アユ母日記

東日本大震災
平成23年3月11日
あの日から会えなくなったアユと凛へ
思いが届きますように

生きにくい

2019年08月28日 | 日記


大切な人との死別は
それを経験してしまった人と
知らない人とでは
感覚が全く違う。

だからか…
悲しい思いをした人が
尚、傷つけられて
悲しくない人が
のほほんと過ごしている場面が…

「人は誰でも大変な経験をしている」
と言う人がいますが
私は「大変な経験」の一番は
生きるか死ぬか…
と言う事だと思ってて
そんな場面に誰でも出くわすわけではない。

だいたい
そんな話しをし始める人に限って
大した「大変な場面」でもなかったりするのですよ。

順番ではない「死」を経験してしまった人にとって
それは一生背中に乗っかってて
悲しくて辛いものなのに
言葉に出さなくなって
笑って日常を過ごしてると
そんな気持ちさえ忘れられる。

あたりまえの様に
子どもや孫の話しをされても
話しを合わせられない  悲しい
でも、表情にさえ出さなくなった。
出さなくなったら、その話は「してもいい」と言う範囲の話になるんだな…
「辛い」と言葉に出さなくても
「辛いんじゃないか」と想像はできると思うのに
日々はガマンなのか…と思う。
いじめられてる気分になる。
子どもの世界だけじゃなく
大人も同じ

ストレスをなくする為の取り組みを色々しているけど
個人的な悲しみ感情を持っている人は
益々、ストレスたまる世の中だと思う。

生きにくい


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