【JDDA】
2010年、震災の前年に初参戦したJDDA。仙台ハイランドに行って、ドラッグレースをするのも、9年ぶりだった。
思いがけずオーバーホールエンジンが手に入り、ちょっと無理して早めの結婚10周年記念旅行にしちゃおうっつう企画が持ち上がり、さくっと6月に決行。
久しぶりに来たはずのドラッグコースは、まったく久しぶりな気がしなくて、いつものようにそこに馴染んでいたことを思い出す。
知り合いがいたり、何年経っていようが走ることに変わりはないし、当たり前なんだろうけども。
だがしかし、パドックにいて、まわりを見渡してみたら、若いひとばっかし(笑)車の仕様もタイヤも、昔と違うし。
浦島太郎か!?わたくしは!!と思った。
それでも、わたくしだって昔とは違うのだ。胃痛を抱えて、お前ら全員敵じゃ!つってツンケンしていた頃とは違うのだ。
仲良く隣近所に話しかけ、お土産の信玄餅をば差し上げたりして、友達作ろう計画を実行。
そんで出来たお友達が、O塚くんやHラくん、Kボくん、ミホちゃんでした。
彼らはきっと「なにこのオバサン。なに考えて参加しちゃったの」と、思ったんだろうなぁ。レーシングスーツ着ちゃって、見た目から入るタイプ~?とかね。ホントだよね。いい年こいて(笑)
まぁ、それで、久しぶりに走ったわけだけども、さすがに緊張してスタートしくったものの、そこそこのタイムが出ちゃった。ていうと、上を目指したくなるんだけども、タイム出しすぎると失格というルールが難しすぎた。
つうことで、うまくいかないまま終了。不完全燃焼はなはだしく、もう一回行くことを決意。
しかし、次の9月は、断念せざるを得ない事が発生した。
初めての妊娠。…がわかった二日後の大量出血。…残念ながら流産だった。
なんかもう、悲し過ぎて落ち込み過ぎてぽかんとしていたら、父ちゃんが「最終戦、行こうよ」って言ってくれた。
そんで行った11月の最終戦。今度こそやってやんよ!!つって、NOSまで積んで気合い入りまくりで挑んだのだが~
やってしまったのは、ドボンでござった(笑)敢えなく予選敗退。以上、終了。
くっそー!!なんだよ、こんなことならフル装備でタイム出しちゃってドボンすりゃ良かったよ!!ちくしょー!!ばっきゃろめ!!こんにゃろめ!!
つって、腐りかけたわたくしを救ってくれたのは、6月に出来たお友達の皆さんでした。彼らは、ガンガン上にいってくれて、私は応援の楽しさを初めて味わいました。
そして、またみんなと一緒に走りたいなって、思いました。
翌年、震災が起き、コースが被害を受け、でも有志の皆さんが復旧復興活動をして、ハーフコース再開。その後も皆さんの努力でフルコース再開。
私も、その間再び妊娠。今度は順調に育ってくれて、ツグ誕生。さてさて、2歳ぐらいになれば、走りに行かれるかな♪
なんて思っていたところへ、閉鎖の話。
まだ小さいツグ連れで仙台行きを強行し、参戦は出来なかったけども、お友達にも会えたし、応援も出来たし。
ハイランドがなくなっても、ドラッグレースがなくならなければ、また参戦のチャンスは必ずやってくると信じているんだ。
だって、4年前、突然参戦出来たのはそういう巡り合わせがあったからに違いないもの。
そして、そう簡単に、ドラッグ中毒は直らないんだ。サバゲーに浮気しても、きっと帰る場所は直線の道なんだ(笑)
2010年、震災の前年に初参戦したJDDA。仙台ハイランドに行って、ドラッグレースをするのも、9年ぶりだった。
思いがけずオーバーホールエンジンが手に入り、ちょっと無理して早めの結婚10周年記念旅行にしちゃおうっつう企画が持ち上がり、さくっと6月に決行。
久しぶりに来たはずのドラッグコースは、まったく久しぶりな気がしなくて、いつものようにそこに馴染んでいたことを思い出す。
知り合いがいたり、何年経っていようが走ることに変わりはないし、当たり前なんだろうけども。
だがしかし、パドックにいて、まわりを見渡してみたら、若いひとばっかし(笑)車の仕様もタイヤも、昔と違うし。
浦島太郎か!?わたくしは!!と思った。
それでも、わたくしだって昔とは違うのだ。胃痛を抱えて、お前ら全員敵じゃ!つってツンケンしていた頃とは違うのだ。
仲良く隣近所に話しかけ、お土産の信玄餅をば差し上げたりして、友達作ろう計画を実行。
そんで出来たお友達が、O塚くんやHラくん、Kボくん、ミホちゃんでした。
彼らはきっと「なにこのオバサン。なに考えて参加しちゃったの」と、思ったんだろうなぁ。レーシングスーツ着ちゃって、見た目から入るタイプ~?とかね。ホントだよね。いい年こいて(笑)
まぁ、それで、久しぶりに走ったわけだけども、さすがに緊張してスタートしくったものの、そこそこのタイムが出ちゃった。ていうと、上を目指したくなるんだけども、タイム出しすぎると失格というルールが難しすぎた。
つうことで、うまくいかないまま終了。不完全燃焼はなはだしく、もう一回行くことを決意。
しかし、次の9月は、断念せざるを得ない事が発生した。
初めての妊娠。…がわかった二日後の大量出血。…残念ながら流産だった。
なんかもう、悲し過ぎて落ち込み過ぎてぽかんとしていたら、父ちゃんが「最終戦、行こうよ」って言ってくれた。
そんで行った11月の最終戦。今度こそやってやんよ!!つって、NOSまで積んで気合い入りまくりで挑んだのだが~
やってしまったのは、ドボンでござった(笑)敢えなく予選敗退。以上、終了。
くっそー!!なんだよ、こんなことならフル装備でタイム出しちゃってドボンすりゃ良かったよ!!ちくしょー!!ばっきゃろめ!!こんにゃろめ!!
つって、腐りかけたわたくしを救ってくれたのは、6月に出来たお友達の皆さんでした。彼らは、ガンガン上にいってくれて、私は応援の楽しさを初めて味わいました。
そして、またみんなと一緒に走りたいなって、思いました。
翌年、震災が起き、コースが被害を受け、でも有志の皆さんが復旧復興活動をして、ハーフコース再開。その後も皆さんの努力でフルコース再開。
私も、その間再び妊娠。今度は順調に育ってくれて、ツグ誕生。さてさて、2歳ぐらいになれば、走りに行かれるかな♪
なんて思っていたところへ、閉鎖の話。
まだ小さいツグ連れで仙台行きを強行し、参戦は出来なかったけども、お友達にも会えたし、応援も出来たし。
ハイランドがなくなっても、ドラッグレースがなくならなければ、また参戦のチャンスは必ずやってくると信じているんだ。
だって、4年前、突然参戦出来たのはそういう巡り合わせがあったからに違いないもの。
そして、そう簡単に、ドラッグ中毒は直らないんだ。サバゲーに浮気しても、きっと帰る場所は直線の道なんだ(笑)