アユ母日記

東日本大震災
平成23年3月11日
あの日から会えなくなったアユと凛へ
思いが届きますように

お盆休み

2014年08月05日 | つぶやき
思っていたよりお盆のお休みがあって
どこかに出掛け様かと
ボーッと考えてみたけど
思い当たる所もなくて
だだボーッと時間が過ぎて行くだけなんだろうな
なんて…

今年のお盆は
仙台のゆう君も帰って来ないと言うし

何をしていようかな?
何もないのも何だか悩むもんですね(笑)



姪っ子達誘ってどっかに行こうっと
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様々な言葉に振り回され

2014年08月05日 | 思う事
震災ってあれだけ大きな出来事だったのに
世の中はすごいスピードでいろんな事が進むから
そんな出来事があったっけ?
って感じの空気感で
時々、私の思いが取り残されているのを感じます。

私の思いはあの時からちっとも進まなくて
ずっと立ち尽くしたまま

もちろん
時間はみなさんと同じ様に進んでいるから
同じ様に仕事をして
同じ様に家事もして
同じ様に時間を共有しています。
一般的に言う
「前」には進んでるんじゃないかと思います。

でも
気持ちは 立ち尽くしたまま
あの時はのままです。

震災事でなくとも
アユと凛の事でなくとも
心に刺激を与えられると
弱っている心はすぐに涙腺を弱めます。


花火をあげて
たくさんの方が電話をしてくれたり
メールをくれたり
言葉をかけてくれました。

本当にありがたい。
見守ってもらって本当に良かったと思います。

中には
そんな気持ちをよく理解出来ない人もいるらしく
「悲しいのは、あなただけじゃない」とか
「他の人の事も思っての花火」とか
「そんなに花火に思いがあったんだ」とか
様々な解釈の仕方でした。

いちいちそんな事にかまっていられない。
「悲しいのは私だけじゃない」そんな事いちいち言われなくてもわかってる。
そう言っている人が私の悲しみはわかるのでしょうか?
私だって人の悲しみはわからない。
だって他人事
他人から見たら私の事も他人事でわからないでしょ!
私の悲しみの深さは私でなければわからない。
そんなの当たり前
それをいちいち言葉にしてわかってもらおうなんて思わない。
わかりっこないんですもの。

遺族ならば他人の痛みにも寄り添うべき

言葉としては…当然の様に思えるけど…
自分事で精一杯
人様に構ってられません。
愛想笑いの様に他の人にまでいい顔は出来ない。

「花火に思いがあったんだ」
花火に多少の思いもありますが
思いを花火に託しただけの事
思いを託して空に打ち上げてもらった
それだけの事ですよ。

今もまだまだ悲しい

もっと悲しい かもしれません。

いちいち言葉にするのはイヤな位
何かする度にすれ違う思いに振り回されます。
悲しくない人達の言葉に振り回される。


様々な考え方があって
どれが正しくて何が間違っているかなんて
答えは出ません。
だだ
寄り添う気持ちが少しでもあるならば
黙ってそれを見守ってほしかった。
だだそれだけです。

そうしてくれた方々がほとんどでしたけど
そうしてくれなかった何人かの言葉に振り回され傷ついています。






それも一瞬
所詮、私は私だから
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