アユ母日記

東日本大震災
平成23年3月11日
あの日から会えなくなったアユと凛へ
思いが届きますように

ポッカリ穴は深くなる

2017年01月07日 | 日記
人様の事を羨ましく思ったり
妬んだりしてはいけない
と思っていても
目に飛び込んで来る情報や
聞こえて来る話を羨ましく思ってしまいます。

元々、子供のいない人はいない也の生活
子供が二人の人はそんな生活

ウチは三人だから
三人の子供がいる生活だった。

それが二人になると
ポッカリ穴が空いていて
埋まる事はありません。

ポッカリの穴は
年々深くなる様な気がします。

三人の子供達からプレゼントをもらった話し
当たり前のどこにでもある話しのはずなのに
ポッカリの穴に響いてきて
悲しくなりました。

私にはどこまで人生進んでも
三人いた子供の三人からプレゼントをもらう事はもうないんだと思ったら
ホントに悲しくてしかたありませんでした。

嬉しい話しや幸せな話しは
誰かに話して共感してもらいたい。
そんな当たり前の話しも
私は共感する事が出来なくて
ただ悲しいくて悔しいだけ

嬉しい話しや幸せな話しの裏側には
悲しくて傷つく人もいるんだよ。
私の話しを聞いて傷つく人もいるかもしれませんが…



そうそう
年賀状の
「来年は小学生になります」の文面も
今年は引っかかったなぁ。

「何も言えなくなる」と言われても
どうしようもないのです。
だって
それが悲しいんだもの。
戻って来ないんだもの。
どうすればいいのか私だってわからない。
コメント (2)
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ラジオ「被災地からの声」

2017年01月07日 | 日記
女川で25歳の息子さんを仕事場でなくされたご両親が
ラジオの「被災地からの声」
と言うのに出るので聞いていました。



復興する事を望むのは当たり前だけど
復興ばかり進んで慰霊の気持ちは置き去りにされている。
そこに住んでいなかった者が
女川で3.11を語るのは「復興に水をさすのか」
と言われ邪魔者扱いされる。
なくなった人達を思い
その事を語り継ぐ事は大切な事で
震災の悲しみ
震災の記憶を持ち帰ってもらう事が復興にもつながる。

と語っておりました。



本当にその通りだと思います。
復興だけ
見た目の綺麗さだけの街作りは
被災地と言われ続けた街には何か大切なモノが足りない。
あの震災で人の命の大切さとか
人のつながりの大切さを
それぞれが身にしみて感じたはずなのに
なくなった人達は置き去りにされている。

私がずーっと感じていた事を
そのご両親はラジオで語ってくれました。


人の命を考え、感じてもらう事が女川の価値を高める事だと思う。
とコメンテーターの方の言葉でした。

慰霊碑も慰霊塔も
遺構の建物も
賛否両論はあるものの
私は
アユと凛の名前の残った何かがあれば
どんなに復興が進もうと
変わらない何かが女川にあったら
もっと女川に足が向くのだと思います。

今のままの女川は
アユと凛は捨てられてしまった感じがして
新しい事が悲しいモノにしか見えない。

そう感じているのが
私だけではないとわかって
少しホッとしました。
コメント (2)
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