banananbearの独り言

バツイチおばちゃんの日常生活をぼちぼち更新♪(´ε` )

2013-10-09 | 日記
前回にも触れたが、亡父についてもう少し書こうと思う

幼い頃、誰しも大きくなったら本屋さんになるとかお花屋さんになる…など他愛のない夢を持つ

私もご多分に漏れず、バスの車掌さん→パーマ屋さん→ピアニスト→ラジオ番組のディレクター→調理師etc
夢は何度見ても減らない…というような子どもだった

ところが、折に触れその子どもらしい夢を否定したのが父だった

パーマ屋さん(美容師と呼ばれるようになったのは私が中学ぐらいだったような…)
外国に修行に行って一流の美容師になれるんだったらなればいいやないか
淡い夢ですよ、外国に修行とか…

調理師…これは高校生の頃に付き合っていた彼が調理師学校へ進学することにしたので一緒に進学しようとしたら、専門学校なんかいかせない!
大学進学しろ!
全く大学進学するつもりもなく、受験勉強など全くしていなかった高3の12月、そこでも往復ビンタで顔も腫れたまま登校
大学は卒論があるから行かん!とここでは私が我を通し、せめて短大と譲歩した両親の顔を立てる事となり、推薦がまだ間に合ったので内申書水増ししてもらい、何故か合格

しかし、この年齢になっても短大で学んだ事が何も役にたっていない
嫌々乍ら通ったからだろう

親に強引に道を開かれても、何も得るものは無いということはわかったw

…その頃の私に戻れたら…
絶対、調理師学校に行くんだ!!
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何故に?

2013-10-09 | 日記
この歳になっても未だにわからないことは山ほど、いや山以上にある

その一番わからないことが

「なぜ私は生まれてきたのか?」

初めてなぜ?と思ったのは恐らく幼稚園入園前ぐらいだったと思う

ひとりっ子として育ってきたが、段々に母のお腹が大きくなり始め、やがて弟が生まれたのはわたしが5歳半の時

それまではひとりっ子で両親の愛情を独り占めしていたのだろうが、私より可愛い顔をしていた弟を見た近所のおばちゃんたちが、「banananbearちゃんと顔が逆に生まれたら良かったとに」と冗談交じりに放った言葉に子ども乍ら深く傷ついた

それからというもの、何かにつけて両親が放つ言葉の裏の意味を勘ぐったり、ふざけて父が何度も「お前はタライに乗って池に浮かんどったとを拾ったと」という言葉が突き刺さった

イタズラや小学校に上がり授業参観で問題が解けなかったりすると、容赦無く2~3日は両頬に手形が取れないほど引っ叩かれた
その度に父が言った拾いっ子…が確信に変わっていった

自分は拾いっ子だからこんなに引っ叩かれ、弟は引っ叩かれない
可愛くないから引っ叩かれる…
完全に父に対しては心を閉じてしまった

それは短大を卒業する迄、父には何度も引っ叩かれたことで、父が亡くなり10年過ぎた今でも憎しみとしてくすぶり続けている

あんたは悪かったけんね…と母が言うが、警察沙汰になったこともなく校則違反や(成績は良くなかったが)学校から親が呼び出されるような事もしていない

反面、大人しく手先が器用で成績も良い弟がタバコで学校で謹慎、ビンタをくらいボウズにされて帰って来ても引っ叩かれない
放置自転車を乗り回して警察沙汰になった時はさすがに引っ叩かれたらしいが…私よりはるかに度が過ぎたのは弟

そのコンプレックスは今なお続く


このトラウマがあり、離婚してひとり息子を引き取り育てたが、絶対に拾いっ子などという言葉は言わない!
冗談でも口にはしない!
これだけは産んで28年経ったが、大事な子だよ…と言い続けている

親の無責任な冗談でこんなに長い間苦しめられるとは自分でも思わなかった

望まれて生まれて来たのではないのではないか
この思いは死ぬまで抱き続けるだろう
そして、自分の人生に対しても何も自信が持てず行き当たりばったりの誇れるものが何一つ無い最期を迎えるだろう


心の奥底にある闇を吐露してしまった
ドロドロとしたこの感情をどこに吐き出せば楽になれるのだろう??



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