例年ならとっくにプロ野球が熱戦を繰り広げている頃だが、コロナのせいで他スポーツ同様にプロ野球も延期が続いている2020年4月。
せめてプロ野球系の懐かしいネタを投稿しておくことにする。
その選手は、ある日突然日本のプロ野球界に現れた。
名前は、ボブ・ホーナー。
色んな外国人選手が日本球界には登場したが、あれほど強烈な登場の仕方は、それまでなかった。
ホーナーが日本球界に登場したのは1987年。しかも、その1年限り。
それまで日本球界に来る外国人選手は、メジャーでなかなか芽が出ないでいる選手か、あるいはロートルですでにピーク時の力が落ちた選手が多かった。
だが、ホーナーは違った。
なにせ、メジャーのドラフトで全体ドラフト1位指名でブレーブスに入団。その後、一度もマイナーに落ちることなく、ブレーブスで4番を打っていた。
年齢もまだ若く、まさに当時バリバリの現役メジャーリーガーの4番打者だった。
当時、ホーナーが日本球界にいる光景を見て、日本にいた外国人選手たちは、
「なんで、メジャーの現役の4番打者が日本にいるんだ?」「ここにいるような選手じゃないぜ」と言いあっていたらしい。
後に史上最強の助っ人と呼ばれることになる、あのランディ・バースさえ、自身よりも年下のホーナーに近付き、直立不動で挨拶をしたという。
ホーナーが日本に来ることになったのは、メジャーでのフリーエージェント制度で選手の年棒があまりに高騰しすぎたため、その高騰を抑えるために、メジャーのオーナー側が結託して、フリーエージェント宣言をしたホーナーとどこも契約しなかった・・といういきさつがあったらしい。
その結果、フリーエージェント宣言したものの、どのチームからも獲得のオファーがなくなってしまって、あわや浪人しかけたホーナーに、日本のヤクルトスワローズがオファーを出したということ。
ヤクルトとしては、絶妙のタイミングをうまくものにしたことになる。
ホーナーにしても、浪人するよりは、日本の球界入りして多額の報酬をうけとり、なおかついずれメジャー復帰する時のために、日本の球界で実戦のカンを養っておき、体力をキープしておくほうが得策であったはず。
とまあ、そんな両者のタイミングが合ったから、メジャーのバリバリの4番打者がピーク時で日本球界入りする・・という夢のような契約が成立した。
シーズン途中での入団であったホーナーだったが、いざ試合に出場すると、いきなり大爆発。
なんと!最初の2試合で6打数5安打、打率.833、本塁打4、打点5、四球2という成績。
メジャーの現役4番の実力をいかんなく発揮。
ともかくいきなりホームランを連発。
打ちまくった。私は度肝を抜かれた。
話にならない、勝負にならない・・・そんな気がした。これがメジャーの現役4番というものか。
そのあまりの凄さに、当時のヤクルトの監督が、自身のチームの選手なのに、良い意味であっけにとられている表情をしていたのが私は忘れられない。
ホーナーがホームランを打って帰ってくると、監督は口を丸くして、首を左右に振り、「いやあ、参った」「なんじゃこりゃ」「いやはや凄すぎるわい」「信じられん」といった仕草をしていた。
対戦相手のベンチでは、打たれているのに、心なしか苦笑いみたいな表情も見えた。
「ダメだ、こりゃ」とか「これはかなわん」といった心境だったのかもしれない。
球場のお客さんの雰囲気もまた、あっけにとられている雰囲気だった。
当時、日本一の打者と言われていた落合博光選手はホーナーを見て、すぐに・・
「いやあ、あれは打つ。打つ。間違いない。」と、ホーナーのそのシーズンの活躍を予言した。
バースは「当初、私はホーナーは今期50本は打つと言ったが、訂正させてくれ。200本打つと。」と言った。
マスコミも大騒ぎ。
スポーツ新聞は、ホーナーのことを「黒船だ!」と表現した。
「小学生の試合に、大人が参加しているようなもので、ずるい」と言った人もいた。
「ホーナー改め、ホーマー(←ホームランのこと)」と書いた新聞もあった。
