2016年3月以降
ほぼ2年周期で定期的にお仕事をいただいてる大型船から
半年前に仕事の依頼があったものの
製鉄所向けの石炭やコークスを運搬する不定期船
特に製鉄会社が合併して日本製鉄となってからは
国内の製鉄所のどこで揚げ荷するかはその時次第
因みに、
近年では釜石、神戸、呉の製鉄所が閉鎖されてしまったため
現在稼働している製鉄所の所在地は
室蘭、鹿島、君津、千葉、京浜、名古屋、堺、和歌山、水島、加古川、福山、八幡、戸畑、大分
前回は訪船しようと思っていたらスケジュールが合わなくなり
更に通常オーストラリアが積み地なのに今回は珍しくバンクーバー
先々月から揚地の予定が入ってくるものの
なんせ製鉄所の操業には欠かせない原料のため
荷主はいくつもの船をスタンバイさせておいて
切らさないように配船するため
その日になっても変更するのが当たりまえ
あと、組合が強くて港湾ストライキの多いオーストラリアやカナダの事
酷い時には沖待ちで1月以上錨泊なんてこともごくごく普通
航海日数だけではスケジュールを立てられないため
JIT(Just In Time)とは真逆の常時在庫を持つようにと
たぶん荷主は数十隻をコントロールしている筈
鉱石船はそんな業界なんです。
そんなわけで
とりあえず、今回の航海では君津、鹿島、室蘭、和歌山との連絡を受けていたため
しばらく北海道に行ってないし
冬ならジンギスカンも食べたいなぁと
室蘭で訪船しようと思っていたのですが・・・
11月末予定が12月中旬となり
いつ強烈な寒波が襲来して極寒の中で船に乗り込まなければいけないだろうし
そうなったらどんな事故(心臓麻痺も含め)が起こるかもしれないと
我が社の心優しいスタッフが気遣い
今回の室蘭行はどうしても阻止したい様子
(温かい時期には、『あまり行くことのない日本海側や東北、北海道だったらいいですねぇ』と言ってくれてるのに)
無理強いしても室蘭に行くつもりだったのですが
各港の停泊時間を調べると
君津はほぼ入れ出し
鹿島は3日
室蘭は30時間
和歌山は最終の揚げ地で2日程度
この手の船(Bulk Carrierという超大型のバラ積み)
全長300m、全幅50m
荷物が満載の時はしっかり沈み込んで乗下船が楽なものの
反対に荷物がほとんどカラッポになると喫水線から
甲板まででもビル7・8階相当の高さになることもざら
ギャングウエイ(一般ではタラップと言われる乗下船のための梯子)も急傾斜となるうえ
岸壁や通船から一気にあがると息切れ必至
氷点下で凍ってたり雪でも積もってたら危険極まりないなと
泣く泣く北海道行を諦めて
鹿島へ行くことに決めたのですが・・・
そうなるとどうやって行こうかと思案
まだ社会人になったばかりの1980年
東京駅八重洲口近くにあった船会社で働いていた時に
会社の船が鹿島に入港するから船長・機関長との打合せに行くようと社命を受け
なんと東京駅から上野で常磐線に乗り換えて水戸に出て
鹿島臨海鉄道に乗り換えて半日がかりでいかなければならないほど不便な場所
(まだ成田空港も開港しておらず高速道路もできてなかった時代)
その後は海外生活で日本から離れていたこともあって
2回目の訪問がたしか1993年頃だったかな?
高速道路が整備されて東京駅から高速バスが運行され
鹿島工業地帯へのハブになっていた鹿島セントラルホテルまで
1時間半で行けるようになってビックリ
それ以降も何度か鹿島に行く時は
東京駅から高速バスでのアクセスを利用していたのですが
ハブの鹿島セントラルホテルに前泊して港や製鉄所の船を訪船して
ホテルに戻ってまた泊まるかそのまま東京にトンボ返り
ホテル周辺のありきたりな全国チェーンの飲食店しか知らずにいたのですが
(それも鹿嶋セントラルホテルの所在地は実は隣の神栖市)
40数年前からの知人であり同じ釜の飯を食った人生の大先輩が
数年前、出稼ぎしていた福島から鹿島に戻ってきてるのを知り
連絡を取って会うことを決め
さて、それじゃあどうやって行こうかと思案
飽き飽きしてる新幹線も なんの面白味もない高速バスも嫌
そんじゃあ飛行機にすっかなと調べてみると
成田経由なら新幹線+高速バスより時間かかるけど
行けることを知って即決
前日、船が予定どおり君津に入港しているのを確認して
鹿島の代理店に電話で出入港予定を聞くと
翌日には入港して3日間停泊とのこと
急いで鹿島セントラルホテルを予約して
出張準備をして荷物を宅急便でホテルに送り
明け方未明に当日限定の割引チケットを購入し
(なんと伊丹~成田がたったの11,190円)
大和西大寺から空港バスに乗車
出発時刻までたっぷり余裕があったのでラウンジでのんびりビールと青汁ラテ
離陸して大阪からしばらく雲に覆われていたのが
突然視界が良くなったと思ったら
駿河湾の遥か彼方に富士山が
羽田行と違ってこの季節、成田へは霞ケ浦を周りこんでアプローチするからなのかなぁ?と勝手に推察
やがて霞ケ浦を周りこんで降下
いつもながら東京近郊のゴルフ場銀座にソーラー
パネルだらけ
もはや手遅れだけど
日本国中、まるで大火傷のケロイドのように山や空き地に蔓延る
太陽光パネルの現状
耐用年数が前になったらきっと所有者は計画倒産して行方知れず
土壌汚染を引き起こす有害物質を垂れ流し
子孫が生存してゆけるんだろうか
馬鹿な政治家、マスコミに扇動されて暗黒の歴史になるんだろうなぁ
