなぁ
上流側にはダイゾーという小さな造船所の木津川工場もあり
アーチ型ゲートの木津川水門の手前には落合上渡船があります。
南の下流側には通称”めがね橋”と呼ばれる千本松大橋がありその下に千本松渡船場があります。
こうして川岸に昔は貯木場や造船所、スクラップや砂利置き場が点在し
そこを行き来する船が通るために橋がかけられず渡船が活躍するようになったんだそうです。
いろいろ調べると面白いことだらけで
この渡船、木津川、安治川、尻無川でそれぞれ歴史的背景が異なり
またその後橋梁や海底トンネルができて廃止したりと
またいずれゆっくりと渡船巡りをしてみたいなと思わされました
渡船場からは 適当に方位だけを頼りに南東方向に進んだところで
この商店街を発見
実は、ここがリトル沖縄の聖地だったんですねぇ
いまはすっかり寂れてしまいシャッター街となっていますが
数軒のお店は元気に営業されてました
ここが目当ての沖縄食材を扱っている 沢志商店
車麩はいろんな種類がある上 価格も宮古島の公設市場とほぼ一緒
店内はまさしく沖縄の食材で溢れ
この日は
車麩とSpam、沖縄そば類とクーブイリチー用の昆布と
島らっきょうの塩漬け、サーターアンダギーとコーレグースを購入
お会計は〆て6,500円ほど
(留守番してくれてる社員さんとワケワケなので)
朝からしっかり買い出しする気だったので
大き目のバックパックに詰めて
ルンルン気分で店を後に
荷物もあるし、炎天下だしで
バスに乗っちゃおかなぁ とも思ったのですが
ついでに大正駅周辺を散策してみたいし
リトル沖縄を堪能しなければと
平日の真昼間で空き巣や不審者に間違われないように
でもトラックや車の排気ガスや熱気からは逃げたかったので
できるだけ大通りは避けて
大正駅に向かった北上したところ
工業地帯や港湾に囲まれた 正直住環境としては劣悪な場所のこと
狭い土地にひしめき合う長屋風住居と大きな市営住宅が建ち並び
どうしても不良が生まれやすい環境となってしまったようで
駐車場には 車上荒らしや盗難注意の看板
いたるところに非行を防ごうと標語の書かれた看板だらけ
可哀そうになぁと思いながら 歩いていたら
久しぶりに こんな自販機が
生まれ故郷でも小学生の頃といえば
このコンドームとショートホープやゴールデンバッドの煙草の自販機があって
コンドームの自販機の”家族計画”の意味がわからずに
悩んだものでしたが
それにしてもドラッグストアーやコンビニでも気軽に買える時代に
いまだにこんなレトロな機械が設置してあるってことは・・・
ちゃんと需要があるんや
これは沖縄出身者の人は恥ずかしがり屋で
対面ではよー買わんのかなぁ
それとも 中学生・高校生向けに妊娠などしないようにと置いてあるのかな
などなど いつもの癖でついつい勝手に想像を膨らませちゃいました
さっきのブルーのレトロな自販機は市営住宅近くにあった自販機でしたが
ほかでも何カ所かで見かけたし
薬局の前には コンドームの隣にはユンケルの自販機まで
あっちゃーなんとも早、お盛んなことで羨ましいなぁ
と妬んでおりました
そうこうして平尾の隣の小林を歩いていると
前方に小高い丘が出現して仰天
洲を埋め立ててつくられた土地に こんなところがどうしてあるんだろう
と不思議に思いながら公園となっているこの丘を越えたところで
昭和山なる由来を見つけて またまたビックリ
天保山と同じく 人口で盛られた山だったんですねぇ
それもなんと浚渫や地下鉄工事で出た残土なんだとか
でも、こんなこと言っては失礼だと重々認識しつつ
小汚い埋め立て地帯に人口の山を造り
