アユ母日記

東日本大震災
平成23年3月11日
あの日から会えなくなったアユと凛へ
思いが届きますように

診察

2019年10月17日 | 日記
先月
地域の役員を辞めた時
あんまりピリピリしてどうしようもなかったので
心療内科を予約しました。
一ヶ月後の今日
診察に行ってきました。

その時のピリピリ感はだいぶ治った感じになっていたけど
時々やってくる
悲しみや鬱々としたものをカウンセリングしてもらいました。


お医者さんでも
「大切な人をなくした悲しみは消えたりしないんですよ。」
と…

悲しみはなくならない。
お医者さんでも治せない。


鬱々と溜まっていた何かが
少しスッキリしたような気がします。

晴れたわけじゃないけどね。

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重なる

2019年10月14日 | 災害の事
台風とはいえ
水害の被害が酷くて
しかも
あんなに告知されても犠牲者も出て

少し時間を置くと
東日本大震災の時と重なって見えてきて
悲しみが増してくる。

川の流れが津波に見えたり
泥水の被害もあの時と同じに
見えてくる。

もちろん
あの時の被害の方が何倍も大きいんだけど…
自分の周りさえ無事なら
それで大丈夫
な訳じゃないんだな…と思う。

辛くて悲しかった部分が重なって
心が重くなってしまう。

それが
抜けるまで
また時間がかかる。

被害にあわれた人達が今どんな風なのか
自分の時と重ねて考えてしまって
想像できてしまう。

そしてアユと凛の事
あの震災の細かい事を思い出してしまう。

ニュースはあまり見ないように…
でも楽しい感じにも
なれない。
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温度差

2019年10月14日 | 日記
ラグビーやバレーボールの日本の活躍で沸いておりますが…
そのたったさっき台風で大騒ぎした。

しかも
台風が去った後に被害が広がっています。

そんな中
スポーツで盛り上がれない。

もちろん
私は被害にあっていないし普通に生活をしています。
でも
同じ日本では被害にあって
家族を亡くした人がいて
盛り上がる気分になれない。

動物園の動物でも見るように
冷めて見てしまう。

勝って嬉しい気持ちもわかるけど
もっと静かに個人で喜べば…

東日本大震災の時と同じ
温度差 感じる。

盛り上がる事が「悪い」というわけじゃない。
「私は」という話




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あの時が「今」だったら…

2019年10月13日 | 日記
台風で緊張したまま寝たせいか
今朝は涙が出る。

東日本大震災の女川を思い出してしまう。

あの頃
携帯電話はまだスマホじゃなかったんだよ。
スマホ出始め…かな

まだアユもゆう君もガラケーだった。
携帯電話で警報が鳴るなんて事もなかった。
「LINE」がなかった。

LINEは
東日本大震災の教訓で作られたアプリだからね。

あの時が「今」だったら
アユは凛を連れてもっと高台に、もっと早く行っていたはず。


そう思うと悲しくて悔しくて…涙でる。

あの時が「今」だったら……
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台風の中…無事を祈って

2019年10月13日 | 日記
台風が来る
という中昨日はバスで山形のくーちゃんの所へ向かいました。

今回の台風は太平洋側
都心辺りを直撃して海上へ抜ける
と予想されていたから
絶対、酒田の方が安全で被害が少ないはず。

でも
13、14日と学園祭で
13日は中止になったものの
「12日から来て  ママ」と言われてたから…
考えたあげく
予定してた通り行く事にしました。

山形市に到着間近
夕方4時頃
バスの中で乗っている人みんなの
携帯の警報音がなりました。

一斉に鳴るって凄い
当たり前だけど…
「鳴るんだ」

駅前から
大学前へバスを乗り換えるのですが

駅前のお店というお店が閉店で
駅も電車が止まっているので
人があまりいない。

こんな物々しい雰囲気に
やや恐怖を感じて
乗り換えのバス時間までの1時間
待っていられなくて
タクシーでくーちゃんの所へ

おかげで早く着いたし
不安なくーちゃんが満面の笑顔で喜んでくれたし…
今日 着て良かった。
夜も「避難勧告レベル4」とか…
何度も警報音がなって
くーちゃん一人だったら不安だったろうな…と

私も不安だった。

何度も外を見て
近くの川は大丈夫だろうか…とか
ここの土地の地形はどうだった?とか
避難所はどこだ?とか
避難のタイミングは?とか…

とか……

結局
「何かの時はすぐ外に出れるように服着て寝よう」
と二人で服のまま…

目が覚めた時
外は静か…

テレビのニュースと携帯の警報音に脅された夜だったけど
今、くーちゃんが住んでいる場所の事情を知る事になって
良かったと思いました。


そして
こんな時
アユと凛を思い出すのです。

あの時
もっといろんな情報を知っていたら
あの時、もっと津波の危機感を持っていたら
「あの時」と……思うのです。

今日があるのは
アユと凛の犠牲のもと……
アユと凛が命をかけて教えてくれた事だと
思うのです。


日本中の皆さんの無事を祈って…
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