嘆くことしかできない自分が悔しいです。
おっと、いつもながら脱線
話題を旅の続きにしなけりゃいけませんよね
15:45成田空港第一ターミナルに到着して荷物を引き取り
空港から京成で成田に出て16:30JR成田線に乗り換え
佐原で鹿島線に乗り換えて
17:40鹿島神宮駅に到着
銚子駅行路線バスに乗車
1時間に1本程度しかない路線バス
直線で約9キロの距離をグルグルと回りに回って40分かけて到着
大和西大寺から7時間後
伊丹出発から5時間弱
成田空港から2時間
18:43 無事鹿島セントラルホテルにチェックイン
実はこの日お昼抜き
遠出するのが面倒になってホテル敷地内の居酒屋に飛び込み
すかさずメガジョッキの生ビールを注文
胡瓜の漬物にお刺身盛り合わせ
鯖の串焼き
釜飯にチューハイを2杯
この”村さ来”40数年前、東京でよく飲みに行ってたけど
ビールはよしとしてチューハイの薄いこと薄いこと
お腹は朽ちたし酒はもう外で買おうと店を出て
コンビニを探して濃い無糖のチューハイロング缶2本とおつまみを買ってホテルに戻って
ひとり二次会となりました。
安さを売りにした居酒屋
酒で儲けようとする韓国のソジュ(焼酎)みたい
昔はソジュと言ったら25度だったのか
いつしか20度、19度と薄めていって
いまどきはたったの16度
日本酒とほとんど変わらないから
小さなグラスで一気飲みしたところで全然酔わないだろうなぁ
そんな印象でした。
その夜、船が入港してるかネットで調べると
銚子沖で漂ってる様子(業界用語でドリフティングといいます)
たぶん先船の出航が遅れて着岸できなくなって
時間調整してるんだろうな と邪推
そんなこともあろうかとレンタカーは予約せずにいたので
翌朝、水先人乗せて岸壁に向かってるのを確認してから
レンタカー予約して
ようやく製鉄所に向かい
午後1時過ぎ、無事仕事を完了
その後、鹿島在住の先輩に迎えに来てもらい
陶芸工房で歓談して馴染みにホテルに連れていってもらいチェックインして
鹿島の飲み屋街の居酒屋に移動して会食
車の運転があるからと酒を飲まない先輩にいつまでも突き合わせては申し訳ないなと
早めにお開きにして近くにコンビニでまたまた缶チューハイを数本買って
ホテルに戻り恒例の一人二次会(笑)
この時点では、翌日の予定も移動手段も決めておらず
鹿島神宮の門前のホテルだったので
とりあえず鹿島神宮でも参拝しようかなと思っていたのですが・・・
夜中に起きて鹿島神宮の事を調べてみると
HPに鹿の絵があり
よくよく考えたら奈良の春日大社は鹿島神宮から迎え入れたことを思い出し
御祭神は、武甕槌命(タケミカヅチノカミ)で
国譲り神話や神武東征のいわば功労者
実家は一般家庭にはない旗のポールがあり
毎日日の丸を掲揚して
寝起きには二階のベランダから東(皇居)に向かって敬礼をする
そんな父のもとで育ち
皇室を敬うことを当然と思っていたのですが
つい2,3年前に矢田丘陵を歩いていて
変わった神社や墓をみつけ
調べてみると“長脛彦(ナガスネヒコ)”なる人物の存在と
彼こそが神武東征の際に最大の難敵となり
半ば身内と思っていた者(饒速日:ニギハヤヒ)に裏切られ
闇討ちにあったことを知り
それがあとでいいようにつくられた日本神話で悪者扱いされているのに違和感を抱き
国譲り神話を含め
実は天皇家の始祖神武天皇こそ侵略者じゃないのかと思うようになってしまったことや
大化の改新のもととなった”乙巳の変”も
よくよく考えると
中臣鎌足や中大兄皇子こそ腹黒な暗殺者じゃないかと考えるようになり
中臣=藤原 ⇒ 藤原によって創建された”春日大社&興福寺”もいまや”坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”状態
そんなことから鹿島神宮を参拝する気がすっかりなくなり
かといって、そのまま高速バスで東京に出て新幹線で帰る気になれず
『さて、どうしたものか』と思っていたところ
またまた当日割引で成田から飛行機で帰ろうと思い立ち
出発時刻の午後5時30分まで何ができるだろうかと思った途端
鹿島神宮駅から乗った路線バスを思い出し
『そしたらいままで訪ねたことのない銚子に出て、美味しい魚介類でも食べて
それからゆっくり成田に移動したらいいんじゃない?』
と閃いたのが 朝の8:15
Google Mapsで銚子までのバスの時刻を調べてみると
ホテルの前のバス停8:48発
焦ってシャワーを浴びてキャリーケースに荷物を詰め
無事バスに乗車
ところがなんせ路線バス
旧道を走るは乗り降りするのは病院や日帰り温泉に行く老人ばかり
鹿島の市街地から太平洋に挟まれた神栖市の北の端から南の端まで縦断したのですが
もともと海と川からの堆積物でできた土地
ほとんど真っ平で砂地のような土壌にもかかわらず
稲作の田圃やお正月の松飾ようの松でも栽培している風景だらけで
とっても勉強になりました。
利根川のほぼ河口近くの大きな橋を渡ると
そこはお隣の千葉県の銚子市
鹿島神宮から約2時間弱で銚子駅に到着となりました。(料金は約1500円)
バスの降車場の居酒屋の看板(お銚子一本)が嬉しかったですね~(笑)
こんな自転車道のモニュメントがあったり
銚子のことを説明する案内板がいっぱい
【文字数が限度を超過したため 続く】