憩いの場ができて良かったなぁと
微笑ましく眺めさせていただきました
そうこうして平尾商店街を出て約1時間後
炎天下のアスファルト道路を歩き回ったおかげで
ポロシャツは水を浴びたようにズクズクとなってしまいましたが
ようやく大正駅に到着
某民間企業のサラリーマンだった30年近く前
製造を依頼していた機械や電機機器の工場があったため
試運転の立会や打ち合わせのためにJRで何度か訪れ
駅周辺に何軒もある沖縄料理屋で何度か食事していたため
懐かしさと めぼしいお店ができてないかと探検
まだ時間が早かったのと
沖縄食材を社員さんにも当日中に渡さなければと
今回は下見に徹することにして
さてどうやって奈良まで帰ろうかと思案
JR環状線で鶴橋までいって近鉄に乗り換えようかな
それとも新今宮で乗り換えてJR難波で近鉄に乗り換えてもいいし
少し歩いて大阪ドームから阪神でそのまま奈良行きに乗るのが簡単でいいかなと
大阪ドームに向かって歩きだしたところ
バス停と”なんば”行のバスが近づいているのを見つけ
飛び乗っちゃいました
エアコンがガンガンに効いた車内だったので
汗でずぶ濡れのシャツでは凍えそうでしたが
気持ち良かった~
大阪難波16:08発の快速急行に乗って 駅の駐輪場に停めておいたカブに乗って
17:00に事務所に到着
事務所を出発したのが13:00丁度だったので 4時間のショートトリップとなりました。
ところで大阪の大正区がどうしてリトル沖縄になっているのか
1971年に家族旅行で沖縄に行ったのが
弁天埠頭からの関西汽船の黒潮丸だったため
きっと近くの弁天町に沖縄航路の発着場があったため
東北出身者が上野や東京の東側に住みついたり
信州出身者は新宿や中央線沿線
東海道や関西出身者は湘南や都内でも西側に住むように
ある種の帰巣本能で
生まれ故郷に帰省しやすい場所を選ぶのだろうと勝手に思い込んでたのですが
いろんな文献を調べてみると
沖縄がとても貧しくて(人頭税で苦しめられたこともその一因かも)
米や芋はおろか 毒性のある蘇鉄しか食べられない”蘇鉄地獄”と呼ばれた時期に
大正区の三軒家に大阪紡績ができ、
人手不足を補うため沖縄にも募集がなされ出稼ぎのつもりで
定住するつもりはなく集まってきたのだそうです。
「朝鮮人、琉球人お断り」と酷い差別をされていた時代で
ゆいまーる精神の沖縄出身者が
職場に近かったこともあるのでしょうが
たぶん住環境の劣悪だった工業地帯の大正にコミュニティできたのだとか
奈良公園の近くで貿易会社を起業して事務所を構えた当時
奈良でも一二を争う人気の飲食店となった
ならまちにあった沖縄家庭料理の“喜納”さんの常連だったり
事務所近くの商店街のオカンが売りの居酒屋が
沖縄出身者で奈良在住の人がよく集まる場所だったので
よく会話を交わしていたのですが
泥酔した沖縄出身の人が店内で迷惑をかけるような言動をしたりすると
他の沖縄出身の人が『ウチナンチューがそんなことしたらいけないよ!』と
叱っていたのを思い出します。
普段出身地など気にせず仲良くしていたつもりだったけど
やはり”ウチナンチュー”であることの誇りや
”ヤマトンチュー”に恥と思われるようなことはしたらダメだと
そんな深層心理があったんだろうなぁ
コロナも第七波とかでまた感染拡大している時期なので
少し落ち着いてくれたら
今回めぼしをつけた島唄ライブもある居酒屋に行かせてもらって
カチャーシーでも踊りながら沖縄出身の人の友達にしてもらおっと
さてと、また【居酒屋編】で楽しい追加報告できるように大正区探訪頑張りたいと思います