遠い昔の記憶
以前にも載せたが、私の出生地は長崎市
10才(小学4年修了まで)迄を長崎市で過ごし、父の転勤で福岡へ居住、現在に至る
その長崎時代のこと
私が物心ついたころには、県営住宅に住んでいた
その住宅は新築でみんな一斉に入居したと母から聞いていた
しかし、その県営住宅の周りは古くから住んでおられる方々もおられ、新旧住民で成り立っていた場所
そして、旧住民の方にはクリスチャンの方が多かった
ごくごくありふれた日常にキリスト教が存在していた
友だちの家に遊びに行くと、マリア様やイエス様の写真や陶器の像、ロザリオ等があった
私の家庭は平均的な日本人のようにクリスマスは偽クリスチャン、正月は神道、お盆は仏教徒と様々な宗教であった(笑)
前フリが長くなったが、キリスト教徒のお葬式…というか、出棺の様子を垣間見た記憶が鮮明に残っている
自宅から出た葬列は先頭が十字架を持ち、その後ろに十字架が描かれた布をかけられた柩が続いた
もちろん、歩きである(その当時は自家用車を所有する人は少数だった)
子ども心に異様だと感じたのだろう
恐らく、5~6才頃だったと思う
それからというもの、死というものに畏怖を感じるようになった
その頃、スーパーへ行く近道がキリシタン墓地で、道すがら母からキリスト教徒の方々は亡くなると土葬される、或いは土葬されていた…と聞かされた
そのキリスト教の葬列と母から聞いた話が頭の中でものすごい妄想と想像、死への畏怖が私を変えた
ここからは書いてはいけないのかもしれないが(気分が悪くなったらごめんなさい)
幼少期の妄想とは…
お墓の中で、死者が目を覚ましたら?
土葬された後、白骨になるまでに皮膚が腐り虫に食べられ、目が飛び出る
昼間は寝ているが、夜になるとマイケルジャクソンのスリラーのごとく、ゾンビと化した死者が出てくるのでは
そんな想像が夜になると渦巻いて眠れなくなっていた
その頃から元来は騒々しく片時もじっとしていない落ち着きのない活発…いや、腕白娘な私が二面性を持つようになったのかもしれない
外遊びは崖を登ったり、他人の家の屋根に乗ってそこのお父さんに怒られたり、立ちブランコしてサーカスの空中ブランコの真似をして顔から落ち鼻血を出したり、男の子を泣かすのは日常茶飯事
捕虫網を持って走り回り蝶やセミ、バッタにトンボと、ありとあらゆる昆虫類を採りまくっていた
が、一人になる事を好むようになったのもこの頃からで、雪や、雨が降るのを何時間も眺めて想像にふける
家の玄関に傘をいくつも広げ、自分の城のように閉じこもったり…
他人の死を目撃したことから、人は必ず死んでしまう、この世から消えてしまう事を知ってしまったことが今の状態を形成したと言っても過言ではない
もう一つ記憶に残っている事件があった
それはまた、おいおい