私はかねてから、メジャーの現役バリバリの、しかもピーク時の4番打者が日本のプロ野球に入ったら、どれぐらい打つのだろう・・・という単純な興味を持っていたが、ホーナーがその良い実例になった気がした。
結局、その年のホーナーの日本での成績は「93試合出場で打率.327、31本塁打、73打点」。デビュー時の勢いを考えれば、「え?そんなものなの?」と言われそうだが、シーズン途中でホーナーはケガで故障して、規定打席数には到達していない。
規定打席に到達していなくて、31本。
もしも、ケガでの故障などがなく、開幕から最後までフル出場していたら、どれぐらい打ったのだろう。
ちなみに、その年、ホーナーはオールスターにも選ばれた。だが、故障のために、出場はしなかった。
結局たった1年の日本球界在籍だったので、オールスターには出てほしかったなあ・・という思いは私の中にある。
うがった見方をすれば、翌年メジャーに復帰するために、日本でケガなどで体を壊したくなかったのではないか・・。
おそらく、日本球界に長くいるつもりなどなかっただろうし。
実際、翌年にはメジャー復帰している。契約先はカージナルスだった。
まさに、突風のようにやってきて、通産成績よりも「凄み」だけはしっかり見せつけて、突風のように去っていった感があった。
それは、日本球界とメジャーには雲泥の差があると思っていた時代で、その後、野茂をはじめ何人もの日本人投手がメジャーに渡って活躍することなどなかった時代。
できれば、後にメジャーで渡った野茂、ダルビッシュ、田中マー君、大谷などと対戦させてみたかった。
かつて日本の巨人に来たクロマティやレジー・スミスは、日本にはメジャーでも活躍できる好投手が多いと語っていた。
結局ホーナーとて、日本で10割を打ったわけではない。ホーナーを打ちとった日本人投手もいたことになる。
ホーナーをきりきりまいさせた日本人投手はいたのだろうか。
できれば、ホーナーを打ちとった投手の対戦映像を見返してみたい。
日本での出番を終え、メジャーに復帰した彼は、日本球界でのことを振り返って、
「日本は大嫌い。地球の裏側まで来て、ベースボールとは言えない代物をプレーしたくない」という主旨のことを発言したと報道され、日本を去って翌年メジャーに復帰したホーナーに対して日本のファンは非難を浴びせた。
だが、ホーナーは自身の著書「地球の裏側にもうひとつの違う野球があった」で、上記の発言を否定している。
そんなことを言った覚えはなく、記者がねじまげて書いたものだ・・・と書いてあるようだ。
その発言を本当にホーナーが言ったのか、あるいは記者がねじ曲げて悪意で書いたのか、その真偽はわからない。
ホーナーの著書は私は読んでいないので、そのへんはなんとも言えない。
ただ、本の中では、日本の野球界の課題をあげ、またチームメイト(ヤクルト)への暖かい言及もあるらしい。
個人的には、もし本当に日本の野球をバカにしたのなら、チームメイトへの暖かい言及などもないはずだ・・・と思いたいのだが。
とはいえ、日本の野球界に入ってみて、「とまどい」はきっとあったとは思う。
そのへんを、曲解されたりした部分はあったとしてもおかしくはない。
とりあえず言えるのは、日本のプロ野球に来た外国人選手で、ホーナーほどの衝撃を与えた選手はいない・・と私は今でも思っている。
在籍を続け、だんだん日本の野球に慣れて、凄い成績をあげるようになった選手は何人もいたけれど、いきなりの登場で、いきなり凄い活躍をしたのは、やはりホーナーだった。
彗星のように現れ、彗星のように去っていった・・・と書くと、オーバーだろうか。
厳密に言えば、台湾の選手ルー・ミンスーの1軍デビュー時にも衝撃は感じたが、やがてルーはその後弱点をつかれるようになったのに対し、ホーナーは常に恐れられていた印象はある。
故障などで出場試合数は思ったより少なかったが、もしも開幕から最後までフルで出場していたら、一体どれぐらいの数字を残したのだろう・・・・そんなイフを考えさせてくれる選手ではあった。
もっとも、たとえフルで出場していたら、敬遠が多くなった気はするが。
だからこそ!
