秋。
町を歩いてたり、屋外の喫煙コーナーでタバコを吸ってる時などに、秋の風に吹かれて、肌に秋風を感じると、なぜか虚しさみたいなものを感じることがある。
特にそれが曇り空の天気の時などは、そうだ。
その虚しさがどこから来るのかはわからない。
その風の「夏の風より涼しい」ことに、夏がとうに過ぎ去ってしまったことを実感するからだろうか?
いや、どうもそうではないような気もする。
なぜなら私は夏の暑さが苦手だから。私は暑がりなので、秋のほうが過ごしやすいし。
ではなぜ、虚しさを感じることがあるのだろう。
夏よりも秋のほうが過ごしやすいのは確かなのだが、何かが終わってしまったということや、何かが過ぎ去ってしまったということや、なくした何かや、戻ってこない何かというものを感じるからなのだろうか。
その「何か」というのはピンポイントではない。
漠然としていて、色んなものが総合的に・・・「何か」なのかもしれない。
得体がしれない部分はあるが、ともかく「秋の風」は・・・吹かれて体感すると、虚しいことが・・・ある。
でも、だからといってイヤではないのだけど。
確かに秋は、何か虚しさを感じます。
ぼくが、「秋」になったことを、ひしひしと感じたのは18才のときの秋でしたね。
恥ずかしながら、ぼくは大学受験に失敗し、一年間、浪人生活をしました。
ちょうど、その浪人時代の秋のことでしたから、なおさら寂しい気持ちがしたものです。
高校時代の教室やクラブ活動の思い出も過去のことになってしまった、、、、、
今のぼくは、寄る辺のない身の上なのだ、、、、と、家の近くの河原で思いに沈んだものです。
今から思えば、よくもあの時、自死しなかったものだと思います。(笑)
しかし、その後、何とか大学という名のつくところに入り、ふたたび、春や夏の季節になりました。
もちろん、歳月はめぐり、秋の季節は何回も来たわけですが、浪人時代のような淋しい秋は、その時だけでしたね。
、、、、、私事ばかり述べて申し訳ありません、、、、、
私は、空しさを感じることがあるのです。
中森さんもそうなんですね。
浪人も含め、受験生時代という時期は絶えず受験のことが頭にあり、たとえ楽しい時間をすごせる時間があっても、心から底抜けには楽しめなかった気もします。
寂しさは、そういうところからも来ていたのかもしれません。
自殺してしまったら、現世の人間としては、そこでおしまいです。過去しかなくなってしまいます。
生きてるから今があるわけですし、先もありますしね。
中森さんに今があることは、とっても良いことだと思います。