そんなホーナーを、敬遠などせずに、日本人投手が戦っていく光景を、もっと見たかった。
彼が日本に居たのは、たった1シーズンだけだったからね・・。
それもこれも、それだけホーナーが衝撃的だったからこぞ。
阪神を優勝に導いた時のランディ・バースは凄かった。
巨人のクロマティは、生え抜き選手のようにファンに愛された。
王貞治の年間ホームラン数を抜いたバレンティンも凄かった。
個人的には、台湾野球を背負ってやってきたようなルー・ミンスーも忘れられない。
その他でも、日本球界に何年も活躍し、通産成績で素晴らしい成績を残した選手は何人もいた。
いつぞやテレビで、プロ野球の歴代外国人選手ランキングという番組があり、そこでは1位がバース、2位がクロマティだった。
まあ、通産成績を考えると、妥当な選出ではあると思った。
だが、衝撃度という意味で、日本球界の史上最強の助っ人外国人選手というと、私はやはり、ボブ・ホーナーの名前をあげたい。
私もしっかりと覚えてます。本気だったら、4割100本ほど打つかと思いましたもの。
でも少し太目で、前年がピークの様な気もしましたが。
強烈な印象が残ってます。
そう、4割100ホームランもありえそうな勢いでした。
これがメジャーの現役4番というものか、、、と実感しました。
ケガが多かったのが残念。
でも本人としては、メジャー復帰のために日本での無理はしたくなかったんでしょうね。
野球観戦が大好きなので、特定のチームや選手でファンということは、ありませんけどね。
さて、ホーナー選手、スポーツに疎い私でも知っています。
しかし今回、だんぞうさんの日記を読んで、「こんなにウルトラマンだったんだ!!」と改めて知り、感激しました。
やはり最近の外国人選手と当時とは、本当に桁違いですよね。
当時は、野球にも、プロレスにも、本当に“ウルトラマン”“スーパーマン”が実在していました。
技量や体格だけでなく、人間的にも巨大な…。
「ホーナー、嫌日発言」の真意ですが、私も、これは新聞記者による歪曲だろうと思います。
ただ、ホーナーほど実力・魅力・迫力あるウルトラマンにとって、日本プロ野球は「選手一部を除いて、少年野球だな…」と思っていたことだけは事実かもしれませんね。
余談ですが、読売ジャイアンツ所属・クロマティ選手が中日ドラゴンズ・日本人ピッチャーに対して、生放送中にも関わらず、凄まじい暴力を振るった場面は、ありありと憶えています…。
私も、ソフトボール大会でデッドボールを受けた痛さは覚えていますけどね(笑)
たった1年しかいなかったにもかかわらず、強烈な印象で覚えています。
たった1年しかいなかった助っ人外国人選手は、ともすればすぐに忘れられるケースが多いと思いますが、ホーナーは別格でした。
もちろん、日本に長く在籍し、生涯成績で素晴らしい成績を残した外国人選手はけっこういます。
もしもホーナーが日本に長く在籍してたらどれぐらいの数字を残したんだろう・・・などと思うことが私にはあります。
>ホーナー、嫌日発言」の真意ですが、私も、これは新聞記者による歪曲だろうと思います。
ありがちな話ですよね。
発言の一部を切り取って、記者の主観で記事を書くのは、よくある話ですから。
当時はメジャーで日本人選手が活躍する前の時代。
なのでメジャーリーガーが今よりも日本を見下していた風潮はあったと思います。
野茂、松井、イチロー、大谷、田中マー君などのおかげで、だいぶ日本の野球も見直されているんじゃないかな・・などと思ったりします。
その反面、日本の有力選手が次々とメジャーに行ってしまって、日本国内のプロ野球に「つきぬけた選手」が少なくなっているような気もします。